救いの証し − 石川信隆 −

救いの証し                                    2018.12.7

 

 

     
石川信隆
防衛大学校 名誉教授
コルネリオ会(防衛関係キリスト者の会)会長

この度、コルネリオ会会長の石川信隆さんがご自身の「救いの証し」を寄稿されました。いのちのことば社の『百万人の福音』10月号に掲載されたものです。
あたらめて寄稿文に数枚の写真を加えて SALTY に掲載いたします。

コルネリオ会教職顧問(関西地区)
SALTY 編集長:井草晋一 

 

「わが魂よ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」 (詩篇103:2)                              

きっかけ                                                 

・防衛関係キリスト者会東アジア研修会 
 (2015年両国エデン教会)

 私は、1960年に防衛大学校(防大)4期生として卒業し、陸上自衛隊の第9施設大隊(八戸)に勤務しました。その後、九州大学大学院修士課程・博士課程で構造力学の研修をして、1969年に防大講師になり、それ以来防衛庁(現在防衛省)教官として助教授、教授として34年間勤務し、2003年に退官しました。
 顧みますと、この間、研究の行き詰まりや体調不良でいつもいらいらして心に平安がなく、学生を叱ったり、妻や子供につらく当たっていた時期があり、1978年4月胃潰瘍でヨセフ病院に入院して胃の切除手術を受けました。助教授(40歳)の時でした。
 
 入院中の日曜日の朝、賛美歌が聞こえて来て、涙を枕に流しましたが、まだイエス様に出会うことはありませんでした。退院後も食事が思うようにできず、いらいらが益々つのり、家に帰ると子供たちは自分の部屋に逃げてしまい、学生たちも寄り付かず、いつも険しい顔をしており、教授に昇任しても少しも嬉しくありませんでした。
 教会に行き始めた動機は、防大の今井健次教授が退官パーテーで「クリスチャンって、いいものだよ」と「にこっ」とされ、その一言が忘れられず、1983年10月から妻の通っていた横須賀の馬堀聖書教会に通い始めました。しばらく通ううちに、少しずつ心に平安が与えられるようになりました。私は当時中間管理職(教室主任)になったばかりで、学校の上司からの圧力と教室の下からの突き上げで苦しみ、何か救いを求めもがいていました。

幹部候補生として自衛隊訓練を受けていた時代
・左が筆者(1960年)
・幹部候補生時代に、自衛隊パレードで行進する筆者(左端)

第1回アジア軍人キリスト者大会

・第3回 防衛関係キリスト者会 アジア大会(2002年市ヶ谷) <左端が筆者>

 1986年8月、日本で初めてのアジア軍人キリスト者大会を開催するというので、君も来ないかという誘いを今井教授から受け、参加しました。人手が足りないので、君も司会をするようにと言われ、まだクリスチャンになっていなかったにも拘わらず、韓国、台湾、アメリカなどベテランのクリスチャンの前で、司会を担当しました。
 その大会中、尾山令仁牧師がメッセージの中で大正時代に旧日本軍が韓国の堤岩里(チュアムリ)教会を焼き討ちにした事件を話され、尾山牧師はその「つぐない」をするため、日本で献金を募り、苦労の末やっと教会を復興したお話をされました。メッセージの終了後、韓国代表団が講壇に駆け上り、尾山牧師と固い握手を交わされた光景を目の当たりにしました。その翌朝の早天祈祷会で、私は韓国の若いチャップレン(従軍牧師)と手を握り締め、涙しながら赦しを乞うお祈りをしました。イエス様はこのチャップレンを通して、私の心に神様の赦しと愛を与えて下さったと思います。

特別伝道集会

 その年(1986年)の10月、馬堀聖書教会を開拓されたリード宣教師が、当時のPBA(太平洋放送協会)理事長の羽鳥明先生を教会に招いて特別伝道集会を開催してくださいました。いよいよ2日間の集会が始まり、羽鳥先生が涙ながらに「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。(使徒16:31)」「信じる人は手を挙げなさい。」と言われ、いま手を挙げなければという思いが迫ってきて、思わず手を挙げていました。そして1986年12月7日馬堀聖書教会でリード宣教師から洗礼の恵みに授かりました。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

神様はイエス様の十字架の贖いによって、私のような傲慢な者を赦し、神様の子供としてくださったことを思い、悔い改めと感謝の涙を流さずにはおられませんでした。

防大聖書研究会(Cadet Bible Study)

・馬堀聖書教会員と韓国防大留学生クリスチャン(2012年)

 1988年秋にアメリカの軍人クリスチャン支援団体のピアシ-大佐夫妻が横須賀に来られ、防大で聖書研究会を開いたらどうかという提案を徳梅牧師と私にされました。学内での宗教活動は禁止されておりますので、あくまで文化教養の一環として1989年2月から私の部屋で聖書研究会を始め、退官するまで約14年間、主のお守りの中で徳梅牧師のご指導により聖書の学びを毎月続けることができました。その学生たちの中からクリスチャンが起こされ、彼らは現在も自衛隊の中枢にあって、国を守りながら自衛官クリスチャンとしての良い証しをたてておられます。

