キリスト教用語としての「神」 −久保田 Ukon 典彦−

『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ukon:第8回

 

 

 

 

久保田Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

キリスト教用語としての「神」

● 今、私たちクリスチャンは、天地創造されたお方を 「神」 と呼び、理解しているわけですが、ここに至るまでには、宣教師達・キリシタン達のはかり知れない模索と とてつもない労苦があったことを覚えます。

 宣教師達は、キリスト教の基盤も用語も何もない日本の民に、天地創造されたお方を伝えていこうとしたわけですが、ラテン語やポルトガル語で伝えていくわけにはいきません。
既成の日本語に置き換えて、伝えていくことになります。

 そうした中で選ばれた日本語が 「大日」 であり、この言葉を用いて宣教を進めていったわけですが、大日は、聖書で語られているお方ではありません。「神」 という言葉はありましたが、八百万の神や仏のことでしたから、問題外でした。「大日」 という言葉によって 日本の民がすでに認識しているものの意識を変えていくことは不可能なことで、逆に、誤解や誤った認識を与えていっただけでした。

● そこで、既成宗教との違いを明確にさせるために取られた方法は、原語をそのまま使用していくことでした。
大日を 「デウス」 に変えて伝えていきました。

 この方法だと、そのままでは意味がわかりませんが、大日であろうと・デウスであろうと、正しく伝えていくためには、くり返し ていねいな説明が必要です。 きっちり説明されますと、先入の意識がない分、「デウス」 の方が正しく認識されていきますので、意味がわかると、むしろ この方がよいということになります。 大禁教・潜伏の時代になり、キリシタン達は 「デウス」 を信じ続けていきました。

● 江戸時代の 鎖国が解かれ、明治になって、一からの宣教が進められていく中で、新時代に合わせていく形で、漢字を用いた 中国用語が採用されていきました。

「デウス」 は、「天主」 という、中国で用いられていた 新造語が使われていきました。 しかし、中国的な表現ですので、定着することはむずかしかったようです。
既成の日本語 「大日」  原語 「デウス」  新造語 「天主」

● そして、時代の流れの中で、模索・検討された結果、採用されていったのが、既成の日本語の 「神」 という言葉でした。

 日本語の 「神」 という言葉には、もともと 別の意味がありますのでキリシタン時代には、この言葉を使うことは 考えられないことでしたが、現代では、キリスト教でいう・聖書でいう 天地創造されたお方を「神」 と表現することが 定着してきています。
しかし、「デウス」 のように、違いを明確にする言葉ではありませんので、ていねいな説明が くりかえし なされていかなければならないことは、変わりがありません。

 確かに、既成の日本語で、聖書の神・天地創造神・三位一体の神を伝えていくことが出来るとしたら、それに越したことはありませんよネ!

[ 参考図書 ] 「キリシタンの心」 (チースリク・著、聖母文庫)

久保田 Ukon 典彦

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
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「髙山右近研究」をライフワークにしています。
髙山右近やキリシタン達を通して、いっしょに考えていければと思います。