上川島でザビエル帰天・46歳 −久保田典彦−

※ 写真:フランシスコ・ザビエル肖像(神戸市立博物館 蔵)

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第36回 

 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

 

上川島でザビエル帰天・46歳

● 公式に 中国 ( 明 ) に入国する手立てが 無くなってしまったまま、ザビエルは、 “ 何とかして 中国に入国したい! ” という 強い思いをもって、密貿易地である 上川島 ( サンシャンとう ) に、1552年8月の終わり頃に 上陸しました。

  当時 この時期、ポルトガル人や 船乗り、その僕 ( しもべ ) たちが2千人ほど 住んでいて、ザビエルは、彼らのために、竹とむしろで 小さな聖堂を建て、司祭としての働きを 始めていきました。

  中国人の商人たちに、 “ 広東に渡りたい ” と話してみますが、誰も協力を約束しませんでした。

 “ もし、外国人を 中国に入国させる者に対しては、死刑の宣告がされていた ” のです。

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新型コロナウイルス感染拡大と教会(3)−大橋秀夫−

・写真:雪の中のフキノトウ

大橋秀夫牧師の『新型コロナウィルス感染拡大と教会』の<第3回・最終回>です。
世界各国の危機的な状況の中で、世界のニュー・ノーマルと教会のニュー・ノーマルについて論述され、これからの教会の歩むべき道と新たな可能性を指し示しておられます。
皆様、ぜひ、ご一読ください。

・第2回 より  <—– クリック!

● 3回の連載:<第3回・最終回>

 

 

大橋秀夫
「日本教会成長研究所」
(現、JCGIネットワーク)
コメンテイーター、理事、全国講師
日本福音自由教会
クライストコミュニティ教会  顧問牧師

 

3,これからの教会

② 世界のニュー・ノーマルは「共生」である。

 新型コロナウイルスの拡大に伴って、いろいろの言葉が使われるようになった。その中の一つにニュー・ノーマルと言う言葉がある。これは12~3年前の大景気後退(リーマンショックを含む)を受けた金融界が、その後の在り方について使った言葉だったが、コロナ禍の中とその後の在り方を探る言葉として復活してきた。

 新型コロナウイルスの発生直前の世界を振り返ると、「分断」と言う言葉がどこででも使われていたように思う。事実、世界は対立と分裂を繰り返していた。しかし、ウイルスは、人間のどんな思惑や主義主張にかかわらずに襲ってくる。すでに世界のトップリーダーたちが感染している。

 まず、彼らこそが目を覚まさなければならない。これまでのような「分断」ではなく「共生」の道を探して、知恵と力と資力を注がなければこの世界の終わりは早まりこそすれ遅れることはないだろう。

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新型コロナウイルス感染拡大と教会(2)−大橋秀夫−

・写真:あべのハルカス

大橋秀夫牧師の『新型コロナウィルス感染拡大と教会』の<第2回>です。
世界各国の危機的な状況の中で、日本の教会が直面している課題を明らかにしつつ、今後の歩むべき道を問いかけ指し示しておられる内容です。
皆様、ぜひ、ご一読くださいますよう、ご案内いたします。

第1回 より  <—– クリック!

● 3回の連載:<第2回>

 

 

大橋秀夫
「日本教会成長研究所」
(現、JCGIネットワーク)
コメンテイーター、理事、全国講師
日本福音自由教会
クライストコミュニティ教会  顧問牧師

 

2,教会の対応

 ではキリスト教会の対応はどうなのか。コンコーダンスによると、「疫病」と言うウイルス性の感染症を表すだろう言葉は66回ある。そのうちの1回だけが新約聖書ルカの福音書21章11節にある。そこには次のように書かれている。
「大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい光景や天からの大きなしるしが現れます。」と。これは終末の前兆を知りたがる弟子たちの求めに対して語られたのであるが、他の福音書はもとより、ヨハネの黙示録の終わりの日に下される災いの中にも「疫病」は含まれていない。今回、終末論に結び付けて対応するという過去の間違いを踏襲しなかったのは、教会の成長と言えるかもしれなない。

