「祈りの人」髙山右近 −久保田典彦 −

※ 写真:「祈る髙山右近」 (水戸成幸・画)

 

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第25回 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

「祈りの人」髙山右近

 髙山右近も お父さんの飛騨守も、 「 祈りの人 」 でしたよ!

高槻城内にあった教会、今の 野見神社の所にあった教会では、毎朝、早天のミサ ・ 早天祈り会が持たれていました。

 毎朝、キリシタン達が集まってきて、祈りをささげていたわけですが、教会に 一番にやって来たのは、誰だったと思いますか?

 高槻城主である髙山右近か、お父さんの 飛騨守か、この二人の内の どちらかだったのです。

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「 無い無い尽くしの中で 」  − 久保田 Ukon 典彦 −

『キリシタン史からのメッセージ』
  高槻・Ukon:第5回

 

 

 

 

久保田Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

 

「 無い無い尽くしの中で 」 

 
● 中世の頃、キリシタンの時代。
 聖書の全巻翻訳はありませんし、各国語に訳されてもいません。
 印刷も、活版印刷の技術は発明されたとはいえ、大量には無理。
 たとえ、あったとしても、人々は読めません。一般の識字率は低いのです。
※ 現代の私たちは、聖書の全巻翻訳は、日本語で、何種類もなされていますし、
 一家に何冊もあるほどに、大量に印刷され、手にすることも出来ます。
 現代の日本語に訳された聖書を読むことが出来ます。
 読んでいくことが出来るのは、義務教育が行き届いているおかげと言えるでしょう。

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