なすべき使命と求められる謙虚さー西岡力-

  西岡力(にしおか つとむ)

経歴
1956年生まれ
1981年 基督聖協団練馬教会で小笠原孝牧師より受洗
1983年 筑波大学大学院地域研究研究科修了
(韓国・北朝鮮地域研究専攻)
1991年 東京基督教大学専任講師、2006年助教授、2010年教授
1997年に北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)設立に参加し現在会長
2017年3月 東京基督教大学教授を辞する
同4月 公益財団法人・モラロジー研究所歴史研究室長、麗澤大学客員教授就任


聖書
マタイ25—14〜29タラント ルカ19−12〜27ミナ エペソ2−8〜10 創世記6−5〜8 同8−20〜22 詩篇8—3〜9 同9—19〜20 マタイ6−33 ヨハネ12—1〜3


大学生時代
 私はノンクリスチャンの家庭に生まれ、無神論者として育ち、高校生時代から新左翼系のいわゆる反戦デモなどに参加していました。大学時代は在日朝鮮人差別反対運動に参加し、その延長線上で交換留学生として韓国に留学しました。韓国で暮らす中で、多くの韓国人から体験談を聞き、朝鮮戦争とその後に北朝鮮がいかに人々を殺してきたかを知り、反共産主義の立場に転向しました。帰国後、日本の朝日新聞や岩波出版の雑誌「世界」などが伝える韓国像がひどく歪んでいることに義憤を感じ、日韓関係を研究するために大学院に進学しました。


北朝鮮問題への取り組み
 大学院在学中に、イエスキリストに出会い、罪を悔い改めて十字架の赦しを頂き、基督聖協団練馬教会で小笠原孝牧師より洗礼を受けました。25歳の時でした。その後、2年間外務省専門調査員としてソウルにある日本大使館で勤務し、帰国後、一般大学で韓国語などを教えつつ、現代コリア研究所という民間研究所で日韓関係と北朝鮮について研究を続けました。教会では教会学校校長や財務担当役員などをしながら、信仰生活に励みました。その中で、私の人生は主のものであり、主に役立つ仕事をしたいとずっと考えていました。韓国・北朝鮮研究という自分の専門分野を捨てて新しい道に進むのではなく、専門分野を活かして主に仕えたいと願っていました。

 なぜなら、なすべき研究テーマが山積みにされていたからです。そのうち一つが北朝鮮による日本人拉致です。私は1991年、日本人が北朝鮮に拉致されているという論文をある月刊雑誌に書きました。学者が書いた世界で最初の拉致に関する論文でした。


東京基督教大学(TCU)にて
 その論文を書いた直後、91年4月から私はTCUの専任教員になりました。35歳の時です。洗礼後、10年間、私は主によりこのための備えをさせられていたと思います。実は、私はあるキリスト教系新聞にTCUが近く開学する、そこには神学部の下に国際キリスト教学科というアジアをはじめとする世界に出て行って主のために奉仕する人材を育てる学科がある、ということを知り、履歴書と証の文書を当時の学長に送って面接をしてもらい、採用された経緯があります。当時の学長が私に話したことによると、1990年開学を目指して準備してきたがいくつかの理由で文部科学省の認可がその年に下りなかった。その理由の一つに国際キリスト教学科を設置するにあたり神学以外の国際関係などを専門にしている専任教員が少なすぎるということがあったと聞きました。主の備えがそこにあったと私は感じました。

 TCUに勤務しはじめて1年目である1992年2月に慰安婦問題に関する論文を月刊誌に寄稿しました。朝日新聞などの誤報が日韓関係を悪化させているという趣旨でした。先にお話しした拉致問題と慰安婦問題が私の研究者としてのライフワークになりました。

