市中の山居 − 久保田 Ukon 典彦 −

『キリシタン史からのメッセージ』

 高槻・Ukon:第17回

 


久保田 Ukon 典彦

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

市中の山居

「 市中の山居 」 「 和敬静寂 」 「 一座建立 」

● 髙山右近 他、キリシタン時代の 茶の湯において、
「 市中の山居 」 「 和敬静寂 」 「 一座建立 」 ( こんりゅう ) の 3つの精神は、殊に 大切なことと 考えられていました。

“ 世間の すべてのものから離れて、真の 心の自由に至り、世の移り変わりを越えて、心の安定と平和に至る ” ━━ ために、茶の湯の道を 追い求めていったのでした。

● [ 市中の山居 ] ( しちゅうの さんきょ ) について、
ロドリゲス が 「 日本教会史 」 の中で、キリシタン茶人達から聞き取ったと思われる内容を、くわしく 書き留めてくれています。

髙山右近のことも 記していますから、
[ 利休七哲 ] で “ 利休 極上一の弟子 ” であった 髙山右近からも、多くのことを聞き取り、教えを受けたことを 書いていったことでしょう。

“ 数奇 ( すき ) と呼ばれる この 新しい茶の湯 の様式 ”
━━ と 言っています。

“ わび茶 ” と言われるのは、江戸時代に入ってからのようで、 「 数奇 」 と 呼ばれていました。

“ わび ” の精神を説いた、奈良・称名寺の僧 珠光( 村田珠光 )

● 茶の湯 そのものは、以前からあったわけですが、 “ 東山文化 ” として 代表されるような形のもので、広大な土地の中の ・ 「書院造り」 の建物の中で ・ 広い庭園を前にして ・ 唐物の 高価な道具や 調度品を用いて、特権階級である 貴人や 僧侶達が、“ 奢侈 ( しゃし ) 逸楽 ” の交流をする場でした。

こうした現状に対して、奈良 ・ 称名寺の僧 珠光 ( 村田珠光 ) が、茶の湯の本義としての “ わび ” の精神を説きましたが、京の都の人達には、変革していく という 考えも 力もありません。

当時、商業が盛んで、自治の町作りがされていた 堺の町の茶人達が、“ 数奇 ( わび茶 ) への変革 ” を進めていきました。
武野紹鷗 ・ 日比屋了珪 ・ 千宗易 ( 利休 ) といった茶人達でした。

数奇の茶の湯 ( わび茶 ) を 整えていった堺の町の茶人達

● 堺の町では、資産を持った人達は、大いに 茶の湯をたしなみました。堺の町に、この道で 傑出した人達が生まれました。

その人々は、これまでの茶の湯のやり方を改めていって、数奇の茶の湯 ( わび茶 ) を 整えていきました。

茶をいただく 部屋や庭などは、堺の町では、これまでのような、書院造り ・ 広い庭園 というわけにはいきませんし、そのようなものは、 “ 数奇の茶の湯 ” の 目指すものではありません。
堺の町なかは、地所が狭いですから、工夫が必要です。

もっと 小さな 茶の家を、植木を配した庭の中に 造りました。
茶道具も、このような 庵に ふさわしいものが用いられました。

活気と 喧騒の 市中にあって ・ 山居にあるが如き、世間の すべてのものから離れて、静寂 ・ 心の平安を求めることが出来る場所となっていきました。
別に、人里離れた場所でなくても ・ 町なかにあっても、可能となったのでした。

このような場所が、「 茶室 」 として、更に 工夫が重ねられていくことになりました。

密室の祈りの場、茶室 ・ 市中の山居

● このことは、髙山右近たち ・ キリシタンの立場から言いますと、 [ 密室の祈り ] になります。

「 あなたは、祈る時には、自分の 奥まった部屋に入りなさい。
そして、戸を閉めて、隠れた所におられる あなたの父に祈りなさい。
そうすれば、隠れた所で見ておられる あなたの父が、あなたに報いてくださいます。」
( マタイの福音書 6章6節 )

髙山右近をはじめ、キリシタン茶人にとって、[ 茶室 ・ 市中の山居 ] こそ、神 ・ デウスとの 語らい ( 祈り ) の場所となりました。

「 髙山ジュスト は、この芸道で 日本における 第一人者であり、
数奇が 修徳と 潜心のために、大きな助けとなると わかった、と よく言っていた。

それゆえ、デウスに すがるために、一つの肖像を かの小家において、そこに閉じこもったが、
そこでは、彼の身につけていた習慣によって、デウスに すがるために、落ち着いて潜心することが出来た、と語っていた。」 ( ロドリゲス 「 日本教会史 」 )

“ 市中の山居 ” は、「 教会 」 「 教会堂 」 である

● 更に言うならば、現代でも そうですが、
“ 市中の山居 ” は、「 教会 」 「 教会堂 」 である ━ とも言えそうです。

教会は、
「 世間の すべてのものから離れて、真の心の自由に至り、世の移り変わりを越えて、心の安定と 平和に至ることの出来る場所である。」
━━ と 言えますョ!

髙山右近にとっては、
「 茶室 」 そして 「 教会堂 」 が、共に [ 市中の山居 ] として、
神 ・ デウスと 語り合う ・ 祈る、幸いな場所だったのでした。

「 神について語るよりも、神と語り合う ことこそ 肝要である。」
( アウグスティヌスの言葉 )

 

[参考図書] 「キリシタンの心」(チースリク・著)

 

● 絵:「茶室で祈る髙山右近」(柳柊二・画)
(髙山右近研究室・久保田 所蔵)

 

久保田 Ukon 典彦

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
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「髙山右近研究」をライフワークにしています。
髙山右近やキリシタン達を通して、いっしょに考えていければと思います。