アベノミクスを追う(4)-中川晴久-


中川晴久
東京キリスト教神学研究所幹事
主の羊クリスチャン教会牧師
日本キリスト者オピニオンサイトSALTY 論説委員

 前回:アベノミクスを追う(3)

 2013年1月22日、日銀は大きな政策転換をしました。当時の日銀総裁白川正明氏は、インフレターゲットとして「物価上昇率2%」を目標として受け入れたのです。しかしそにはこの政策転換を迎えて、なおも「面従腹背」で臨む日銀との闘いがあったのです。アベノミクスは単に経済の政策であるだけでなく、長年染みついた考え方や人の心までも変えていく闘いでもあります。この闘いが、今も続いているのです。


<それまでの日銀>

 当初より白川正明元日銀総裁は「インフレ誘導政策を採用すれば、様々な問題が起る。」と語り、自由民主党総裁選挙(2012年9月26日)に合わせて、インフレ目標は「日本経済では現実的ではない。」などと発言するなど、安倍総理が総裁選に掲げたインフレ政策を牽制していました。

これに対して安倍総理が「日銀法改正」を持ち出しすと、白川氏は態度を変えてようやく「2%のインフレ・ターゲット」を受け入れることをしたのです。2013年1月22日(火)この日、政府と日銀は共同声明を発表しました。以下、日銀共同声明は少し分かりにくい文章ですが、今回必要なのは太文字の部分のみです。

 「日本銀行は、今後、日本経済の競争力と成長力の強化に向けた幅広い主体の取組の進展に伴い持続可能な物価の安定と整合的な物価上昇率が高まっていくと認識している。 この認識に立って、日本銀行は、物価安定の目標を消費者物価の前年比上昇率で2%と する。 日本銀行は、上記の物価安定の目標の下、金融緩和を推進し、これをできるだけ早期 に実現することを目指す。」(日銀共同声明:太文字強調は中川による。)

 確かに、この共同声明は日本の金融史における画期的な出来事として位置づけられるものです。とはいえ実際は真逆で、むしろ日銀の病的なインフレ嫌いが露呈した事件だったのです。共同声明において「日本銀行は、物価安定の目標を消費者物価の前年比上昇率で2%とする。」と宣言しても、そこには法的拘束力もペナルティもありません。さらに、「これをできるだけ早期 に実現することを目指す。」というのでは、いわゆる努力目標に過ぎません。性善説的には、「努力目標」を掲げたらやってくれるはずですが、やりたくない人たちにとって「努力目標」というのは、やらないことの免罪符でしかないのです。

 

<日銀の病的なインフレ嫌い~戦後の自虐的経済史観~>

 これまでの『アベノミクスを追う』では、いかにデフレが危険で、緩やかなインフレが経済にとって最も良いものであるか繰り返し述べてきたつもりです。景気と自殺率とは相関関係があり、そこには日本国民の命がかかっています。アベノミクスを語るにあっては、安倍が好きだ嫌いだを言っている問題ではなく、何とかデフレを何とか克服して緩やかなインフレをつくる必要があるということです。ところが、日銀はインフレに対して極端なまでの嫌悪感を持っていました。インフレを潰すことが使命であるとすら考えていたようにもみえます。
おそらく、日銀がインフレに対してすぐにブレーキをかけようとするのは、終戦後のハイパーインフレに対する警戒心が強く刻まれ、それがそのまま日銀のアイデンティティのようになってしまったからとも考えられています。

 戦前、軍部が台頭し始め、1937年以降軍事予算を捻出するための日銀の国債引き受けは増大しています。国策として戦費を調達するために国は大量の国債を発行し、日銀はそれを引き受けるためにお金を刷ることになったのです。戦争に勝ては何かしらはあっても、負ければ得るものがないので当然国家財政は破綻します。戦時国債の莫大な債務負担が残り、さらに米軍の爆撃で生産設備は破壊され焼野原が広がったのですから、終戦直後のモノ不足は深刻となりました。そのため戦後のまだ貧しい時、日本のインフレ率は59%にまで達したのです。モノ不足で国民の生活は困窮しました。このハイパーインフレは、軍部の台頭と軍拡による戦費調達のための歯止めのない緩和策によるものだというトラウマが日銀にはあったようです。確かに、終戦からインフレから1950年に至るまでの日銀はハイパーインフレを抑制するための闘いでした。日本銀行金融研究所の論文『日本の戦後ハイパーインフレと中央銀行』は、これを非常によく教えてくれるものです。この論文にあるグラフを1つ参照すると、小売物価指数は1945年末から1949年にかけて、約100倍になっていることがわかります。

 