 TCU教員の4つの仕事すなわち、教育、研究、学内行政、社会貢献を求められていると私は理解しています。特にTCUの教育は、献身者を育てるという特別の重い使命あります。私は26年間、TCUで勤務しつつ、献身者教育を第1優先にして全力で取り組んできました。26年のうち14年は男子寮主事と学生課長という学生の生活に密着した仕事を与えられました。失敗ばかりしました。いまでも思い出すと赤面することが多いです。寮主事として寮生の生活面での問題を指摘するため、全寮生を集めて叱責したとき、その話しの中で挙げた例話がある学生をひどく傷つける内容だとその学生のルームメートからその場で指摘され、彼の言うとおりだったのでその場で土下座して謝ったこともあります。


学生集めに奔走
 学内行政についてもTCUが維持発展されるためには学生募集と寄付金集めが不可欠だと考え、学長室長としての仕事に邁進しました。1週間に10回以上会議ばかりしているという日々もありました。夏休みや春休みには北海道、沖縄、大分の山の中などクリスチャンの高校生が集まる場所があれば、10分くらいでもTCUの話しをさせてもらえるなら、最優先で時間を作り出かけていきました。ここでも失敗ばかりしました。あるチャーチスクールに行って、TCUは大学入学資格検定を受けなくても独自に審査をして入試を受けられる制度がありますとアピールしたところ、そこの校長先生に「本校では生徒らを励まして大学入学資格検定をとるように指導しているのに、何ということを言うのか」と叱られ平謝りしたことを思い出します。


拉致、慰安婦問題への本格的な関わり
 研究と社会貢献にも全力を尽くしてきました。2002年北朝鮮の独裁者金正日が日本人を拉致して抑留し続けていたことを認め謝罪しました。1991年に私が書いた論文が正しかったことが証明されました。2014年には朝日新聞が自社の慰安婦問題に関する報道の誤報を一部認め謝罪しました。やはり、私が1992年に書いた論文が正しかったことが明らかになりました。この2つのライフワークを中心に単行本や雑誌論文、新聞コラムなどを毎月、数本ずつ書いています。講演やテレビ出演もたいへん多くなりました。研究はほぼ、教育と学内行政をした後の深夜、行ってきました。好きな研究をするのに寝る時間を削るのはまったく苦になりませんでした。

 その結果、『大学ランキング』という朝日新聞社が出している本で、2014年の「メデイアへの発信度ランキング」で日本の中で1位と評価されました。これは研究の内容の評価ではなく、量的評価です。日本中の大学の教員の中で一番多くの論文や本を出して社会に発信しているという評価でした。研究の内容面でも産経新聞とフジテレビが共同で主催する「正論大賞」を2014年に受賞しました。慰安婦問題と拉致問題での私の言論活動が高く評価されたものでした。授賞式には安倍首相も祝辞を寄せてくれました。


「拉致被害者を救う会」会長としての働き
 社会貢献としては1997年、横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されているという事実を世の中に知らせる役割の一端を担い、その延長線上で、拉致家族が作った家族会を支え被害者救出運動を担う「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」を作り、現在会長として活動しています。

 その活動の一部を紹介すると、救う会の会長として、全世界、12ヵ国以上で拉致が行われているという事実を、韓国、ルーマニア、タイ、レバノン、マカオの拉致家族を探し出して証明しました。それをもとに国連人権委員会は北朝鮮人権問題調査委員会を作り、外国人拉致や政治犯収容所などにおける北朝鮮独裁政権の人権侵害はナチスドイツやカンボジアポルポト政権の人権侵害にも匹敵知る人道に対する罪だとし、責任者を国際刑事裁判所に訴追すべきという報告書を出しました。

 TCUの教員の定年は63歳ですからあと3年残っています。しかし、すでに60歳になって、教育、学内行政、研究、社会貢献の4つを今まで通りこなすには体力的限界を感じるようになりました。また、研究と社会貢献の活動はさまざまな意見があり、私を批判する人々も多くいます。特にTCUの支援教団の一つからの教団名での批判に、学問の自由、政治信条の自由の観点から心を痛めました。


