「その時に備えて」に備えて(2) ナショナルセンターの名を借りて政治的な冊子を出すこと自体が間違い -田口望-

田口望
田口望

 

 

 

田口 望
大東キリストチャペル 教役者
大阪聖書学院 常勤講師
日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY- 論説委員

日本福音同盟とは何ぞや?

 読者諸兄には日本のクリスチャンギョーカイ(業界)について詳しくない方もいらっしゃるでしょうから、ご存じな方には冗長な説明になること承知の上であえて解説しておきます。

 今回、天皇制に疑義を呈する冊子「その時に備えて」は日本福音同盟社会委員会の名によって出版されました。この「日本福音同盟」とは単一の教会名でも、教団名でもありません。小さな、日本のキリスト教界の中では極めて大きい団体であり、多くの教派が加盟しています。労働組合でいえば、労働者個人が、種々雑多な多くの企業別労働組合に加盟し、その企業別労組が、産業別の労働組合が加盟し、さらにその産別労組が加盟する組合として日本労働組合総連合会(連合)というの存在しますよね。その国中の労働組合の総元締めを「ナショナルセンター」といいますが、言ってみれば日本福音同盟というのは、日本のプロテスタント・福音派の教団教派の大部分が加盟するプロテスタント教団・教派版ナショナルセンターのような存在なのです。
(※ 以下、日本福音同盟はJEAと略する)


そのような、プロテスタント諸教派のナショナルセンターであるJEAの社会委員会から、この度、天皇制という極めて政治的にセンシティブな話題に突っ込ん冊子を出し、しかも天皇制反対を基調とする論陣を張ったということ自体、残念ながら見識を疑わざるを得ません。

キリストのからだをバラバラにする行為!

 今回の出来事がどれほどのことをしでかしたのかということをご理解いただくために、私の出身教派である、プリマス・ブレザレンという群れを例にとってお話してみましょう。
この群れの開祖ともいえる初期のリーダー、ジョン・ネルソン・ダービー(1800~1882)は元々は英国国教会の副牧師としてアイルランドに赴任しました。そして、クリスチャンによって構成された教会と国家元首という問題にぶち当たります。英国史を学ばれた方ならご存じでしょうが、アイルランドと英国というのはわが国と朝鮮半島に以上に複雑な過去を持っているため、英国王に忠誠を表明できないアイルランド人というのはたくさん存在したのです。最近では2011年にエリサベス女王が隣国アイルランドを訪問していますが、これすら、英国の国家元首が隣国を訪問するのが実に100年ぶりだったというから、両国の間にいかに複雑な感情が横たわっているかその一端が分かるでしょう。

ヴィクトリア女王一家(フランツ・ヴィンターハンター画)
ヴィクトリア女王一家(フランツ・ヴィンターハンター画)

100年ぶりに英国君主の訪愛を報じる(ロイター通信 2011年5月18日)

 

ジョン・N・ダービー(1800~1882)
ジョン・N・ダービー(1800~1882)

 ダービーもアイルランドにおいて伝道し、多くの改宗者を改宗者を得たのだが、英国国教会というのは制度上庇護者が英国王となっていますから、英国王への忠誠が国教会へ入会するための条件となっていました。そのため、イエス・キリストを信じているが、英国王への忠誠を誓う訳にはいかないので、英国国教会のメンバーになれないという事例が続出することになります。そんな中で彼は悩み、国教会を含めた制度教会のあり方に疑問をもち、ブレザレンムーブメントと呼ばれる信仰刷新運動を始めることとなりました。(彼の神学、運動は英米の福音主義、根本主義に影響を与え、もちろん日本の福音主義にも少なからず影響を与えています。)
他にも、様々な理由で英国国教会を去ったグループがあり「国教会分離派」と呼ばれています。

 よろしいですか?「国家元首への忠誠を誓うか否か?」というのは、その一事をもって充分に教団教派が分裂する原因の一つとなりうるくらい極めてセンシティブな問題なのです。いうなれば今回、日本福音同盟が遂行してしまったことはイギリスの福音同盟がイギリス王室の存在や位置づけにおいて、廃止も含めて検討するようにと英国国教会を含めた加盟教団に誘導するがごとき愚行であります。

 百歩譲って各教団教派内で、象徴天皇制に対する当教団の姿勢について話し合うのであればまだしも、日本のナショナルセンターであるJEAの名前で議論すべき問題ではないのです。
読者諸兄にJEAに加盟する教派に所属されている方がいれば、是非考えてみて下さい。例えば、あなたが所属する教団、教会内で議論し、バプテスマが浸礼か滴礼であるかを論じたり、按手礼は神学校卒業後何年目になすべきかを論じたり、どの様な問題を犯した場合教会として戒規にすべきかを論じたりするのはよしとしても、JEAとしてそれらに一定の方針をだすことはおろか、議題として議論することが正しいことでしょうか? もし、「バプテスマは滴礼が好ましい」などということをJEAの書物として一定の方向を指し示すならば、それはJEAに加盟し浸礼を行うバプテスト系教派に、「JEAから出ていけ」と喧嘩を売っていることにはなりはしないでしょうか?

 天皇制の在り方に疑問をもつ有志がこの問題を扱うならまだしも、JEAの名の元にこのような問題を扱うことは、看過できません。私から言わせれば、キリストのからだなる教会を天皇制容認派と否認派で分断するに等しいことです。それもよりによって福音派系プロテスタントのナショナルセンターである日本福音同盟が率先して音頭を取ってやろうとしているのですらか、驚天動地、青天の霹靂・・・形容することばもみつかりません。

※バプテスマ・・・洗礼とも訳される、キリスト教入信の儀式、信仰告白と水を用いりるがその様式は教派により違いがある。頭に水を振りかける形で行われる洗礼を「滴礼」という、川や水槽などで頭から足先まで全身が水に完全に没入する形で行われるバプテスマを「浸礼」という。

JEAが活字で出したことの影響はJEA内だけに留まらない!

 そして、ナショナルセンターたるJEAが現在の天皇制に疑義を呈する者を活字の形で出すことは、日本国内のクリスチャンではない99%の人の目にはどのように映るうつるでしょう?(日本国内のキリスト教徒の割合は1%未満といわれている)。市井の日本人の多くはカトリックとプロテスタントの見分けもつかない人がほとんどです。

 日本福音同盟なる日本のキリスト教を代表しているかのような団体名で「天皇制は十戒違反だ」等と活字で出すのなら、それは「キリスト教徒はみんな天皇制反対なのだ」と見られないでしょうか? それはJEA加盟団体で天皇制に反対しない人にとっても、非加盟のプロテスタント諸教団にとっても、はっきりいって迷惑なのです。私も自分の教会の信徒さんたちを守るためにもこのような形で寄稿し考えを表明せざるを得なくなったわけであります。