玉虫色の米朝合意をどう読むか −西岡力−

 

 

西岡力
(救う会会長・本サイト主筆)

産経新聞6月14日掲載「正論」コラム

玉虫色の米朝合意をどう読むか


都合の良い「朝鮮半島の非核化」

 12日の首脳会談で米朝は「朝鮮半島の完全な非核化」実現で原則的な合意をした。これが米国の思惑通り北朝鮮の核兵器完全廃棄の方向に進めば、北朝鮮は見返りとして日本からの多額の経済協力資金を得ようと日本に接近してくる。すでに5月段階で、北朝鮮政権内部筋は私に、米朝協議がうまくいけば、2002年の小泉純一郎首相訪朝時の日朝協議で取ることに失敗した多額の過去清算資金を受け取るという方針が決まっていると、話していた。

 では米朝首脳会談はうまくいったのか。私は会談の結果は3つの可能性があると指摘してきた。すなわち、
(1)金正恩委員長が譲歩して全ての核ミサイル、生物化学兵器の廃棄を実行する
(2)トランプ大統領が核問題での中途半端な合意をしてしまう
(3)決裂して昨年10月頃の軍事緊張状態に戻る-だ。

 少なくとも現段階では(3)にはならなかった。共同声明は玉虫色の表現で書かれており、トランプ氏側から読むと(1)とも解釈できるが、北朝鮮側から読むと(2)とも解釈できる。両者が都合良く解釈できる鍵になる言葉が「朝鮮半島の完全な非核化」だ。共同声明では「金委員長は朝鮮半島の完全な非核化への揺るぎない、固い決意を再確認した」「北朝鮮は朝鮮半島の完全な非核化に向け取り組む」と2回、この言葉が書かれた。


用語と実態を取引した可能性

 「朝鮮半島の完全な非核化」という場合、すでに1990年代初め韓国から米軍の核は撤収したのだから、北朝鮮の核兵器の完全な廃棄を意味すると考えるのが常識だ。ところが、北朝鮮の定義は常識と大きくかけ離れている。

 2016年7月6日に北朝鮮政府代弁人が「『北の非核化』詭弁(きべん)は朝鮮半島非核化の前途をより険しくするだけだ」と題する声明を出した。そこで主張した「朝鮮半島の非核化」は、核兵器があるかもしれない在韓米軍基地を査察し、核を積める戦略爆撃機や空母、潜水艦など戦略兵器の北朝鮮接近を禁止し、在韓米軍を撤退させることが含まれていた。これが2年前の北朝鮮の立場だった。

 金正恩氏がこの立場を変えたのか、変えないままトランプ大統領をだまそうとしているのか。共同声明とトランプ大統領の会見だけでは明確にならない。
しかし、北朝鮮のだましの手口をよく知っているジョン・ボルトン安保担当補佐官が首脳会談に同席したから、むざむざとだまされたわけでもないはずだ。そのような目で共同声明を見直すと「金委員長は朝鮮半島の完全な非核化への揺るぎない、固い決意を再確認した」という先に引用した部分のすぐ前に「トランプ大統領は北朝鮮に安全の保証を約束し」と書かれていることに大きな意味があることが分かった。米朝の相互の約束が安全の保証と非核化なのだ。

 来週にも始まるポンペオ米国務長官と北朝鮮当局者の協議で、北朝鮮側が在韓米軍基地査察や米軍撤退などを持ち出せば、今回の首脳会談でトランプ大統領がだまされたと分かる。そうなれば「北朝鮮の安全の保証」を無効にして、厳しい軍事圧力をかけるだろう。

 なぜ米国は「北朝鮮の非核化」という語を求めず、「朝鮮半島の非核化」という語を使うことを許容したのか。金正恩氏が核ミサイルを米国に持ち出されることを容認する決断をしたが、国内の動揺を抑えるために言葉上は過去に使ってきた「朝鮮半島の非核化」を使わせてほしいと懇願した可能性がある。首脳会談の前日夜に行われたポンペオ国務長官の会見でも「朝鮮半島のCVID(完全で検証可能、不可逆的な非核化)が、米国が受け入れられる唯一の結果」と語っていた。この時点で用語では譲るが、実態では譲らないというディール(取引)が米朝間で成立していたのかもしれない。


拉致組み込みは大きな外交成果

 金正恩氏は父の死後、父ができなかった日本からの過去清算資金を取ることで、父の権威を乗り越えたいと考えていた、という内部情報がある。金正恩氏の狙いを安倍晋三首相とトランプ大統領は十分承知し、CVIDを呑(の)め、呑んだら日本が多額の経済協力をするというメッセージを送ったのだ。トランプ大統領の立場では、自分が金正恩氏と行うディールの中に日本が出す資金を見せ金として組み込んでいるのだ。トランプ大統領が拉致問題を取り上げたのは、安倍首相の熱意や人道主義の立場だけではない。自国の財布は開かず、かわりに日本の資金をディールに使おうとしているのだ。

 日本から見ると米朝首脳のディールに拉致問題が組み込まれたことは、大きな外交成果だ。米国の軍事圧力を拉致解決の後ろ盾に使うことができる構造を作り上げたことになるからだ。日本は蚊帳の外などではなく、米朝のディールの一角に拉致問題解決と経済協力を組み込ませることに成功した。

 次は、日朝の裏交渉だ。そこで全被害者の即時一括帰国が実現できると判断したとき、安倍首相が果敢に平壌を訪れ、金正恩氏と最終談判をするしかない。

(モラロジー研究所教授、麗澤大学客員教授・西岡力  にしおか つとむ)