拝まれる人物像 − 久保田典彦 −

※ 写真:「 髙山右近 」 切り絵 : 岡本紘子
( 髙山右近研究室・久保田 蔵 )

 

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ukon:第20回

 

 

 

 

久保田 Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

 拝まれる人物像

● フランシスコ ・ ザビエルは、鹿児島に到着して 間もなく、
当時、伊集院にいた 薩摩領主 ・ 島津貴久を 表敬訪問しました。

 その時、日本に持ってきた 「 聖母子像 」 の絵を 貴久に見せました。

「 領主に引見された時に、パウロ ( 弥次郎 ) は、私たちが インドから持ってきた 聖母の、たいそう 敬虔な聖画を持参しました。 領主は、そこに居合わせた すべての人たちに、彼と同じように 拝むことを命じられました。

 その後、領主の母堂に、聖画を お見せしましたところ、彼女は聖画を見て感激し、大変 お喜びになりました。
数日の後、領主の母堂が、一人の家臣を遣わして、
“ この聖画と 同じものを作るのには、どうしたらよいか ” とたずねてこられました。しかし、この地方には 材料がないので、聖画を作ることは 断念しました。」

島津貴久も 彼の母も、たぶん “ 観音像 ” と思い込んで 礼拝したのだろうと 思われます。

● 当時の日本には、現代のような 美術作品としての 人物画 ・ 肖像画 は ありませんでした。

 我々が よく知っている、織田信長や 豊臣秀吉、千利休 その他の肖像画は、没後に、供養を念願するために、言葉による 「 賛 」 ( 賛辞の言葉 ) が添えられて 描かれ ・ 奉納されているもので、すべて、拝むためのもの ・ 礼拝の対象になっているものです。

ですから、それらの画像を所蔵されているのは、神社や お寺です。

正面祭壇に掲げられた 画像や 彫像を、人々は 神妙に 礼拝するのです。
このことは、現代の 寺社においても、その通りに なされています。

 島津貴久が 「 聖母子像 」 を拝み、居合わせた すべての者たちに拝むことを命じたのも、母堂が 聖画を求めたのも、単に、すばらしい 美術作品に感動した結果としての 行為ではありませんでした。
礼拝の対象として でした。

 気をつけないと、
せっかく、天地万物の創造主 デウス、救い主 イエス ・ キリストを伝えに来ているのに、誤った信仰の確信を 与えてしまうことにさえ、なってしまいますよネ。


●市来の ミゲルの願い

「 フランシスコ ・ ザビエル師が、鹿児島から出発するに先立って、
洗礼を授けていただいた 市来の ミゲルは、
“ その地 ( 市来 ) には、医師も薬もないから、精神的な効果があるだけでなく、同時に 肉体的疾病をも癒すことが出来るような記念品を残してほしい ” と願った。
司祭は 彼に、小さい 聖母マリアの画像を残し、
“ これは 霊魂のための薬であり、御身らは、これを敬い、聖母に、世界の救い主である 御子イエス ・ キリストから、御身らの罪の赦しを得るように 祈るがよい ” と言った。」

( フロイス 「 日本史 」 第6巻 )

 

[ 参考図書 ] 「キリシタンの心」
(チースリク ・ 著、聖母文庫)

※ 写真:「 髙山右近 」 切り絵 : 岡本紘子
( 髙山右近研究室・久保田 蔵 )

 

久保田 Ukon 典彦

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

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髙山右近やキリシタン達を通して、いっしょに考えていければと思います。