「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」~キリスト者としての書評 −明石清正−

 

 

明石清正
カルバリーチャペル・ロゴス東京 牧師
ロゴス・ミニストリー 代表

日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY-  論説委員

ロゴス・ミニストリーのブログ」に掲載された書評ですが、「SALTY」に、一部変更後、転載いたします。

コミンテルンの世界戦略から、日本の敗戦を眺める

 著者、江崎道朗さんは、ビズテリアの懇親会で、二回お目にかかり、二回目はお話しも少しさせていただきました。著作の一つを今、読んでいます。ある事がとても気になっていて、江崎さんであれば詳しいだろうと思って尋ねたところ、短い言葉でしたが、とても的確な回答を下さいました。

 それは、「キリスト教は共産主義に騙されやすいか?」という質問で、答えは、大きくうなずく「はい」でした。共産主義者は、非常に高度な戦略を持っており、賢く、反対の思想を持っている人たちでも抱き込む術を知っていると思っていたのですが、その通りだと断言されました。キリスト教の人たちは善意があるので、とくに騙されやすい、とのことでした。ある神学者が語った、「地獄への道は善意で舗装されている」の言葉を思い出しました。

 本書ですが、読み始めたら、ぐいぐい入ります!

 「影響力工作」というのが、キーワードになると思います。戦時中、確信的な工作員はいたものの、日本の軍部、政界、学者の間には、自らそのような流れに入り、自滅していった経緯を詳細に述べています。まるで一滴の染料をコップ一杯に入れたら、それが全体に広がっていくのと似ていて、本人たちが非合法に動かずとも、人々の考えや行動の深いところに沁み込んで、ついに、一つの国の大事な政治や経済の基盤を壊すほどの力を持っています。この本では、日本を戦時中の暴挙に影響を及ぼしたことを論述しています。

 それから、「日本は右傾化して、かの戦争に突入した」というのは、あまりも単純化した歴史の見方でです。本著は、レーニンによって始まった、国際共産主義運動の視野から、その世界戦略の中でいかに国々が動かされ、日本も標的にされていたのかを描いており、また違った、当時の日本の姿が見えてきます。右と左は水と油のような関係ではなく、全体主義においては互いに隣り合わせで、極右の中に極左は簡単に入り込むことができるのです。

 こうした見方は何も、江崎さんだけではありません。一般の歴史にも出て来る話ですが、なぜか一般化されていません。例えば、満州事変について、当事者たちにインタビューした若き緒方貞子女史は、論文の中で、「私は、満州事変の原動力となった帝国主義を「社会主義的帝国主義」と定義してみたいと思う。」として、当時の政策決定を左派全体主義の傾向として定義しています。

 キリスト教は、「戦争ではなく平和」「弱者に救いの手を」「金持ちは悪」のような言辞を、キリストの道と同一して勘違いして、真逆の道を一気に突き進むことがよくあります。共産主義においては、「神は人が作り上げた想像物」「人が神のようにふるまうのだ」として、神を引き落とし、人を引き上げるという、まさにサタンのしていることを、そのような甘言をもって吹き込んでいきます。

 サタンは、光の御使いに変装することができると聖書にありますが、まさにそれですね。歴史的に、世界的にキリスト教会は、反共です。しかし、容共になって、信じている福音の中身をいつの間にか変えられてしまっているという現実もあることを、直視しないといけないでしょう。

保守自由主義とキリスト教の接点

 もう一つ記録しておきたい点は、江崎道朗さんの提示する歴史観は、私の抱いていた、いや、願っていた日本のあるべき姿を浮き彫りにしている点で、深い共感を得ました。本著における特徴は、戦前の日本を「庶民の日本」と「エリートの日本」に分け、エリートの日本には、先に言及した「左派全体主義」の思想が「右派全体主義」の中に入り込んで、それが全体を覆うことになったが、実は本流は「保守自由主義」にあるという立場です。

 保守自由主義とは何かと言うと、日本の古来からの政治伝統として、聖徳太子の「共に是れ凡夫のみ」があるということです。これは「人はみな自分に執着し、過ちを犯す欠点だらけの人間だ」という意味であり、この思想が、人間は不完全なもの同士だから、お互いに支え合い、話し合ってより良き知恵を生み出すことが必要である、という発想に発展します。そしてそれが明治天皇の五箇条ご御誓文にもある、「万機公論に決すべし」につながるのだそうです。

 それが、大日本帝国憲法の精神にも存在し、当憲法において、「議会制民主主主義」や「自由主義経済」を導入する近代化につながったということです。そういった「保守自由主義」を訴える知識人がいたけれども、戦時中は彼らも弾圧の対象になっていった経緯を、詳しく描いています。戦時中の日本は、共産主義者や社会主義者らを逮捕し、弾圧したにもかかわらず、自分たち自身は共産主義に影響された思想を持ちながら、政策を決定していったという皮肉、捻じれ現象が、起こっていたようです。

キリスト者として愛国心をどう持つのか?

