『平和とは?』 − 井草晋一 −

写真:中央:ドルトン・ライマー教授

 

井草晋一
SALTY 編集長
日本メノナイトブレザレン教団
武庫川キリスト教会  協力牧師

 

『平和とは?』

 毎年、広島・長崎の「原爆の日」や「終戦記念日」の8月になると、東部ニューギニアのセピック地方で戦死した伯父のことを思い起こします。

特に、伯父の持っていた赤い表紙のギデオン協会の新約聖書や、ウイクリフの翻訳宣教師として同じセピック地方のクアンガ部族の中で働きをされた眞鍋孝先生ご夫妻が送ってくださったウェアク海岸の旧日本軍上陸用舟艇の鉄の破片を見つめる時に、「平和」とは、また「平和つくり」とは何か問いかけられる思いがします。

「平和」の意味と理解

 北米のメノナイトブレザレン協議会が運営するフレズノ・パシフィック大学の神学校で「平和づくり & 紛争解決」の学科の創設者のドルトン・ライマー教授は、2003年の福音聖書神学校での講演で「平和(シャローム)」の意味と理解について次のように語られました。

「シャロームは、へブル語の聖書では、物質的・肉体的な事柄を表し、また「関係」を、そして「道徳的な意味」を表しており、それは、「幸福の状態、正しい関係、善の状態」を表す範囲の広い語でもあり、それに対応するギリシャ語の「エイレーネー」同様、健全で、いっしょで、健やかな世界を表します。」

私たちは聖書の「平和」を理解した上で、今一度イエス様のお言葉に聞くことが求められます。

平和の君、イエスに倣う

 イエス様は山上の垂訓の中で、「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子と呼ばれるからです。」と語られました。この「平和をつくる者」とは、「平和(エイレーネー)」と「つくる(ポイエオー)」が結びついた言葉で、このことばからイエス様の御心を悟ることができます。

神との関係を正しくする十字架の救いを宣べ伝えること、遣わされた場で神の正義を実現すること、そして人々の互いの損なわれた関係を回復し慰め修復する手助けをする、これこそイエス様自らが模範を示されたことなのです。

平和をつくる働きとは、「救い、正義、平和」を「霊、魂(心)、体」という人間存在の全体に対して、また、社会生活や文化背景の中で理解し積極的に「平和」をつくり出していくことに他なりません。

これは、単純に戦争との関連で平和を理解するより、はるかに聖書的で実践的なものです。心の奥底にまで神の愛と平和に満たされることでもあります。シャロームとしての平和は、神との平和、人間相互の、社会生活や被造物の正しい管理も含む、全ての領域での平和と言えましょう。

「平和つくり」に生きる

最後の晩餐の席でイエス様は弟子たちを前に言われました。

「私はあなた方に平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。」(ヨハネ15:27)

恐れず、ひるまず、いささかも動揺することなく「平和つくりの道」を歩もうではありませんか。主があなたと共にいてくださいますから。

 

・日本メノナイトブレザレン教団 発行
月刊誌:『よきおとずれ』 巻頭メッセージ
2019年8月1日  発行 より転載

 

 

 

 

 

 

 

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写真:中央:ドルトン・ライマー教授
2011年6月14日 (ウィニペグ)
ICOMB 高等教育会議 にて

 

● Fresno Pacific University
“Peacemaking and Conflict Studies”

・フレズノ・パシフィック大学
「平和つくりと紛争解決」の講座

 

● 『実った椰子』真鍋和江 著