山上事件を公開情報と本人供述から検証する【上】——「宗教被害ナラティブ」は事実と一致しているのか

 

 

 

中川晴久
東京キリスト教神学研究所幹事
SALTY-論説委員

安倍晋三元首相銃撃事件以降、日本社会には「山上徹也被告(以下、山上)は旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の“宗教被害者”であり、その帰結として凶行に及んだ」という物語が、広く流通してきた。

山上の裁判員裁判は、2025年12月18日に結審し、2026年1月21日の東京地裁判決を迎えようとしている。ところが事件から約3年半にわたり公判が長期化する過程で、山上の人物像は、当初の印象とは異なるかたちで語り直されていった。象徴的なのが、いわゆる「宗教被害者としての山上」というイメージである。

この認識は、メディア報道や一部ジャーナリストの発信によって、ほぼ前提のように扱われてきた。しかし、公開されている事実、裁判で明らかになった供述、関係者の証言を丁寧に点検すると、世間に流布してきたナラティブ(物語)には、見過ごせない齟齬が存在する。

本稿では、確認可能な情報に基づき、通説とされてきたポイントを一つずつ検証する。

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「ベツレヘムのクリスマス」から見る、平和への祈り ~ 明石清正 ~

(写真:An aerial photograph shows people gathering in Nativity Square during a Christmas tree lighting ceremony in Bethlehem, in the West Bank, on December 6, 2025. (Photo by HAZEM BADER / AFP)

明石清正
SALTY論説委員
カルバリーチャペル・ロゴス東京 牧師
ロゴス・ミニストリー 代表

私たちは、主イエスのご降誕を祝う時季に入っています。そんな時、イスラエルのニュースで、主のご降誕されたベツレヘムで、2年ぶりに降誕節が祝われているニュースが入ってきました。

記事:2年ぶりにクリスマス前の賑やかさ戻るベツレヘム 2025.12.8

23年10月7日に、イスラム過激組織ハマスがイスラエル領内に襲撃し、大多数の人々を虐殺し、イスラエル軍が反撃を開始しました。トランプ米政権の仲介で、停戦案が始動し、その第一段階であるイスラエルの人質の返還が、生存者は完全に行われました。今、この記事を書いている段階では、残り一体のご遺体が返還されていません。しかし、戦闘は基本停止して、第二段階であるハマスの武装解除をする番です。

クリスマスを祝えなかった23年と24年

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クリスマスメッセージ イエス様が飼い葉桶で寝かされたということ

サムネイルはホントホルスト羊飼いの礼拝

田口望

 

 

 

田口 望
我孫子バプテスト教会牧師

イエス様が飼葉桶で寝かされたということ

クリスマスのこの時季、多くの牧師は、語る者と聞く者とのあいだにある「聖書の知識のムラ」に頭を悩ませます。

というのも、邦訳聖書は旧約聖書がおよそ1500ページ、新約聖書がおよそ500ページ、合わせて約2000ページあります。語る側としては、本当はこの2000ページにわたる物語を、できるだけ満遍なくお伝えしたいのです。

ところが、イエス・キリストの誕生に直接かかわる記事は、マタイによる福音書にわずか3ページ、ルカによる福音書に6ページ、合わせても10ページほどしかありません。2000ページのうち10ページ、つまり全体の200分の1だけが「クリスマス物語」なのです。

もし私たちがページ数に比例してメッセージを語るなら、週に一度、年間50回説教したとして、クリスマスメッセージは4年に1回でよい計算になります。ところが現実には、教会では毎年12月になれば必ずクリスマスメッセージが求められ、年間50回のうち4〜5回、つまり10回に1回はクリスマスの話をしている、というのが実情です。

聞く側も同じです。中には「去年のクリスマス以来、一年ぶりに教会に来ました」という方もおられるでしょう。その方にとって、一年前に聞いたのもクリスマスメッセージ、今日聞くのもクリスマスメッセージ。聖書の200分の199の物語はほとんど知らないのに、クリスマスのエピソードだけは妙に詳しくなっている、そんなことが起こり得ます。

もしかすると、語る側は「もうクリスマスの話はこすりにこすって、語ることがない」と感じ、聞く側は「クリスマスの話なら耳にタコができるほど聞いた」と感じている――そんな状態かもしれません。

それでもこの紙面で、私が語るのもやはりクリスマスメッセージです。しかし、聖書という不思議な書物は、同じ物語を何度読んでも、そこから新しい光を与えてくれると信じています。 “クリスマスメッセージ イエス様が飼い葉桶で寝かされたということ” の続きを読む

キリスト者は共産主義あるいは共産党を支持してよいのか?(3)聖書神学的考察 原始教会とイエスの言葉を端緒として

カール・ブロッホ作「山上の垂訓」

サムネイルはカール・ブロッホ作山上の垂訓

田口望

 

 

 

田口 望
我孫子バプテスト教会牧師

題 この世のユートピアではなく、来るべき御国に生きる


Ⅰ.原始教会は「共産主義」だったのか?(使徒言行録2・4章)

まず、「原始キリスト教共産主義」と言われるときに、
よく取り上げられる聖書の場面を確認します。

「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、
財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」
(使徒言行録2:44–45)

「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。」
(使徒言行録4:32)

信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り…その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。」
(使徒言行録4:34–35 抜粋)

これだけ読むと、たしかに「ほら、みんなで財産をまとめて、貧しい人がいなくなってる。これは“共産主義”の理想に近いじゃないか」と言いたくなる人もいるかもしれません。でも、原始教会と共産主義の間には、決定的な違いが少なくとも三つあります。

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