 私は、日本人として我が国をどう誇りに思うべきなのか、また、日本に生きるキリスト者として、愛国心であるとか、我が国をどのように受け入れ、過去、そして現在を見て行けばよいのか、いろいろ模索していました。おそらく個人的には、この保守自由主義の系譜を受け入れることによって、自然に日本を自分の心に受け入れることができると思います。

 キリスト教は、二つのことを強く信じています。一つは、「人間は堕落した存在だ」ということです。神によって造られた、神のかたちとしての人は、尊い存在であると同時に、罪を犯したために、理想や完全からは遠く離れた存在として見ています。ですから、キリストが来られて、十字架に磔にされ、私たちの罪の赦しを与えてくださり、ただキリストにある神の命にあってのみ、真実に生きることができると信じています。

 それゆえ、世界を見る時に、「人は神の憐れみによってのみ生きることができるのであり、人が求める正義には限界がある」と強く思っています。ここにおいて、聖徳太子の描いた人間観に似ているのです。

 もう一つは、「自由」です。創造主なる神は、そういった悪が人の罪によって、広まってしまうことも想定済みで、敢えて、人と世界に関わっておられます。それは、神は自由意志を持っておられ、私たち人間にも自由意志を与えたので、それを侵してまで強要することは決してなされないからです。しばしば、キリスト教は「神は全能で主権者であるなら、なぜ悪が世界に存在するのか?」という非難をうけるのですが、答えは、「神は愛であり、愛は人が背くということも、忍耐して、悔い改めるのを待っておられる」ということです。

 ですから、「自由」を非常に大事にします。江崎さんは、保守派の論者の中で知られている方ですが、実は本著でも、他のメディアでも、右派全体主義に対しては強い批判をしています。例えば、朝日新聞は廃刊すべきだという考えに対して、「相手が何を考えているのか知ることのできるまたとない機会だ」として、そういった考えに反対です。私も、ずっといわゆる「保守派」、いや、所謂「ウヨク」と揶揄される人々にある排他的な考えに、強い抵抗感を持っていました。朝日新聞を全否定するところに、左派にある排他性と同じものを感じたのです。

 そして経済政策について、保守派と言われている人たちと意見が合わないことがあります。自由経済も強く信じていて、自民党でさえ左派の政策を取っていると感じることがあるからです。今の日本の社会的停滞、いや、もっとはっきり言うと、社会的老化現象は、新たな産業や技術革新を興すには、あまりにも規制が多すぎると感じています。「富む者から取り上げて、貧しい者に渡さなければいけない」ではなく、「そもそも、富を創出しないといけない」と感じています。

今現在も、受けているかもしれないコミンテルンの影響力工作

 そして、保守派と言われている人々 戦前と戦時中の歴史の中で、いかに、コミンテルンの工作によって、無関係な英米への敵愾心を煽り植えつけてったのか詳細に述べています。むしろ、右翼のほうが問題だとしていて強く批判しているのも、本著の特徴です。

私も、なぜ日本がどうして戦ってしまったのだろう?とずっと不思議に思っていました。満州事変について、なぜか無関係のはずの英米に対抗するためと宣伝が、尾崎秀実などのソ連工作員による扇動によってなし得たことを、姿を生々しく描いています。

 同じように、韓国についても、保守的な立場を取るからこそ、その自由民主主義によって思想的にも、軍事的にも北朝鮮に対峙しているはずの大韓民国の国是を、後押ししなければいけないと思っています。保守派と言われている人たちが、韓国を一括りにして叩いているのは、北朝鮮を利しているだけであり、本著に従えば、「コミンテルンの影響力工作」の中で動いている結果ではないか?とさえ疑っています。

 おそらくは、日本のキリスト者の中で、こう言った意見を公にするのは、少ないかと思います。

しばしば、キリスト教は社会的弱者に対して助けの手を差し伸べる存在としては知られていても、国の政策について意見を述べるようなこととしては知られていないと思います。けれども、反権力にならず、かつ慈善行為において突出するこということは、矛盾ではなく、むしろキリスト教の価値観では一貫しています。(先ほど言及した緒方貞子さんはカトリック、本著で保守主義者として出て来る吉野作造も、仙台のバプテスト教会で洗礼を受けたプロテスタント信者でした。どちらも、反権力の考えは少しもありませんでした。)

 そのことは、江崎さんも本著の中で、近代の歴史で、キリスト教会や社会主義者が貧しい人たちに手を差し伸べたのに、本来、政府や権威が果たしていなかったところで、共産主義思想が受け入れられていく素地を作ってしまったことを述べています。しかし、キリスト教は、反共であり、かつ慈善する存在です。

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本著の中身を、著者ご自身が動画の連載で分かり易く語っておられます。