戦争について考える(その1)−後藤 望−

<戦争に関する法律を学ぶ>

後藤望(ごとう のぞみ)
元航空自衛官、救難員として奉職。
現在は鍼灸師として西洋医学の隙間に落ち込んでいる人を助けたいと願っている。 将来はネット伝道師として働きたいと、現在JTJ宣教神学校で勉学中。 ベンチプレス105キロの体育会系クリスチャン。

「戦時国際法」について

戦時国際法

 「戦時国際法」とは別名戦争法、武力紛争法、国際人道法と呼ばれています。その内容は「戦争とは避けられないもの」という前提から、いかにフェアに戦うか、戦い方はどうするのか、誰と誰が戦うのか、戦う力を失った人、戦う力のない人の扱いはどうするのか、といった事を規定した法律です。

 勿論これは遠い根拠を探れば、紀元前12世紀のハンムラビ法典の精神から発しているのは間違いないでしょう。「目には目を、歯には歯を」の条文が有名ですが、このことばの意味するところは、「やられたらやり返せ!」ではなくて、やられてたら「倍返し」をしたい気持ちをぐっとこらえて、同害報復を限度とせよという意味なのです。つまり、「目に損害を受けた場合相手の目に同じくらいの損害を加えるまでにとどめよ」、「歯に損害をうけたならば、相手の歯に報復をする以上のことをするな」、という意味であり、その精神は「過剰報復の禁止」にあるのです。

 大きな括(くくり)りから考えてみれば、フェアな戦い、戦い方、戦闘員・非戦闘員の規定などは「過剰な事は不法である」という趣旨が根底にあるからだと思われます。こういう考え方が西欧での決闘のマナーにつながり、それが近代の戦争法に繋がっているという流れがあるのです。
このように根底に流れるものが「道徳」「倫理」である以上、その流れを共有する同士でなければ戦争法自体が成立しません。現代においてはこの国際法が、しばしば無視されて現場が大混乱に陥ることがありますが、その理由がここにあります。

 「俺たちはその道徳・倫理に縛られない」と宣言してしまえば、立場上はその規定外に立つことになるからです。
また、全くその逆に、戦争法を知らない民族に戦争法規を押しつければ、それを楯に好き勝手なことが行われます。

 いうまでもなく前者はテロリストなどが少年兵を使ったりするやり方ですし、後者の明確な例としては、米比戦争(1899年~1902年)で「ゲリラだから保護しない」と10才の子供たちをも集めて処刑したマッカーサー将軍のやり方です。

 このように一方の無知、双方の無知、無知に付け込んだ宣伝戦、無知を利用した煽動・宣言など、近代・現代ではますます混乱しています。米比戦争、インドネシア独立戦争、南京事件、ベトナム戦争、各地の内戦での混乱はこれに起因することが殆どです。戦時国際法は上記の通り、人類の長い歴史の中で少しずつ積み重ねられたものの集大成ですから、国際会議が開催されて、いついつの時点から参加国が批准して効力を発揮・・というような性質の法規ではありません。今までの人類の歩みの中で、その都度その都度決められてきた人道的な取り決めから決まってきた法規を総称して呼んでいます。その戦時国際法の基本的骨格は「ジュネーブ条約」と「ハーグ陸戦条約」の二つです。


ジュネーブ条約

「ジュネーブ条約」は、1864年に発効されました。これはスイス人の銀行家アンリ・デュナンという人物が、イタリア独立戦争の戦傷病者の扱いに衝撃を受け「ソルフェリーノの思い出」という本を出版したのが切っ掛けとなり、戦傷兵国際救済委員会(後の赤十字国際委員会)が組織され、それが中心となって、「戦争傷病者の状態改善に関する条約」が締結されたのです。戦争によって負傷し戦闘能力を失った兵士が、凄惨な報復を受けたり、傷病を放置されて非人道的な扱いをうけていた状況を改善しなくてはならない、その為にはどうしたらいいのかという条約です。

 負傷して無抵抗になった兵士を殺傷することはもちろんの事、傷病を放置したり することも間違いなく過剰報復に値するという考え方です。このデュナンの始めた戦傷兵の保護運動は、その前に起こったクリミア戦争におけるナイチンゲールの活躍に触発されたものなのです。フローレンス・ナイチンゲールは、赤十字活動には従事していませんが、その二年間の看護活動の中で、時には政府とも対立し、その華々しい活躍が現在も世界中から称えられているのです。

「ジュネーブ条約」は、当初は「戦争傷病者の待遇改善」が規定されていたのですが、その後「ハーグ陸戦条約」などの文面を取り入れて何度も改定が行われています。


ハーグ陸戦条約

 現在では、1949年に発効されたジュネーブ諸条約、追加議定書などで戦時国際法の細部にわたる様々な規定がなされています。ですからジュネーブ諸条約・追加議定書の内容は、「ハーグ陸戦条約」と重複するところが多く、完全に分離しているわけではないようです。またハーグ陸戦条約の発端は、化学兵器および毒ガスの使用禁止を規定することが目的だったようです。「ジュネーブ条約」のほぼ50年後の1899年に、オランダのハーグにおける会議で条文化されたとのことです。

 その内容は、交戦者の資格・定義、非戦闘員の定義・資格・義務・権利、捕虜の定義・権利・義務、占領地における軍の権利・義務、兵器の制限などが、細かく規定されています。陸戦条約につづいて海戦条約、空戦条約も討議されているようですが、発効・批准までには至っていないようです。注目すべきことは、この条約で縛られるのはあくまで条約批准国同士である事で、片方が批准をしていなければ条約違反にはならないことです。

 しかしこの条約は、ジュネーブ条約と並び、現代においては戦時国際法の骨子となっており軍事の常識となりつつあるため、これに違反することは世界各国からの非難の対象になることを意味します。

 いずれにせよ人類は長い戦いの歴史の中から「過剰報復の禁止」という観点から始まり、「やむを得ず戦う」にしても、人道から逸脱しないというルールを必死に探ってきました。

 女性や子供であっても容赦ない残虐的な古代、そして非戦闘員という考え方が生まれてきた近代の流れから、現代のこの戦時国際法という流れがあるのです。
最初に述べたように、「ジュネーブ条約」、「ハーグ陸戦条約」からなる戦時国際法の根幹(発祥)は道徳であり倫理なのです。しかし「その道徳・倫理には縛られない」と宣告してしまえば、どうする事もできません。それが現代のテロリストであり、世界各地の内戦における非道な行いに繋がっているのです。だからと言って、そうした行いをする者たちに対して同じ行動を起こすわけには行きません。

 地道に人類の普遍的価値観になってきた「人道」について子供たちをはじめ大人たちに教育しながら、同時に戦時国際法を世界各国の兵士たちに教育するしか方法がないのです。

(その2につづく)