キリスト教用語としての「神」 −久保田 Ukon 典彦−

『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ukon:第8回

 

 

 

 

久保田Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

キリスト教用語としての「神」

● 今、私たちクリスチャンは、天地創造されたお方を 「神」 と呼び、理解しているわけですが、ここに至るまでには、宣教師達・キリシタン達のはかり知れない模索と とてつもない労苦があったことを覚えます。

 宣教師達は、キリスト教の基盤も用語も何もない日本の民に、天地創造されたお方を伝えていこうとしたわけですが、ラテン語やポルトガル語で伝えていくわけにはいきません。
既成の日本語に置き換えて、伝えていくことになります。

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日本人に適応させるために −久保田Ukon 典彦−

『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ukon:第7回

 

 

 

 

久保田Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

日本人に適応させるために

 ポルトガル・コインブラ学院の神学教授だったジョルジェが数人の神父たちと共に、「ドチリナ・Doctrina」を作成し、それが、1566年にリスボンで出版されました。

好評で、各地で用いられ、日本にも、1570年頃伝えられました。

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みんなで建てた “ 都の教会 ” − 久保田 Ukon 典彦 −

『キリシタン史からのメッセージ』
  高槻・Ukon:第6回

 

 

 

 

久保田Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

みんなで建てた “ 都の教会 ”

●  “ 多くの人たちの、多くの人たちによる、多くの人たちのための ”

━━ ということで、思い浮かんでくるのは、1576年に献堂された、
都の教会 「被昇天の 聖母教会」の建設です。
一般には、「都の南蛮堂・南蛮寺」と呼ばれていました。

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「 無い無い尽くしの中で 」  − 久保田 Ukon 典彦 −

『キリシタン史からのメッセージ』
  高槻・Ukon:第5回

 

 

 

 

久保田Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

 

「 無い無い尽くしの中で 」 

 
● 中世の頃、キリシタンの時代。
 聖書の全巻翻訳はありませんし、各国語に訳されてもいません。
 印刷も、活版印刷の技術は発明されたとはいえ、大量には無理。
 たとえ、あったとしても、人々は読めません。一般の識字率は低いのです。
※ 現代の私たちは、聖書の全巻翻訳は、日本語で、何種類もなされていますし、
 一家に何冊もあるほどに、大量に印刷され、手にすることも出来ます。
 現代の日本語に訳された聖書を読むことが出来ます。
 読んでいくことが出来るのは、義務教育が行き届いているおかげと言えるでしょう。

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“三教一致神” の思想 −久保田Ukon 典彦−

『キリシタン史からのメッセージ』
  高槻・Ukon:第4回

 

 

 

 

久保田Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

三教一致神” の思想  

 

為政者たちによるキリシタン迫害・弾圧は、どうしても避けることが出来ないことだったのでしょうか?

唯一神と偶像神の必然的対立
天地創造神と被造物神の必然的対立
一神教と多神教の必然的対立
絶対神と三教一致神の必然的対立

豊臣秀吉や徳川家康・江戸幕府による、キリスト教に対する苛酷な迫害、弾圧!

支配者・為政者側も、キリスト教側も、もう少し何とか、なかよく協調してやっていく道はなかったのでしょうか?

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「 集団改宗 」 ・ 洗礼は いつ? − 久保田 Ukon 典彦 −

『キリシタン史からのメッセージ』
   高槻・Ukon:第3回

 

 

 

 

久保田 Ukon 典彦

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

「 集団改宗 」 ・ 洗礼は いつ? − 久保田 Ukon 典彦 −

「 洗礼 」 ( バプテスマ ) は、いつ 授けられたのでしょうか。

キリシタン時代の 宣教師たちは、
? ①「 洗礼に先立って、かなり長い準備期間を設け、洗礼は、
かなり 『 成熟 』 してきた信仰の上で 授けられた。」

? ②「 集団改宗の際、まず必要な教理説明の上で、
( とりあえず )洗礼だけを授けておいた。」

( 「 キリシタン史考 」 チースリク ・ 著 )

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「集団改宗」と “ 五人組制度 ” − 久保田 Ukon 典彦 −

『キリシタン史からのメッセージ』
   高槻・Ukon:第2回

 

 

 

 

久保田 Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

「 集団改宗 」と “ 五人組制度 ”

 「 集団改宗 」 していった人たちも、江戸時代は、信仰どころでは なかったのではないでしょうか。

 キリシタンの時代、それまで 仏教や 八百万 ( やおよろず ) の神々を信じて 拝んできた人たちが、それらから 180度 離れて、天地創造された デウス(主なる神)を信じていくというのですから、これは、大変な回心 ・ 心変わりであって、単なる 「 転宗 」 ではなくて、人にはなしえない ・ 神のわざ であったわけです。
このことは、個人的に 一人一人に起こることですが、それだけではなくて、この 神の恩寵・恵みは、ある一定の時代や 民族 ・ 地域において 「 集団的 」 に与えられることは、歴史が実証していることです。

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日本葬送宣教論 (4) 伴天連追放令 -金井望‐

トップの絵:フランシスコ・ザビエル上陸の図


金井 望(カナイノゾム)
日本キリスト者オピニオンサイト –SALTY–  論説委員

【前回】日本葬送宣教論(3)「家」と「村」-金井望‐

伴天連追放令

 キリシタン時代の始点は1549年、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルの鹿児島上陸である。それからおよそ100年の間に来日した宣教師が、およそ300名いた。各地の大名は、ポルトガルとの貿易が利益をもたらしたため、宣教師を歓迎し、自らキリシタンとなる者もいた。16世紀後半、ローマ・カトリック教会の宣教はめざましい勢いで、日本全土に拡大した。 “日本葬送宣教論 (4) 伴天連追放令 -金井望‐” の続きを読む

「 集団改宗 」・為政者たちのための祈り − 久保田 Ukon 典彦 −

『キリシタン史からのメッセージ』
  高槻・Ukon:第1回

 

 

 

 

久保田 Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

「 集団改宗 」・為政者たちのための祈り

 今から400年前の 戦国時代、主の霊による 大いなる救いのわざがなされていきました。「 集団改宗 ・ 集団洗礼 」 が 本来、神の働きであるとしても、人が用いられて行われていくものであることも確かなことだと思います。

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