転機と決意
 数年前からいくつかの出来事もあり、そろそろ4つ全部を同時に取り組む生活を終わらせなくてはならない時期だと考えるようになりました。そのとき、研究と社会貢献だけに取り組むことができる職場が与えられるという幸運に恵まれたこともあって、今回の決断をしました。あと10年間、70歳になるまで研究と社会貢献で主に仕えていこうと考えています。

 25歳で救われ10年間、社会で準備をして35歳から60歳まで人生の一番良い時期をTCUで奉仕できました。60歳になり、これまで社会で主に仕える人材を育てることを目標にした国際キリスト教学科(現在の国際キリスト教福祉学科)を卒業した卒業生らとともに、教会と社会に仕える人材として一般社会のまっただ中に出て行こうと決意しました。私も国キ卒業生になったつもりです。みこころならあと10年、研究と社会貢献の面で主に仕えようと決意しています。


心に残る聖書のみことば
 以上が退任のあいさつです。以下、TCUの26年間で教えられたみ言葉のメッセージをおわかちします。私は今、聖書から2つのことを教えられています。それが私がTCU教員として26年間勤める中で主が教えてくださったことの集大成です。

 第1は、私たちの人生の目的は主が備えてくださった「良き行ない」をこの世で実践することだ、ということです。第2は、その「良き行ない」を実践するにあたり常に自分が全て分かったとか自分が全て正しいなどと思ってはならない、私たちは「心の思い計ることは、初めから悪である」「人間に過ぎない」存在であることを心に刻み、主の前に敬虔であることです。

 その二つを私がどのように教えられたかお話しします。まず、第1の、私たちの人生の目的は主が備えてくださった「良き行ない」をこの世で実践することだ、ということについてです。

 TCUの専任教員になった直後、国際キリスト教学科設立の背景にローザンヌ宣言があることを知りました。福音主義にたつ神学者らが集まって出した同宣言では福音主義教会が20世紀に入り社会的責任の活動に冷淡だったことを自己批判し、伝道と社会的責任の両方が教会がなすべき使命だと主張しました。

 私はそのとき、神学を学び教職者になる道を選ばず、韓国・北朝鮮の研究を通じて主に仕えたいと願っていましたから、ローザンヌ宣言から学ぶことが多く、また大きな励ましも受けました。そのころ、教えられたの聖書が、マタイ25—14〜29のタラントのたとえと、それに関連するルカ19−12〜27のミナのたとえ話でした。

マタイのみ言葉に沿って教えられたことをおわかちします。み言葉に沿って教えられていきましょう。

マタイ25章14節
天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。

 私たちはしもべ、主人は神様です。
私たちは主人である神様から神様の財産を預けられてこの地上での生活を送っているということがこの箇所から分かります。いつか、主人が帰ってくる。そのときまでが私たちの地上での人生なのです。私たちの持っているものは神様から預けられているもの 私たちはあくまでも「管理者」です。

第1ペテロ4:10で 「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。

」とされているとおりです。

15節
彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりにはニタラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。

ここで考えたい第1の点は、タラントとは何かです。

1タラントは 労働者の20年分の賃金
1日1万円で年間300日働くと計算すると1年で300万円、20年で6千万円
2タラントは1億2千万円
5タラントは3億円
になります。大変な金額です。1タラント預かったしもべも軽視されているのではない。大変な高額を預けられるほど信用されているということですね。

 たとえば私たち人間は60兆個の細胞から構成されています。全ての細胞は基本的同じものですが、それぞれの機関に分化しつつ有機的に関係し合っています。それが生きているということです。私たちはそれを終わらせることはできても、新しく始めることはできません。いまだに細胞一つでも人間の力で新しく作り出すことはできないのです。私たちが預かっているものの価値は本当に計り知れません。

 ちなみにルカの福音書19章では10人のしもべが王となるべき主人から1ミナづつあずかっている。1ミナは1タラントの60分の1、労働者100日分の賃金、上記の計算だと100万円です。しもべ全員が同じ金額をあずかるというたとえからは、私たち全員はこの地上での1回しかない人生を、いのちを預かっているという意味にとれます。