今日の一言

 私は、クリスチャンになってから講義の前に、聖書の有名なみ言葉を「今日の一言」と黒板に書いて3〜5分のメッセージをしてから授業を始めました。

  • 「求めよ。さらば与えられん。」(マタイ7:7)
  • 「あなたの道を主にゆだねよ。」(詩編37:5)
  • 「明日のための心配は無用です。明日のことは明日自身が心配します。」(マタイ6:34)
  • 「誰でも自分を高くするものは低くされ、自分を低くするものは高くされます。」(ルカ14:11)
  • 「受けるより与える方が幸いである。」(使徒の働き20:35)
  • 「すべての営みには時がある。」(伝道者の書3:1)、など。

 学生たちの何人かは、卒業後、授業の構造力学の内容は忘れたが、「今日の一言」のことばを覚えていると言ってくれました。また私がクリスチャンになってから、徐々に私の研究室に学生が集まりだし、多くの学生たちが次から次へと博士号取得の恵みにあずかり、まさに主の奇跡が起こりました。また、このみ言葉のもつ威力は、のちの学生たちの人生行路に大きな力を与えていることがわかりました。

 例えば、ある学生は卒業後、部隊勤務中に再び防大の研究科(修士課程)で勉強したいと部隊長へ申し出ましたが、当初聞き入れられませんでした。しかし、「求めよ。さらば与えられん。」のみ言葉を思い出し、遂に部隊長を説得して研究の道を選び、さらに博士課程にまで進学して博士号を取得、現在も自衛隊から選抜されてアメリカで勤務しています。人間は、み言葉一つでこんなにも支えられ、勇気を与えられるものかと驚いた、と言っていました。
www.nda.ac.jp/cc/users/katsuki/kouriki/ichigoichie.pdf
 

コルネリオ会

・コルネリオ会のメンバーとともに

 コルネリオ会(防衛関係キリスト者の会)は、「世界軍人クリスチャンの会」の東アジア地域 (韓国、台湾、モンゴル、日本、キルギスタン、カザフスタン、中国など)に属しており、「あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つです。」(ガラテヤ3:28)をモットーに、毎年各国が順番で大会を開催しています。
 私は第1回目の日本開催のアジア大会(1986年、市ヶ谷)に参加して以来, 第2回目(1995年、池袋)、第3回目(2002年、市ヶ谷)、第4回目(2010年、成田)を企画し主催してきました。またリーダー研修会も2005年(品川)と2015年(両国)に実施しました。
 第5回目の東アジア大会は、2019年8月29日(木)〜31日(土) 横浜オンヌリキリスト教会で開催(大会テーマ:「平安があなたがたにあるように」(ヨハネ20:19))の予定です。
 しかし、これらの大会を少ない人数で準備し、開催するには容易でなく、国際間の交流も困難を極めます。例えば、中央アジア(キルギスタン・カザフスタン)の場合英語が通じず、日本へ入国する場合にはビザが必要です。その必要書類(招待状)を先方に郵便で送っても届かないか、1か月以上もかかります。メールでコピーを送っても先方の日本大使館は認めてくれないことがわかり、やむなく国際宅急便(DHL)を利用することになりました。このビザ取得を通して「愛と忍耐」を学びました。彼らが日本に到着したときの喜びは大きく、また異なる言語での賛美を通してキリストにあって一つとなったときの祝福も主が与えてくださったことに感謝しました。
 この日本開催に対して、主が金学根宣教師や井草普一牧師・徳梅陽介牧師をコルネリオ会教職顧問として送ってくださり、あらゆる面で多大な支援を戴いております。

・防衛関係キリスト者会アジア大会(2002年市ヶ谷)
・Interaction 2017

 さらに多くの牧師先生や賛美奉仕者・信徒の皆様のご協力に心から感謝するものであります。コルネリオ会は、平素は毎月第2土曜日に聖書の学びを東京近辺で行っております。
http://jmcf.s302.xrea.com/)
 

主の恵み

・防護構造物国際会議(1996年ノルウエー工科大学)

 今年(2018年)の11月9日、私は81歳を迎えました。
「数えてみよ。主の恵み」という聖歌がありますが、天と地を創造された主は、私のような傲慢な者に対しても、なんと憐れみ深く沢山の恵みをくださったのだろう。現在も主は、私に土石流災害防止のための鋼製砂防構造物の研究を続けさせ、毎年、「砂防学会」や「防護構造物国際会議」などで論文を発表させていただいています。
 また「主イエス様」との出会いによって日本同盟基督教団の先生方および世界の立派な軍人クリスチャンとの交わりまでさせてくださいました。この祝福と恵みに心から感謝を捧げます。残された時間は僅かですが、主イエス様と人々に仕え、最後まで走り通して「主のご栄光」を表したいと思っております。
 主に感謝して
      

 

● プロフィール
石川 信隆(いしかわ のぶたか)
1937年生まれ
60年、防衛大学校土木工学科卒業。
65年、九州大学大学院工学研究科修士課程修了。
68年、同大学院工学研究科博士課程修了。
71年、カナダの大学の客員研究員。
79年、防衛大学校教授となる。
86年、馬堀聖書教会で受洗。
同年のコルネリオ会 第1回大会 参加以来、現在も責任者として関わっている。

 

・『百万人の福音』2018年10月号「Story of the people:あしあと」に掲載。
 2018-1030  いのちのことば社「百万人の福音」編集部より転載承認。
 著者の原稿と写真より一部、再編集しました。