「ベツレヘムのクリスマス」から見る、平和への祈り ~ 明石清正 ~

(写真:An aerial photograph shows people gathering in Nativity Square during a Christmas tree lighting ceremony in Bethlehem, in the West Bank, on December 6, 2025. (Photo by HAZEM BADER / AFP)

明石清正
SALTY論説委員
カルバリーチャペル・ロゴス東京 牧師
ロゴス・ミニストリー 代表

私たちは、主イエスのご降誕を祝う時季に入っています。そんな時、イスラエルのニュースで、主のご降誕されたベツレヘムで、2年ぶりに降誕節が祝われているニュースが入ってきました。

記事:2年ぶりにクリスマス前の賑やかさ戻るベツレヘム 2025.12.8

23年10月7日に、イスラム過激組織ハマスがイスラエル領内に襲撃し、大多数の人々を虐殺し、イスラエル軍が反撃を開始しました。トランプ米政権の仲介で、停戦案が始動し、その第一段階であるイスラエルの人質の返還が、生存者は完全に行われました。今、この記事を書いている段階では、残り一体のご遺体が返還されていません。しかし、戦闘は基本停止して、第二段階であるハマスの武装解除をする番です。

クリスマスを祝えなかった23年と24年

このようにして、パレスチナ自治政府の行政管轄(また治安管轄)にある、ベツレヘムは、ガザ戦争の戦闘に巻き込まれていませんが、同胞が戦禍にいるのに、クリスマスは祝えないということで、自粛をしました。

以下は、23年12月の記事で、皮肉にも巡礼者の宿でいっぱいになるベツレヘムは、全部、空いているという状況を説明しています。

宿は全部空いているベツレヘム:2023年のクリスマス 2023.12.25

飼い葉桶ではなく、瓦礫の中に寝かせられるイエス

次は24年12月の記事です。記事の中には、パレスチナ人の牧師が、パレスチナの象徴であるカフィア(被り物)にくるまれた、瓦礫の中に寝かされているイエスのモチーフを礼拝堂に作り、説教するニュース動画があります。

今年も閑散としたベツレヘムのクリスマス 2024.12.25

ここについて、内容を深めていきたいのですが、パレスチナ人のキリスト者の中にある、民族主義や解放神学に頼る教えが、メディアなどに出てくる教会関係者の中では特に目立って、出て来ています。

主は、確かに苦しむ人々と共におられ、そのために人としてキリストは来られましたが、イスラエルを強者、パレスチナを弱者(被害者)とみなし、テロ攻撃も辞さない抵抗運動を容認する文脈で紹介するのは、福音とは真逆の、歪んだメッセージだと言わざるを得ません。

駐日パレスチナ代表部も、イスラエルやユダヤ人を自分たちに置き換えて、イエスをパレスチナ人だといって紹介するXポストをしました。

イスラエルの対テロ戦によって、むしろ、相対的に鈍化されているパレスチナ内のイスラム過激派

今の中東やアフリカのキリスト者は、イスラム過激主義による、激烈な迫害を受けていることを知る必要があります。

ガザにおいて無差別の殺戮、あるいはジェノサイドが行われているという扇情的な文句は、事実に即しませんが、本当の殺戮は、ナイジェリア、スーダンなど各地で行われています。それが、イスラム過激派組織によるものであることは、世界福音同盟の作成した、迫害下のキリスト者のために祈る、課題にも明らかです。

パレスチナ自治政府は、むしろイスラエルに隣接しているため、イスラエル軍や治安警察、諜報活動による過激派との戦いによって、その広がりが抑えられているというのが、現実です。ベツレヘムには、福音派による聖書学校がありますが、イスラム教徒への宣教に従事している人から、中東のキリスト者が、そこで聖書教育と訓練を受けるために集まってきているという話を聞いたことがあります。相対的には、他の地域よりパレスチナが安全なのです。

けれども、やはりイスラム主義によるキリスト教徒に対する嫌がらせや差別はあります。まともに福音に生き、聖書が言っていることを信じているパレスチナ人の牧師は、過激派による攻撃で、危うく命を失いそうになった指導者もいます。

