バイデン米政権の中東外交 ― オバマ時代の再現か?(2)−明石清正−

 

明石清正
SALTY論説委員
カルバリーチャペル・ロゴス東京 牧師
ロゴス・ミニストリー 代表

 「バイデン米政権の中東外交 ― オバマ時代の再現か?(1)」の続きです。前回は、西欧式の人権外交を中東に振りかざしてしまうと、イスラム過激派を勢いづける話をさせていただきました。

中東のキリスト教徒は、イスラムより独裁者を望む

 そこで筆者が、中東地域に和平が進むかどうかを見極める指標としているのが、私たちの信仰の兄弟姉妹である、現地のキリスト教徒たちの動きです。今月初めに、ローマ教皇がイラク訪問をしました。イラクは、バビロンやアッシリアのあったところで聖書考古学の宝庫であり、また初代教会から綿々と続く、キリスト教の伝統を持っています。

Pope Francis arrived at the Hosh al-Bieaa centre in Mosul where he prayed, amidst the ruins and along with the people of Iraq, for all the victims of war in the country and throughout the Middle East.

 そのキリスト教徒たちは、あの悪名高いサダム・フセインの統治下では案外、平和に暮らしてきたという意外な事実があります。なぜか?というと、フセイン政権は「世俗政策」を取って来たからです。しかし、米軍の侵攻によって倒れると、国内はイスラム色が強まり、そのためにキリスト教徒が迫害されてきました。そしてイスラム国がイラン国内で発生し、教会に対する大迫害が起こったのです。

 この流れは、エジプトでも同じです。欧米が、2011年に起こったアラブの春で民主化の波が起こっていると喜んでいた時に、中東のキリスト教徒は恐怖に包まれていました。強権の指導者が倒されたら、かならずイスラム過激派が台頭し、自分たちは迫害されるからです。

 事実それが起こりました。アラブの春によってムバラク政権が倒れ、ムスリム同胞団のムルシ政権が起こったのです。そこで、コプト教徒などキリスト教徒たちへの迫害が加速化しました。しかし、軍事クーデターが起こり、軍人シシ氏が大統領の座に着きます。しかし、民衆の反応は、今の、ミャンマーの軍事クーデターと正反対で、街は歓喜に包まれ、キリスト者も同じだったのです。

 シリアでも、アサド政権は独裁、強権ですが、キリスト教徒は比較的、平和に暮らしていました。内戦が起こり、イスラム国が台頭し、イスラム国が消えたら、今度はトルコが侵攻し、傭兵のイスラム過激派の戦闘員によって迫害されます。クルド人と共に、キリスト教徒は民族浄化されました。

 ヨルダンは王政ですが、そこも比較的、平和に暮らしています。そして、北アフリカのモロッコや湾岸諸国も何とかして、イスラム教の近代化、政教分離を図ろうと努力し、その流れの中で、アブラハム合意、すなわちイスラエルとの国交正常化へと向かったのです。

少数派イスラム教徒は、さらなる少数派を迫害

 しかし、欧米のリベラル勢はそうは見ません。イスラム教徒は少数派であり、我々キリスト教徒が多数派として差別してきたから、攻撃してはならないと見ます。そのため、キリスト教圏であるにも関わらず、そのイスラム教徒から迫害されている中東のキリスト教徒は、ほったらかしにするのです。ただ、米英を比較したら、まだ英のほうがましです。というのは、国教としてキリスト教を掲げていますから、中東におけるキリスト教の少数派のために連帯しなければならないと公表します。

 しかし、そのリベラルの装いをしているムスリム同胞団を保護したのは、時のオバマ大統領であり、同胞団を弾圧しているとしてエジプトへの援助をやめたのも彼です。今のバイデン大統領は、人権問題を取り上げて、エジプトへの軍事援助を再考するかどうか考慮すると言っています。同盟より人権を先に持っていきます。しかし、それをすると、イスラム過激主義を触発して、彼らが人権を振りかざすのとは裏腹に、究極の、宗教の自由の蹂躙(じゅうりん)が引き起こされるのです。

 「自分たちは多数派、加害者だ」という、上段に構えた立ち位置を取ることによって、異教徒の非寛容な、過激イスラム教が力を持ちますが、そのために同じキリスト教徒が迫害され、疎外されるのに、見て見ぬふりをしています。そして、人権をふりかざし、同盟国の強権を批判し、圧力をかけることによって、イスラム過激派と最前線で戦っているこれらアラブ諸国を弱体化させているのです。

「ポリコレ外交」は、「声なき声」を潰す

 これを「ポリコレ外交」と言います。多数派が少数派の政治的力を配慮する考えですが、少数派の中にはさらなる少数派がいるということ、そしてその少数派は多数派と同じ考えを持っているということに対しては、頑なに目をつむるのです。

 この外交を真っ向から否定したのが、トランプ前政権です。前大統領が就任後、中東を初めて訪問したのは、サウジアラビアでした。そこでイスラム教の国々の人々を集め、イスラム過激主義との戦いを鮮明にしたのです。オバマ政権においては、どんなに記者から迫られても使わなかった”Radical Islam(イスラム過激主義)”を使用し、対過激主義で一致団結できたのです。ところで、これは、利害を共有し、力をつけて地域大国化しつつあるイスラエルとの和平を勢いずかせるものであり、1948年に勃発した、アラブとイスラエルの戦争とを根本的に終焉(しゅうえん)させる、アブラハム合意という歴史的快挙へと至らしめたのです。

 最後に、次の動画をぜひご覧ください。米国に移民したエジプト人のコプト教徒が、「世界で最も迫害されている少数派 - キリスト教徒たち」という題名で、いかに西欧社会のポリコレ姿勢、中東のキリスト教徒たち周縁に追い込んでいるのかを上手に説明しています。日本語字幕付きです。

 我々日本人キリスト者は、中東などにいる兄弟姉妹にどれほど執り成しの心を持っているでしょうか?日本は、西欧のポリコレ的な見方をマスコミによって情報として聞かされています。そのため、ともすると、兄弟姉妹に対して無関心や誤解によって、一顧だにしないということがないでしょうか?

 以上の、「少数派がさらなる少数派を差別する」という重層的な構造があることをふまえて、声なき声に耳を澄ます努力をしてみる必要があると、筆者は感じています。