ではなぜ、預けられた額に違いがあるのでしょうか。

15 彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりにはニタラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。

ここで「おのおのその能力に応じて」というみ言葉が心にとまります。

 私と他者との違いは、その根本的違いは、預けられたタラントの量の違いではない。タラントを預けられる前に、預かる側の能力には違いがあるということです。能力とタレントは完全に別物ではなくて、相互作用、循環運動をくりかえしています。

 能力に応じて5タラント、2タラント、1タラントという量の違う賜物が3人のしもべに預けられた。5タラント預けられたしもべはそれをもとに5タラント増やした。そのような努力をする過程で、10タラントあるいはもっと多くの賜物を扱うことができる能力をもつことになった。2タラント預かったしもべもやはり2タラント増やす努力をする過程で4タラントかそれ以上をあつかえる能力を養成した。商売して儲けることは容易ではありません。試行錯誤のくりかえしでしょう。失敗もするはずです。しかし、そのプロセスこそが人を育てます。結果として儲けがでるだけでなく、能力もついていくのです。仕事や奉仕もそうです。できる人のところに仕事や奉仕は集まります。そしてできる人はいつも忙しいですが、その結果、よりできる人になっていきます。

 1タラント預かったしもべがその1タラントを取り上げられたというたとえは、何もしないで賜物を地中にかくしているなら当初持っていた1タラントを扱うことができる能力もさびついてしまうということを表しているのです。神様は能力に応じて賜物を預けます。だから、能力をなくしたしもべからはタラントが取り上げられ、能力を増やした10タラント持っている者にそれがわたされるのです。

 そして、そのようにそれぞれ違う能力にあった仕事に懸命に取り組む私たちには主により1回限りの人生という同じ1ミナが預けられています。その人生に忠実に歩むことこれが主に仕えることだ。なすべき仕事はそれを解決できる能力とともに主から与えられる。ローザンヌ誓約とこの聖書から、韓国・北朝鮮研究という主から与えられた課題に忠実に取り組むことも私の献身だという自信が生まれました。

 やはり、同じ流れで教えられたにがエペソ2−8〜10です。

エペソ書2章8〜10節

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。

 ここで私が最初に注目するのは主語が「あなたがた」とされていることです。8〜9では、この書簡の筆者であるパウロ先生がエペソ教会 に集う信徒らに救いの教理を教えています。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。」恵みのゆえに、by grace です。救いの根拠は「恵み」です。そして救いの方法は「信仰によって」through faith 救われる方法 通路です。

 神の恵み、十字架の贖いを信じることで救われると教えています。「行いによるのではありません」という教えも10節との対比で心に止まります。

 救われた後のクリスチャンの人生の目的について教えている10節では主語が「わたしたち」と変わっています。つまり、パウロ先生もエペソ教会の信徒らも両方ともが含まれる教えが語られます。牧師も信徒も、神学科も国キも、主に召されているというように、この主語の転換は私に迫ってきました。

10節

私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。

 ここで「行ない」という語が3回も出てきます。9節では「行ない」によって救われたのではないと教えながら、救われた後のクリスチャンの人生の目的は「主があらかじめ備えてくださった良い行ないをすることだ」と私たちに迫ってきます。神学校を出てもいない牧師でもない私にも、なすべき良き行ないがある。それがあらかじめ備えられているということ教えられて、心強くなりました。

 私たちにはなすべき良き行ないがある。それは伝道と社会的責任の両方の分野に備えられている。TCUで勤めながら私は主から聖書を通じて教えを受けました。

 以上が26年間で教えられた1つめのこと、すなわち、私たちの人生の目的は主が備えてくださった「良き行ない」をこの世で実践することだ、ということです。次に26年間で教えられた第2の、その「良き行ない」を実践するにあたり常に自分が全て分かったとか自分が全て正しいなどと思ってはならない、私たちは「心の思い計ることは、初めから悪である」「人間に過ぎない」存在であることを心に刻み、主の前に敬虔であることについてお話しします。

