自衛官から牧師に − 藤井秀一 −

写真:「AMCF 東アジア大会・宣教大会」8/29

世界軍人クリスチャンの会『2019年 東アジア大会』
『宣教大会』(第1日)「証し」
8月29日(木) 19:00ー20:30

藤井秀一牧師

 

藤井秀一
1966年 東京都に生まれる。
陸上自衛隊音楽隊入隊
退職後、東京バプテスト神学校卒業
常盤台キリスト教会、
酒田のぞみキリスト教会牧師
現在:花小金井キリスト教会牧師

「自衛官から牧師に」

 今わたしは、東京の小平市にある花小金井キリスト教会の牧師をしています。
そのわたしが、なぜ皆さんの前で証をすることになったのかというと、わたしがもと自衛官をしていたからだと思います。
わたくしは、18歳から31歳まで陸上自衛隊で働きました。職種は音楽隊です。トロンボーンを担当していました。

クリスチャンになったのは、わたしが26歳の時です。
わたしの家族にも親戚にもクリスチャンはいません。
そんなわたしがクリスチャンになったのは、今思えば不思議なことです。
わたしの両親は、わたしが20歳の時に離婚しました。
どうして人は愛し合って結婚しても、憎み合って別れてしまうのしょう?
両親の離婚によって、わたしは生きることのむなしさを感じるようになりました。
好きな音楽を仕事にしているのに、喜びがない日々を生きていました。

三浦綾子さんの本と出会い

 そんなある日、クリスチャン作家の三浦綾子さんの本と出会いました。
体が弱い三浦さん夫婦が、互いに愛し合って支え合っている姿が、書かれた本でした。
わたしは深く感動しました。そして、三浦夫妻が信じているイエス・キリストに興味を持ち始めたのです。
そして26歳の時にイエス・キリストを救い主として信じてバプテスマを受けました。
それ以来、心の中に喜びの小さな火が灯りました。
数年後、仕事をしながら夜学の神学校に通うことになったのです。

金学根さんとの出会い
 
 その神学校で、金学根(キム  ハックン)さん(現、自衛隊宣教会代表・牧師)と出会いました。その彼から20年ぶりに連絡があって、今日ここで証をする機会を、与えてくれました。
自衛官だったわたしが、神学校に行くようになり、やがてその仕事をやめて、今、牧師として働いていることが、珍しいからでしょう。
 また、日本の教会のなかには、「剣を持つ者は剣によって滅びる」と言われたイエスさまの言葉をもとに、自衛隊に対して、否定的な人々もいるからでしょう。
礼拝のメッセージのなかで、平和運動や政治的な話を沢山する牧師さんも、おられます。
わたしが最初に導かれた教会は、幸いなことに、聖書の福音をまっすぐに語る教会だったので、自衛隊の批判のような話は一度もありませんでした。
もしそういう教会と最初に出会っていたら、教会にわたしの居場所はなかったことでしょう。
 職業がなんであれ、人はすべて神の前に罪人です。
だれもがイエス・キリストの十字架の贖いによって救われます。
そしてキリストと共に復活させられ、新しい命に生きていくのです。

自衛隊を辞めて牧師の道へ

 わたしの場合は、その新しい命に導かれ、結果として自衛隊を辞めて、今は、牧師をしています。
そのような道へと、神はわたしを招いたのであって、ほかの人には、ほかの導きがあるでしょう。
 わたしの場合は、ある日突然、唇の筋肉の調子が悪くなってしまい、トロンボーンが吹けなくなってしまったのです。
それで、音楽隊にいられなくなってしまいました。それは辛い試練でした。そして31歳の時自衛隊を辞め、アルバイト生活になりました。
この先どうなってしまうのかわからない、不安な生活でした。しかし、心の底では、神さまがこの状況に導いたことを、感じていたのです。
 やがてある教会から、事務の仕事をするようにと、声がかかりました。
わたしは教会で働けることが嬉しくて、その仕事を引き受けました。
その教会は、牧師さんが礼拝のメッセージの中で、政治の話や政権の批判をする教会でした。わたしは最初、戸惑いました。それまで、そのような政治的なメッセージを聞いたことがなかったからです。
 しかし、牧師さんを初めとして、教会の人々はとても温かく、自衛官出身のわたしを愛し、大切にしてくれました。
そして、その牧師さんとも、よく聖書の話しをしました。今までとは違う聖書の読み方、とらえ方。さまざまな立場の人々と出会いました。
その教会での経験は、わたしの器を広げてくれたと思います。
自分とは違う立場の人と出会うことで、むしろ「わたしはなにを信じているのか」「なにを伝えたいのか」が問われたように思います。

違う政治的立場の人が共に仲間になれる教会

 「平和」を求めるクリスチャンにもいろいろな人がいます。
全く武力を放棄することで実現する「平和」を主張する人もいれば、悪に対する武力を持つことでこそ「平和」が維持される、という人まで、幅があります。
わたしはさまざまな考え方のクリスチャンがいていいと思います。
さまざまに違う政治的な立場、思想のクリスチャンがいていいと思います。
そして、お互いの立場や思想を否定しないで、学びあったらいいと思っています。
 イエス・キリストの弟子にも、支配者であるローマ帝国に仕えていたマタイや、それとは正反対で、ローマ帝国への抵抗運動をしていた熱心党出身のシモンがいたからです。
 違う政治的立場の人が、イエス・キリストのもとでは、共に仲間になれる。
それが、イエス・キリストを頭とする教会であると、信じています。わたしは、そのような教会に憧れています。
 ですから、わたしは牧師として、違った立場の人々をさえ、一つにしてくれる、イエス・キリストの福音を、まっすぐに語っていきたいと、思っています。
最後に、詩編133編の1節の言葉を読んで、証を終わります。

「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」

これで、わたしの証を終わります。ご清聴ありがとうございました。

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