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新型コロナウイルス感染拡大と教会(1)−大橋秀夫−

・写真:武庫大橋と皇帝ダリア

この度、大橋秀夫牧師が、SALTYからの執筆依頼に快く応じてくださり、『新型コロナウィルス感染拡大と教会』の一文を寄稿されました。
世界各国の危機的な状況の中で、日本の教会が直面している課題を明らかにしつつ、今後の歩むべき道を問いかけ指し示しておられる内容です。

3回の連載として掲載いたします。
皆様、ぜひ、ご一読くださいますよう、ご案内いたします。

● 3回の連載:<第1回>

 

 

大橋秀夫
「日本教会成長研究所」
(現、JCGIネットワーク)
コメンテイーター、理事、全国講師
日本福音自由教会
クライストコミュニティ教会  顧問牧師

 

新型コロナウイルス感染拡大と教会

はじめに

 それは2019年11月末の新聞の国際面一番下に15行前後の小さい記事だった。 新しいタイプの「ウイルスか?」と言うような見出しだった。WHOは、毎年その年のインフルエンザウイルスを特定するために中国へ調査団を派遣している。しかし、この新型ウイルスを発見したのは、WHOの調査団ではなく、中国の医師だった。
私は、これはきっと大きな問題となるに違いないと思い、その後も新聞に目を凝らしていた。案の定、12月に入ると中国で感染拡大のニュースが広がった。新たな事態をSNSで拡散させたとして、周医師は拘束され、自身が感染して亡くなってから、中国は国際的な非難を避けるために同氏を「英雄」に仕立て上げた。WHOがパンデミックを宣言したのは3月12日だった。この時にすでに感染はヨーロッパからアメリカへと拡大していた。

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「攻め」のないキリスト教? −井草晋一−

・写真:葬儀の朝_教会の空
   (能勢川バイブルキャンプ_2020-11/26)


 

ピヨ バイブル ミニストリーズ
 代表 井草晋一

・コルネリオ会教職顧問(関西)
・SALTY 論説委員
・日本メノナイトブレザレン教団
 武庫川キリスト教会 協力牧師

 

「攻め」のないキリスト教?

~「促し」をしているのでしょうか?~

● コルネリオ会(防衛関係キリスト者の会)
 12月例会メッセージ(2020-12/12 )

 最近、「コロナ後のキリスト者・教会の働き」について思い巡らすことがあります。
 2020年1月以降の「新型コロナウィルス感染症」の世界的蔓延と、11月以降の第三次の感染拡大の中で、日本の私たちも、また、世界の全ての国々の人々も、トンネルの出口が見えないような苦難と大きな試練の中をぐぐり抜けている、まさに「今」です。
 けれども、そのような中で、もしかすると、キリスト者として、あるいは、地域教会としてキリスト教信仰における最も大切なものを忘れかけているのではないか?、と最近、特に思わされました。

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髙山飛騨守とロレンソ −久保田典彦−

※ 写真の正面の山が、沢城のあった 城山 ( 525m )

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第35回 

 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

 

 髙山飛騨守とロレンソ

● 大和を治める 松永久秀 ( 弾正 ・ 霜台 ) のもとにあって、大和 ・ 沢城を託されていたのが、髙山飛騨守 ( 右近の父 ) でした。

主君の松永久秀は、熱心な法華宗徒でしたが、家臣の髙山飛騨守も 同様でした。

飛騨守は、同じ 松永久秀に仕える ・ あれほどの学識のある結城山城守、そして、清原枝賢までもが、キリスト教の話を聞き、信じて、洗礼を受けたことを知り、これは 重大な出来事であり、キリスト教には、何か 重要なことがある と感じました。

● 丁度、二人に洗礼を授けるために 奈良に来ていたヴィレラ神父が、日夜、ロレンソ修道士を通訳として、神のことを伝えていた集まりに出かけて行き、くりかえし熱心に、神 ・ デウスのことを聴聞し、異常なほどの感銘を受けたのでした。