 人間にしか過ぎない私たちはこの世で完全なる「良き行ない」すなわち「善」あるいは「正義」を実現することはできない。それができると思った瞬間に私たちは神から離れ、自分を主としている。私をはじめ、人間というものはどこまでも自己中心で罪深い存在です。

そのことを教えてくれたのが創世記6−5〜8 同8−20〜22でした。

特に6章5〜6節 と8章21節の比較から教わったことが多いです。

6章5〜6節
「主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。

」とあります。それで洪水が起こされます。私が注目して教えられ続けているのは洪水の水が引いた後、ノアが祭壇を築き供え物をしたときのことです。8章21節「人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。」

 再び生き物を滅ぼさないと主が言われた理由が「ひとがなだめの供え物をするからだ」「ノアとその家族は私の言いつけを守ったからだ」などととされているなら納得できます。しかし、そうではなくて「人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。」

とされています。洪水前とどこが違うのでしょう。

洪水前のひとの状態は「心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾く」でした。
洪水後の「人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。」と比べましょう。洪水前は「みな」「いつも」「悪いことだけ」とされています。洪水後はやはり「悪」ですが「はじめから」とだけいわれていて、「みな」「いつも」「悪いことだけ」ではないから、ときには「悪」でないこともあるとも解釈できます。「初めから悪であること」これは原罪です。そのことをノアは分かったから祭壇と生け贄を必要とした。人間はみな救われたクリスチャンでも、牧師でも神学校教師でも、生まれつきの罪人だ。ただ、救われた者はそのことを自覚できる。自分が罪人だと知っているから、主は再び滅ぼさないと言われたのではないかと、私は教えられました。傲慢になるな、謙虚であれという教えです。

 同じことを詩篇からも教えられました。

 9篇19〜20節では、「主よ立ち上がってください。人間が勝ち誇らないために、国々が御前で裁かれるために。主よ、彼らに恐れを起こさせてください。己が人間に過ぎないことを。国々に思い出させてください。」と言っています。我々は人間に過ぎないのです。聖書の人間観は、神と人間は隔絶する、我々は人間に過ぎないものだとされています。しかし一方で、詩篇8篇3〜6節において、

「あなたの指の業なる天を見、整えられた月と星を見て思います。人とは何ものなのでしょう、あなたがこれらを顧みられるとは。あなたは人を神よりいくらか劣る者とし、これに栄冠と誉れの冠をかぶらせました。あなたは御手の多くの業を人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。」

人に過ぎない者に神は祝福を与え、万物をその足の下に置かれたというのです。だから、私たちは「良き行ない」に歩むべきです。しかし、いつも自分の判断は完全ではないという謙虚さが必要です。

マタイ6−33でイエス様は “神の国とその義をまず第一に求めなさい”と言われています。“求めなさい”と言われていることに私は大変教えられています。“実現しなさい”とは言っていない。人間の力で100%の善、正義、良き行ないを実現することはできないのです。
しかし、聖書は “社会と関わるな” とは言っていない。私はこれまでTCU学生に「私の考えを覚えても仕方がない。クリスチャンだからといって、現実の問題について全て意見が一致することはない。なぜなら神の義を求める私たちは人間に過ぎず、完全ではないからです。だからそれぞれが、神にあって祈りつつ情報を集め、事実が何なのかを調べて意見を出す。間違っていたら修正することしかない」と教えて来ました。

 たとえば拉致問題についてクリスチャンとしてどう考えるべきかという問いに対してクリスチャン学者である私に聞けば答は出るのか。私はそうは思いません。私の語ることは私個人の答である。それぞれが自分の答えを考えなければならない。そして、ただ自分は人間に過ぎない者だと思って毎週教会に行って祈るべきだと。しかし一方で、私たちはこの地上でも神の栄光を顕すように努力するべきであり、求めるべきだと思っております。

