“高札撤去” ・ 信教の自由 ? − 久保田 Ukon 典彦 −

・写真:「キリシタン禁制の高札」(江戸時代)・カトリック高槻教会 所蔵

『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ukon:第10回

 

 

 

 

久保田Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

“高札撤去” ・ 信教の自由 ?

 明治時代になっても まだ、キリスト教禁教 が続いていたようですが、どういう事情だったのでしょうか。

 1858年 ( 安政5年 ) に、アメリカ ・ オランダ ・ ロシア ・ イギリス ・ フランス と 「 通商条約 」 が締結され、鎖国が解かれて、開国していきましたが、“ 関税自主権 ” や “ 治外法権 ” などの点で、不平等な条約でした。

 こうした 不平等条約の改訂に向けての 地ならしのため、1871年 ( 明治4年 ) に、岩倉具視を団長とする使節団 ・ 48名( 他に 5名の女子留学生 ) が、横浜を出帆、海路、アメリカ ・ 続いて欧州諸国 ( イギリス ・ フランス ・ ベルギー など ) を巡訪しました。

「 キリスト教 迫害中の日本とは、条約談判を中止せよ!」 という強い反対意見もある中で、欧米巡訪の各国で、“ 宗教弾圧 ” が問題にされました。
日本の キリシタン弾圧は、欧米において、悪名が高いものでした。

キリスト教禁教のまま、“ 治外法権 ” などの 条約改正を求めることは、かえって 国の威信を傷つけるものであることを、思い知らされました。

 旅の途中、岩倉大使が、欧州から 電話で要請してきたことを受けて、1873年 ( 明治6年 ) 2月24日、明治政府は、太政官布告をもって、 “ キリシタン禁制の高札を撤去 ” したのでした。

1614年に、江戸幕府によって始まった キリシタン禁制は、明治新政府も そのまま継承していましたが、259年ぶりに、その効力を失ったのでした。

● しかし、 “ 信教の自由 ” が許されたのではありません。

「 高札場 御取除き相成り候 御趣意は、もとより、異宗 ( キリスト教 )を黙許せらるべき御趣意には 無之事 」 ━━ と 述べています。

高札の撤去は、欧米人の 強硬な批判と、外国政府の勧告に動かされ、“ 条約改正 ” 達成の 成否 ・ 損益を考え、打算の上に立って考慮され、実現したものでした。

その後も論議は続いていき、
1889年 ( 明治22年 ) 発布の、「 大日本帝国憲法 」 第28条に“ 信教の自由 ” の条文が 規定されて初めて、キリスト教を信じる、信教の自由が 法的に保障されていったのでした。

※ [ 参考図書 ]  「 日本キリシタン殉教史 」
       ( 片岡弥吉・著、時事通信社 )

久保田 Ukon 典彦

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
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「髙山右近研究」をライフワークにしています。
髙山右近やキリシタン達を通して、いっしょに考えていければと思います。