(写真は、青山学院大学の入口。ジョン・ウェスレー像が立っている。)

明石清正
SALTY論説委員
カルバリーチャペル・ロゴス東京 牧師
ロゴス・ミニストリー 代表
青山学院の、藤原淳賀教授による論文です。
「なぜ日本のキリスト教は反日左翼的なのか?:神学における「日本」の問題」
日本という土壌はキリスト教に合わないという声もある。筆者は青山学院大学でキリスト教概論を毎年数百人の学生に教えている。学生が書いた毎週の授業レポート、各学期4-5回の礼拝レポートを読むとき、かなりの学生はキリスト教の福音をしっかりと受け止めていることがわかる。しかもクリスチャンの学生よりも、初めて福音を聞く、キリスト教に対して身構えて授業を受け始めた学生の方が純粋に福音に反応することが多い。そういった経験から、また牧師としての四半世紀にわたる開拓、伝道、牧会の経験から、さらには青山学院大学地球社会共生学部の教授たちとの交わりから、日本人は、福音それ自体ではなく、「一種独特の閉鎖的雰囲気を持つ日本のキリスト教」に対して心を閉ざしているのではないかと思うようになった。
その一つが反日左翼的なキリスト教であると考えている。日本のキリスト教が反日的である限り、日本人はキリスト教の使信(福音)に対して心を開くことは難しいであろう。そもそも人は、自分たちを嫌い憎む人たちに近づこうとは思わないものである。
いろいろな意味で、心に沁みました。特に、冒頭の上の文章です。私は、青学出身です。しかも、キャンパスにいる時に信仰を持ちました。上の文章の当事者なのです。当時大学長、後に学院長になられる牧師さんから、キリスト教概論を受けましたが、彼からにじみ出る、牧会的な愛を感じました。その数か月後に、信仰を持ちました。
しかし、私がずっと課題だったのは、「日本のキリスト教会」でした。どうも普通の日本人男性が入るのには、何か、違うものを感じました。入り込もうにも、何か劣等感が出てきてしまうのです。自分はそのようにはなれない、と。
ところで、青学には、クリスチャン推薦で入ってくる子たちがいます。同じクラスで、その子と会話した時に、驚きました。なぜか、共産党の活動に関わっていました!新しく信じたばかりの私は、「なんでそうなるの?」と不可解でした。
私にとって大きな課題は、「教会にある、一種独特の閉鎖的雰囲気」でした。牧者になれば、仲間に入れるかな?と思うのですが、なっても、なんとその閉鎖性を感じました!
一部の人々(福音派と呼ばれる人々)からは、暗黙のうちに「あなたは、まともな神学を受けていない、二流クリスチャンだ。正式な牧師ではない」という圧迫を受けます。ある時は、ある人から、あからさまに言われました。
しかし、私がかえって思ったのは、「私たちが福音に仕えている、日本の方々、普通の一般の方々に、目が向いていないのではないか?」ということです。藤原教授の仰るように、キリスト教に身構える学生の方が、かえって福音に純粋に反応することが多い、というのは現実だと思います。
少数派であるゆえに、何か自分たちを守る壁みたいなものを、いつの間にか造り上げて、お城にして、本来、福音にあって仕え人でなければいけないのに、「日本キリスト村」と呼ぶべき、自分たちを否定する人々から殻を作って守らないといけない、というような、警戒的姿勢が気づかないうちに、身に付いてしまっているのではないでしょうか。
私はかえって、海外の兄弟姉妹から、日本への愛を教わりました。日本のために純粋に熱心に祈り、心を主に注ぐ兄弟姉妹によって、神は日本を愛しておられることを知りました。宣教地に行き、ますます神が日本を愛しておられるのを知りました。ところが、宣教地から戻ると、日本人が日本を愛せない姿を見ました。自分たちを貶めることが、一種の道義なのだとさえ思われる風潮があります。
包括的に日本を受け入れ、その上で、福音を語るということはできないものでしょうか?イエスは、ユダヤ人たちの罪を明らかにされましたが、ユダヤ人やイスラエルを愛されました。その包括的な受容が、懐の大きさが、日本の教会には必要なのではないでしょうか?


