アベノミクスを追う(2)-中川晴久-


中川晴久
東京キリスト教神学研究所幹事
主の羊クリスチャン教会牧師
日本キリスト者オピニオンサイトSALTY 論説委員

<デフレからの脱却>
 2012年12月からスタートした第2次安倍政権は「デフレからの脱却」を掲げ、経済政策を前面に打ち出しました。3本の矢で構成される「アベノミクス」です。1本目の矢はアベノミクスの主軸で「大胆な金融政策」、2本目は「機動的な財政政策」、3本目は「民間投資を喚起する成長戦略」です。

 今回はこのアベノミクスがまず焦点に当てた「デフレからの脱却」の必要を見ていきたいと思います。

 そもそもデフレとは「デフレーション」の略で、物の値段(物価)が下がる経済現象のことです。物の値段といっても一般的な物価水準で、すべての商品の加重平均(物価指数)です。今は単純な話なので単に物の値段を物価というのだと理解で大丈夫です。

 物価が下がれば、安く買い物ができるから助かります。しかし、商品を生産している企業は安くしないと売れないので力を失い、そうなれば働いている人の給料は下がり、人手があまるので失業者が多く出るようになります。
これが厄介なのは、物価がどんどん安くなるのでありがたいと思えてしまうことです。それは一見、私たち消費者にとって良いことのように映ります。しかし、その実は悪魔の戦略かと思えるほどです。モノの安さで人を喜ばせ、結果、私たちが苦しむことになるのです。まず覚えておいてほしいことは、「良いデフレなんてない。」ということです。

 もちろん我が家の近くにも100円ショップできたときは、私も大喜びでした。普通モノが安くなれば、私たちが嬉しがるのは当然です。しかし、しばらくして100円ショップの斜め前にあった個人経営の小さな雑貨店が店をたたみました。また、私の実家の近くの商店街では、私の幼馴染が経営していた店がつぶれました。商店街の入り口付近にあった比較的大きな文房具店で、商店街の目玉のような存在でした。他にも、飲食店を経営していた私の知人の親が資金繰りが悪化して自殺してしまいました。リストラの話なども含めて、みなさんも多かれ少なかれ、身の回りに起こったデフレの恐ろしさを知っているはずです。ところが、日本ではデフレ容認論の方が一般的にも経済の専門家の間でも主流だったのです。だから恐ろしいのです。デフレは経済の病気です。「良いデフレ」なんてありえません。

 デフレで経済が低迷し続けると、何よりもそれは失業に反映されます。そしてこれを放置すれば膨大な累積的な人的被害となります。これを証明するために、自殺者数と失業者数の年間推移のグラフを作ってみました。データは総務省統計局「労働力調査」と警察庁「自殺者数の状況」からのものです。

 ご覧の通り、疑いを挟む余地なく、自殺者数と失業者数は見事に相関しています。経済は人命に関わります。経済は人の「衣・食・住」といった生きる上での重要な問題なのです。

 グラフを見ると、2008年9月のリーマン・ブラザーズの経営破綻が引き金になって起った世界的な金融危機(リーマン・ショック)の影響が大きかったことがわかります。2009年には失業者数も自殺者数も跳ね上がっています。当時の自民党の麻生太郎内閣はまだ対処を知りませんでした。続く、民主党政権もそうです。ただ民主党政権下で失業者数は結構な割合で下げてきています。それでもデフレ不況に対する処方が分からないので、放っておくとデフレ下であるのに増税につぐ増税での緊縮政策をやろうとする危険なものであったことは確かです。ですから、このグラフを見る限り一概に自民党政権がよくて民主党政権が悪いとは言えません。そのようなことより、何よりも処方箋がなかったことの方が問題なのです。さらに日本全体でデフレ容認論が主流なのですから、処方箋も何もありません。

<クルーグマンの警鐘>
 日本のデフレの危険について何度も警告しつづけたのが、米国の「リフレ派」の代表的な経済学者であるポール・クルーグマンでした。
「リフレ派」とは、金融政策を軸によって緩やかなインフレをつくっていきたいと考える人たちです。クルーグマンは2008年にノーベル経済学賞を受賞するなど、世界から認められている優れた経済学者です。2002年に日本で出版された著書『恐慌の罠』では、日本のデフレ分析に関するクルーグマンの論文がまとめられています。これを見ると、かなり前から日本のデフレ不況について警鐘を鳴らし続けていたことがわかります。

 クルーグマンの問いかけは「これからどうする?」です。ほとんどの経済学者が「どうしてこうなった?」と原因を分析してあれこれ言っているとき、クルーグマンはそのような議論よりも、「どうやって回復するかを優先せよ。」といいます。「心臓発作の原因がわかっても、その治療法がわかるのとは話が違う。」(クルーグマン著『さっさと不況を終わらせろ』)のです。これに応答するかのごとく、日本のリフレ派の第一人者であるイエール大学名誉教授の浜田宏一氏が「日銀が〈患者に有効な薬を処方しない医者〉なら、閣僚たちはそもそも医学を知らなった・・・。」(浜田宏一著『アベノミクスとTPPが作る日本』)と言っています。つまり、日本にはデタラメな経済理論や俗説が横行していたのです。

<経済の不穏な俗説>
 経済の俗説は「物価が下がれは安く買い物ができる。」「デフレは人口減少が原因だ。」「インフレは危険だ。」などですが、常識では考えられないデマとトンデモ説までもがまかり通っていました。酷いものでは、円高デフレで苦しんでいる真っ最中に「円高は日本に良いことだ。」「増税すれば経済は成長する。」「利上げすれば景気が回復する。」などいう主張がありました。デフレをさらに促進するようなことを政治家たちは平気で言っているのです。日銀を筆頭に、偉い学者たちがそのようにいうからです。日本の経済理論の主流は、経済を回復する方向とはまったく反対方向に全力で疾走していたのです。

 米国の最先端の経済学理論であるリフレ派理論は、実はまだ日本では少数派なのです。このリフレ派理論をアベノミクスは処方箋として用いたのだから、今もアベノミクスに対する批判は重箱の隅をつつくようになされます。

 経済理論は一般の人にはなかなか理解しがたく、どうしても専門家に頼る他ありません。その経済の専門家たちがアンチ安倍とばかりに、批判します。その専門家たちが何を言うかと思えば、「日本の円は基軸通貨になるために1ドル50円の円高すらも耐えねばならない。」「金融緩和でハイパーインフレになる。」などと、テレビ、新聞、雑誌などを通してさんざんトンデモ説を語っています。本人たちはポジショントークをしているのでしょうし、それが許されると思っているのでしょう。またアンチ安倍であれば支持層に受けるし、真実なんてどうでもいいのかもしれない。でも、そのために多くの日本人が自殺にまで追い込まれるとなれば、話は別です。デフレの本当の正体は、人なのではないかとすら思えてきます。日本経済を貶めるためとしか思えない、それは不穏な言動でもあります。聞いていて恐ろしい話です。

 アベノミクスがやらねばならないのは、経済論争だけではありません。このような経済の不穏な俗説を分かってか分からずかで支え後押ししている勢力や構造と闘わねばならないのだし、何よりも経済の俗説を受け入れ刷り込まれてしまっている日本人の考え方や心を変えていかねばならないのです。

 安倍政権は日本経済を病ませているデフレに対して、アベノミクスという処方箋を持ち込みました。このアベノミクスを一緒に追っていきましょう。

アベノミクスを追う(1)