Palestinian Christian Leads Bethlehem Church amid Opposition
(Naim Khoury牧師の教会は、14回、イスラム過激派によって爆弾が放り込まれました。牧師自身は撃たれたこともあります。)

オスロ合意以後、キリスト教徒が激減したベツレヘム

当たり前ですが、忘れられている事実は、中東はキリスト教の支配下にありました。初代教会は中東にあり、アラブ系の人たちの大半がキリスト教徒でした。しかしイスラム教が生まれ、領域を征服していきました。それで中東に、キリスト教徒がいなくなっていきます。近年は、過激主義の台頭で急速に減っています。祈りの課題です。

パレスチナ自治区も例外ではありません。1947年のベツレヘムは85%がキリスト教徒でした。2017年は10%(23000人) まで落ち込み、この2年の戦争でも減少し11000人ほどで、80-90%はイスラム教徒です。

イスラエル人にもパレスチナ人にも関係を持っている在イスラエルの日本人の方は、「10年前、ベツレヘムのキリスト教徒は、クリスマスミサが日本のクリスマスのような非宗教化しているともこぼしていた」と言われています。

最初に紹介した記事には、ベツレヘム市長が、今回のクリスマスをお祝いする言葉をカメラの前では話していますが、キリスト教のクリスマスではなく、非キリスト教化されたものを紹介している、ということです。

ベツレヘムのキリスト教徒は、すでに国外にいる親戚などのつてなどで、国外に出て行きます。理由の一つは、経済的苦境です。私自身、1999年に初めて聖地旅行に行った時のベツレヘムは喧噪に満ちていましたが、2000年代に行った時は、閑散としていて、何とも言えず、悲しくなりました。

ちなみに、イスラエルにはアラブ系の市民が20%おり、イスラエルでキリスト教徒というと、8割がアラブ人です。彼らの特徴は高い教育です。大学への進学率も高く、医療や教育関係などで活躍している人々が多いです。

歴史的に「庇護民」とされたキリスト教徒の生き残り

ですから、中東全域で起こっていることが、パレスチナでも起こっているということです。イスラムの支配にあるキリスト教徒は、その教えの中で庇護民とみなされ、二流市民として生きてきました。それで、生き残りのために、周囲のイスラム社会やアラブ民族主義と一体化してきた経緯があります。

それで、パレスチナ・キリスト教の指導者には、欧米で神学教育を受け、その人脈から、欧米内のリベラル左派傾向のある教会に、「パレスチナ解放神学」という、パレスチナの解放路線を、中南米で始まった解放神学と合体させたものを、発信しています。

「テロリズム容認」神学、日本に紹介される

イスラエルから流れる神の愛

日本語訳されている本もあり、こうした、複雑な背景を単純化して、「かわいそうなパレスチナに寄り添うことがキリスト教的だ」として、政治的左派志向を持つ日本の教会関係者も、同じようにして福音とは相いれない、この解放神学を無意識に受け入れ、支持しているということに気づくべきです。

彼らは、キリスト教シオニズムに集中して批判しますが、それは、逆に、自分自身にあるものを鏡のように見ているからです。すなわち、パレスチナ民族解放路線にキリスト教を取ってつけているのです。

初めのクリスマスは、過酷な政治状況で起こった

もちろん、表向き、パレスチナ主義を推進する教会関係者のためにも、執り成す必要があります。日々、圧迫を受けている中でそうなっているという理解が必要です。けれども、本気で福音を信じ、宣べ伝え、また聖書に書かれていることを信じるならば、苛烈な迫害を受け、「小さき声の中の小さき声(Voiceless Voice)」になっていることを、注意深く聞き分け、最も心に留めないといけないでしょう。

それが、二歳以下の男の子が虐殺されたベツレヘムであり、その強権と過酷さの背景の中で、羊飼いや東方の賢者などが、私たちの主を礼拝したのだ、ということです。