そして、ただちに、そこで ヴィレラ神父から洗礼を授けてもらい、
“ ダリオ ” の霊名を授かったのでした。 髙山ダリオ飛騨守

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城の維持管理 −久保田典彦−

※写真:芥川城跡説明板より

『キリシタン史からのメッセージ』

 高槻・Ucon:第34回 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

城の維持管理

━ 久保田 Ucon 典彦 

● わが町 ・ 高槻にも、城跡が遺(のこ)されてきているものとして、

「 高槻城 」 と 「 芥川城 」 が ありますが、

お城 というと、とかく、天守などの建物や 土塁 ・ 石垣 ・ 堀 が 関心の中心に なりますが、築城された後の 維持管理が、実は、なかなか 大変だったようですョ。

● 城には、配備される 軍勢 ・ 城兵が、有事でなくても、何十人規模で 常駐することになります。
彼らを いっさい、理由もなしに、城外に出してはいけませんし、何か用事があって 城外へ派遣する場合は、特別に、城主が出す手形を 門番の兵に見せて、外出することになります。
臨時的な ・ その場しのぎの城でなく、ある程度の期間 使おうとする城の場合、維持管理が出来ていないと 意味がありません。

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人身売買・奴隷・拉致 −久保田典彦−

講壇の白百合

*編集者より

 今回投稿されたものは、キリシタン時代の人身売買についての残された記録です。

 投稿者は、現代にもつながる微妙な問題なので、お読みいただいたお一人お一人がそれぞれに考えていただきたいと願い、あえて、資料のみを投稿されておられます。
そのことを理解してお読みいただき、各自が考えていただきたいと思います。

 

『キリシタン史からのメッセージ』

 高槻・Ucon:第33回 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

 

人身売買・奴隷・拉致

 

戦国時代の 闇の部分

人身売買 ・ 奴隷 ・ 拉致

  

 [ 九州での 人身売買 ]

 薩摩軍が通過した後には、何一つ満足なものは残っておらず、少しでも逆らう者は 殺害された。

 また それに劣らず嘆かわしく、いな、むしろ 最大に嘆かわしく思われたことは、薩摩勢が 実に おびただしい数の人質、とりわけ 女性 ・ 少年 ・ 少女たちを拉致するのが 目撃されたことである。これらの人質に対して、彼らは 異常なばかりの 残虐行為を あえてした。

 彼ら、被害者のうちには、大勢の キリシタンも混じっていた。

( フロイス 「 日本史 」 )

 “ 愛・宣教 ” の原点 −久保田典彦−

写真:大分・遊歩公園の 「聖フランシスコ・ザビエル像」

 

 

『キリシタン史からのメッセージ』

 高槻・Ucon:第32回 

 

 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

 “ 愛・宣教 ” の原点

キリシタン時代の「愛」の表現とは?

● キリシタンの時代にも、「 愛する 」 という言葉は使われていましたが、キリスト教でいう 「 愛 」 ではありませんでした。 
優位にある者が 劣位にある者を “ かわいがる ” という意味でしか用いられませんでした。
“ 性的に もてあそぶ ” という意味で用いられることさえあったほどです。
仏教語としても、「 愛する 」 は、悟りを妨げる行為として、 「 科 」 ( とが ) と とらえられていました。
キリスト教でも、「 どちりいな きりしたん 」 で、 “ 悪を見知らぬ様にするもの ” として、「 愛する 」 ことが 誘惑 ( テンタサン ) である として、避けるように 言われています。

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一座建立 −久保田典彦−

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第31回 

 

 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

一座建立

 

● 髙山右近たち、キリシタン時代の 茶の湯において、大切に考えられていた 3つの事柄は

「 市中の山居(しちゅうのさんきょ) 」 「 和敬静 ( 清 ) 寂(わけいせいじゃく) 」 「 一座建立(いちざこんりゅう) 」 

 ━━ ということでした。

● 「 一たび 茶によって結ばれた 人間相互の結合は、いかなることがあっても、鎖断することがない。」  ( 西村 貞  「 キリシタンと 茶道 」 )

 “ 一たび キリスト によって結ばれた 人間相互の結合は、いかなることがあっても、鎖断することがない。”

 ━━ と 言えそうですネ。

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