サムネイルはカール・ブロッホ作山上の垂訓

田口 望
我孫子バプテスト教会牧師
題 この世のユートピアではなく、来るべき御国に生きる
Ⅰ.原始教会は「共産主義」だったのか?(使徒言行録2・4章)
まず、「原始キリスト教共産主義」と言われるときに、
よく取り上げられる聖書の場面を確認します。
「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、
財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」
(使徒言行録2:44–45)
「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。」
(使徒言行録4:32)
信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り…その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。」
(使徒言行録4:34–35 抜粋)
これだけ読むと、たしかに「ほら、みんなで財産をまとめて、貧しい人がいなくなってる。これは“共産主義”の理想に近いじゃないか」と言いたくなる人もいるかもしれません。でも、原始教会と共産主義の間には、決定的な違いが少なくとも三つあります。
“キリスト者は共産主義あるいは共産党を支持してよいのか?(3)聖書神学的考察 原始教会とイエスの言葉を端緒として” の続きを読む