 しかし、たとえそうだとしても、時代の流れの中でトラウマを払拭して、現代の経済の現実においては何が有効で何が問題であるかを修正し、考え方を構築しなおしていかねばなりません。それが専門家の役割です。ところが、「戦後のハイパーインフレがトラウマになっています。」では、経済学でなく病いです。これは私の勝手な理解なのかもしれないのですが、戦後の自虐史観とマルクス経済学の色眼鏡で資本主義経済を見ようとする傾向が、もともとのインフレに対する懸念を過度に刺激し続けたからなのかと疑っています。そんなこともあって、私はこの現象を、戦後の「自虐的経済史観」と言っています。そうとはいえ、戦後経済史を学んだ人たちにとって、アベノミクスのリフレ派的な政策は脅威に感じられたことでしょう。

 アベノミクスが効果と実績をもって刷新し、緩やかなインフレが良いと理解されていくまで、財務省や日銀では浜口雄幸内閣を高く評価していたようです(高橋洋一著『アベノミクスで日本経済大躍進がやってくる』p.89.参照)。浜口内閣は「金解禁」と「緊縮財政」で日本を深刻な恐慌(昭和恐慌 1931-32年)に巻き込んだ張本人です。ところが一方で反対に、2%ほどの緩やかなインフレ(実質経済成長率は7%)を誘導し昭和恐慌から奇跡の景気回復へと導いた蔵相、高橋是清の金融政策については見向きもされていません。

 浜口雄幸内閣は、為替の安定には絶対必要だとの頑固なまでの信念で「金本位制」を断行しました。そして、日本経済を世界的な恐慌の渦に巻き込んだのです。金本位制であれば、お金の価値は金に裏付けられ、通貨発行量は手持ちの金の量に制約されてしまいます。そうなれば、日銀は通貨を発行して十分な緩和策ができないのでデフレは深刻化してしまいます。間違った経済政策だったのです。
では
なぜ浜口雄幸の評価が高いか。これも私の予想ですが、1930年に彼はロンドン海軍軍縮条約を締結することで、軍事予算を減らし兵力の削減をしたからです。日本は侵略戦争をしかけたのだという自虐史観であれば、当時軍事予算を削減した内閣の経済政策は正しいと思いたかったのかもしれません。浜口雄幸の信念や歴史認識においての評価が分かれてもいいでしょう。しかし、マクロ経済において、浜口雄幸内閣のやったことは大失敗です。大失敗であっても、軍事予算が削減すれば成功とでも思っていたのでしょうか。


<日銀の面従腹背>

 「面従腹背」という言葉があります。「表面では服従するように見せかけて、内心では反抗すること。」を意味しています。共同声明と同日に決定した日銀の緩和策は、まさにこの「面従腹背」そのものだったのです。

 日銀は国債などの金融資産を買い入れることで、お金(日銀券)を発行するので、お金は市場に出回りマネタリーベース(日本銀行が供給する通貨を増やすこととなります。簡単に言えば、市場にお金が増えると思えば、物に対して相対的にお金の量が増えるので「円安」に誘導することなります。「円安」に誘導できれば、日本の輸出産業が他国よりも有利な価格で商品を売ることができます。

 政府と日銀の共同声明の日、日銀は具体的な緩和策として「期限を定めない資産買入れ方式」の導入を発表し、毎月購入する金融資産を13兆円としました。そして2015年以降も日銀は金融資産を買い入れていくことを決定したのです。

 当時この13兆円というのは、市場を驚かせるだけの額です。これだけ見ると、ついに日銀は日銀はやる気になったか!と思えるはずでした。ところが、発表してすぐに為替レートは円高、日経平均株価は株安へとなりました。毎月13兆円は13兆円でも、内訳を見てみると「総額13兆円程度 、うち長期国債2兆円程度 、国庫短期証券10 兆円程度 」となっています。国庫短期証券はすぐに償還期間がくるので、実質的には長期国債の2兆円だけです。つまり、驚くことに、2014年中に増えるのは10兆円程度なのです。1ヶ月間で13兆円はめくらましで、1年間でたった10兆円ということです。


<アベノミクスという闘い>

 アベノミクスは、単に経済政策だけの問題ではなく、そこに関わってくる俗説を退け、長年染みついた考え方を変え、国民の意識も変えていかねばならないものでした。もし、日本にアベノミクスがなく、そのまま日銀特有の考え方に振り回されていたのだとしら、今頃日本はどうなっていたのでしょうか。考えただけでも恐ろしいことです。そして、今に至るもまだまだアベノミクスの経済理論は少数派の理論です。だから、反対勢力も強く、古い思考のより戻しもあるでしょう。

これはアベノミクスという名の闘いです。そして、その闘いの最初の舞台が日銀だったということなのです。何としても日本の中央銀行の金融政策の枠組みをレジーム・チェンジすることが第一に必要でした。その時、たとえ内容は真逆の「面従腹背」であったとしても、2013年1月22日の日銀共同声明は一つの節目を得るものだったといえるでしょう。その金融政策の狙いは、市場に染みついたデフレマインドを変え、緩やかなインフレ予想へと転換することです。

もし、アベノミクスが反対勢力によって歪み、挫折したら・・・その危険が多々あるのです。