信仰者に学ぶ(第二回)~アッシジのフランチェスコ(2) −中川晴久−

中川晴久
東京キリスト教神学研究所幹事
主の羊クリスチャン教会牧師
日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY- 論説委員

<第二回目の回心> 

 信仰者に学ぶ(一)では、フランチェスコの第一回目の回心について触れました。彼はそれまで忌み嫌っていたハンセン病の患者を抱きしめ、手に口づけしたとき、天の御国が開かれるような体験をしたのでした。それから間もなくして、第二回目の回心が起ります。彼は十字架から語りかけるイエスさまの声を聞いたのでした。
 「回心」というのは、自己中心的な生き方をやめて、神さまの望みのままに生きるという徹底した方向転換を意味しています。フランチェスコは単純ですから、そのことがとても分かりやすいのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ある日、フランチェスコが廃墟となっていたサン・ダミアノ教会の前を通りかかった時のことです。彼は神の霊に導かれて、崩れたサン・ダミアノ教会に入りました。土ぼこりを被った十字架を前にひれ伏して祈り始めたとき、不思議な神さまの語りかけを聞いたのです。

 「フランシスコよ、行ってわたしの家を修復しなさい。あなたが見ているように、それは全く崩壊にひんしているではないか。」(チェラノのトマスによる『聖フランシスコの第二伝記』)

 神さまの直接の語りかけは、絶対的なものとしてフランチェスコの心をとらえました。
もし本当に神さまに直接語りかけられたとしたらどうでしょう。おそらく被造物である私たちは、創造主の御言葉の前に、砕かれることなしに立つことはできないでしょう。私たちが神さまからの絶対の声を直接聞くならば、頑なに固持していた古きモノは価値を失い、脆くも全て崩れ去ってしまうのです。古きモノが崩されて後に、その御言葉に歩むべく新しく建て直される必要があるからです。

 本当にその言葉が神からのものであるか否かは、言葉を受け取った本人自身がその後どう生きるかで分かります。フランチェスコは、早速この崩壊しているサン・ダミアノ教会の会堂を修復することに全精力を注ぎ込むことになります。

<父親との断絶>

 「わたしの家を建て直しなさい」と語られたフランチェスコは、高価な織物を自分の店から勝手に持ち出して売ってしまいました。そして、売って得たお金を教会堂修復のために、司祭に差し出してしまったのです。これらを親に黙って勝手にやったのですから、当然、父ピエトロは烈火の如く怒ります。ところが、フランチェスコは態度を改めるどころか、逆に家から飛び出し、貧しい身なりをして、自分の出会ったキリストの姿に倣おうとしました。ついに、父ピエトロは息子を訴え、絶縁するに至ります。家を追い出され無一文となったフランチェスコは、教会堂修復のために寄付を集めたり、物乞いをするようになりました。

 後に、フランチェスコは生涯のうちで一番つらかったのは何であったかという質問に対して、父親との決裂であったと小声で告白したそうです。父親の財産を売って献金しようとしたり、勢いで無理をして奉仕をしたりと、フランシスコの行動には多々問題があったと言えるでしょう。しかし、それらの問題も含めて、彼は「行ってわたしの家を修復しなさい」という神の召命にあって、考え方も行動も改めていきました。「召命」とは、神の呼びかけです。そこには神の目的があり、信仰者は使命を得ます。神さまが必要とし、それに応えるところにその人の生きる意味も見出されるからです。人は自分に与えられた神の召命あって忠実に歩むときに、本当の意味で成長していくのかもしれません。

<召命と成長>

 

 

 

 

 

 フランチェスコは「行ってわたしの家を修復しなさい」という十字架からの言葉を単純にそのまま、荒廃したサン・ダミアノ教会を修復することであると理解していたようです。最初の2年間は、世間からは気が狂ったのだと思われ、旧友にも笑われていました。しかし、彼は真剣でした。フランチェスコはサン・ダミアノ教会を修復してしまうと、他の教会堂もまた神の家であると思うに至り、次から次へと他の教会堂の修復に回り始めました。その頃になると、アッシジの町の人々もフランチェスコが本気でやっているのだと、徐々に理解をし始めました。彼は持ち前の明るさで神を賛美して、祝福を祈ることを通して、いつしかアッシジの人々から愛される存在になったのでした。

 そんなあるとき、教皇インノケンティウス3世が霊的な夢を見ました。

「教皇は夢で、ラテラン大聖堂が崩壊しかかっており、それを背中の貧相な一人の修道士が自らの背中を押し当てて、それが倒れないように支えているのを見たのであった。」(チェラノのトマスによる『フランシスコ第二伝記』)

 当時権力の中枢にあった教皇インノケンティウス3世は、フランチェスコたちが謁見に来た時、夢の中の修道士であると分かり彼の足元にひざまずいて、フランチェスコの足に接吻しました。このことを通して、フランチェスコの霊性に学ぶものが多くでて、キリスト教界に霊的刷新運動が起ったのです。「行ってわたしの家を修復しなさい」という神さまの言葉は、サン・ダミアノ教会のみならず、キリスト教界全体の修復を語ったものだったのです。単純に、教会堂の修復のことだと思って歩んだその先に開かれていた展開は、キリストの体としての教会全体の霊的刷新だったのです。

新改訳 ルカ16:10
小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。

 

信仰者に学ぶ(第一回)~アッシジのフランチェスコ(1)