 以上、26年間で教えられた2つめのこと、すなわち、「良き行ない」を実践するにあたり常に自分が全て分かったとか自分が全て正しいなどと思ってはならない、私たちは「心の思い計ることは、初めから悪である」「人間に過ぎない」存在であることを心に刻み、主の前に敬虔であることについてお話ししました。

最後に繰り返しこのチャペルで語ってきたマルタについてお話しします。

ヨハネ12章 1 節〜3節

イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。
マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった、家は香油のかおりでいっぱいになった。

 ここにはマルタと妹マリア、そして弟ラザロが出てきます。3人は兄弟です。両親はたぶん、おらず、長女のマルタが一家の切り盛りをしていたようです。ラザロは病気で死んだのですが、イエスによって墓の中から呼び出され生き返りました。奇跡を体験したのです。その彼はイエスと共に食卓にいます。晩餐の席に参加した多くの人々はラザロを見て、奇跡のことを語り合い、イエスの偉大な力を誉めたはずです。ラザロもイエスに愛された者として羨望のまなざしで見られたでしょう。死後の世界はどのようだったか、生き返ったとき気分はどうだったか、今病気は完治したのか、などなどたくさんの質問をされたでしょう。注目の的です。

またマリアは香油をイエスの足に塗るという特異な行動をとります。この行動はイエスに激賛されました。

「この女は自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」 マルコ14章8,9節

 たしかにイスラエルから見ると地の果てともいえるここ日本の地でもマリアがしたことは教会で語られ、教会学校でも教えられ、マリヤの名前が多くの人々に覚えられています。

そしてマルタはその時どこで何をしていたか。

「マルタは給仕していた。」

 彼女は、弟が人々の驚きの対象になっていることも、妹がイエス様に激賛される行動をとっていることも、気にしません。イエス様とそれ以外のお客様へのもてなしのため、できることをしっかりとしていました。不平を言うことなく。
私だったら、ラザロの横に座って私マルタがイエス様をたびたびわが家に呼んでおもてなししたのでイエス様はわが家を愛してくださり、弟を助けてくださったのだと、ラザロに起きた奇跡と自分との関係を語っていたでしょう。そして人々の注目の的になっていたでしょう。
あるいはマリアと一緒にイエスに香油をぬっていたでしょう。マリアがイエスに塗った香油はマルタが家長として家計をやりくりする中で自分とマリアの婚姻ように買っておいたものだったかもしれません。もしそうしていればマルタもイエス様に称賛されその名前も全世界で覚えられていたでしょう。

 しかし、マルタはラザロのように人々から注目されることもなく、マリアのようにイエスからも誉められることもいっさいなかった。それを求めませんでした。晩餐会をもつためには給仕が必要です。その役割に彼女は満足していました。なぜ私だけが給仕をするのか。妹が手伝わないのかなどといった不平不満は一切ありませんでした。

 私は国際キリスト教学専攻のモットーとするみ言葉をヨハネ12章2節「マルタは給仕していた」にしたいと願い、チャペルなどで話してきました。
国キは、教会でみ言葉を語る、福祉施設で愛の奉仕をするなどが目に見える神学科や福祉専攻と比べて卒業後の姿が具体的ではありません。他人と比べることなく、人々に注目されたり、イエス様から称賛されたりしない、地味な奉仕の場もある。与えられた場所でいつも喜んでなすべきことをしっかりする、それが国キの目指す奉仕者です。

 私も26年間、TCU国キで学んだことを持って「卒業します」。どこに行っても誰にも注目されなくても、主が与えている良き行ないを、主の前に敬虔な姿勢で実行していく、そのような者となりたいと願っています。

お祈り

(本稿は2017年2月にTCUの退任チャペルで話した内容に、退任後、言い足りなかったことを一部加えたものだ。)