井草晋一
日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY- 編集長
( 2020年10月26日 編集長を退任)
日本メノナイトブレザレン教団 牧師
ピヨ バイブル ミニストリーズ 代表
Piyo ePub Communications 代表
柔和な主イエスにならう平和を求めて
皆様の日々のお働きの上に、神様の祝福と平安がありますよう、心よりお祈りいたします。
「SALTY」の創刊にあたり、キリスト者としての多様な見解を表明することのできる「オピニオンサイト」の創立を願うに至った経緯と、一人のキリスト者としての自己紹介を兼ねて「SALTY」に期待することを述べさせていただきたいと思います。
ここ4〜5年のキリスト教会(教界)の動き(福音派と言われる教会や信仰者の一部も含めて)の中で、主イエス様の教えの一節、「平和をつくる者は幸いです。」や「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。」を、聖書の文脈から切り離して、自らの政治的信条や行動、時の政府の諸政策への反対を正当化するために用いる傾向が見受けられました。
これは、キリストの真実な弟子として、正しいアプローチなのだろうか?、と思わされました。
「平和」を主張しながら、激しい憤りや違法な行動、他者の見解や尊厳などに意に返さないような人々の動きに、共感したり賛同を表明する一部のキリスト者や団体が、あたかもキリスト教会の全体のようなイメージで、テレビや新聞などの一般のメディアに取り上げられていました。また、キリスト教会のメディアにも同様に取り上げられているのを目にしました。
もしかするとこのような状況の中では、私たちの家庭や地域、学校や職場などで接する多くの人々に誤った先入観を与えてしまうのではないか?
キリスト教会(教界)といっても、個々のキリスト者それぞれに、政治的見解、支持政党、憲法問題、原子力や自然エネルギーに関する諸政策、国防問題や、外交政策、経済・社会政策などに関しては多様な考えや見解があり、このことを表明する「場」が必要なのではないだろうか?
教会は、このような多様な視点や見解を持つ人々が、誰でも自由に心おきなく出入りできる「神の家族」なのではないか?
教会は、救い主イエス・キリストの十字架の贖い(身代わりの死と復活による救い)を受けた人々、それを知りたい、求めたいと思う人々が「喜んで集える場所」だということを、多くの人々に知っていただくことが必要なのではないか?
このように考えていた中に、志を同じくする者たちが、この2〜3年の間に「社会問題を考えるキリスト者」として不思議な形で集められて来ました。そして、満を持して2018年4月1日に、「日本キリスト者オピニオンサイトーSALTY」はスタートいたしました。
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私は、歴史的平和教会(フレンド派(クエーカー)、メノナイト、ブレザレン)のメノナイト教会の一つ、「メノナイトブレザレン教会」に属しています。
大学一年の春、1973年3月11日に初めて石橋キリスト教会の礼拝に出席しました。そこで牧師の語る「救い主イエス・キリストは、あなたの罪を全てご存知です。けれどもあなたの罪を赦し受け入れてくださるために、あなたを『友よ』と呼び、招いておられるのです。」というメッセージを聞いたのです。
メッセージの最後に牧師が「皆様の中で、イエス・キリストを罪からの救い主として信じたい、と願う方はありますか。」と促された時、心を激しく揺さぶられた私は、涙ながらに悔い改め、祈りの中で右手を上げて信仰の表明をいたしました。学生時代、社会人としての4年間、そして神学校での3年の合計10年間にわたって、有田優(ありた まさる)牧師から信仰の導きと薫陶を受けました。
神学生の時、私どもの教団の「福音聖書神学校」の校長の ハリー・フリーゼン先生がメノナイト教会の信仰の特徴に関する授業の中で、「キリストの弟子であることの究極的な帰結が、『無抵抗主義』である。」と語ってくださったことが、今でも忘れることができません。
平和へのアプローチには、色々な選択肢があろうかとは思いますが、「平和をつくる」とは、キリストが招かれたように、「<遣わされた場で>自分の命を捨ててキリストに従っていくこと」であると感じています。
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はない。」(イエス・キリストの言葉)
私は、日本の武士道や文化(〜道)の精神、そして、自衛官や海上保安官、警察官、消防官を始めとして、社会の様々な分野で、人々の安全や命、生活のために、日夜、命をかけてその職責を果たされておられる方々の姿とその決意を思う時、キリストが願われた如く「キリストの心」「キリストのように生きる」という意味での、共通点、また、共感を覚えるものです。
この 「日本キリスト者オピニオンサイトーSALTY」において、「愛をもって真理を語り」「尊敬をもって互いに人を自分よりも優れた者と思いなさい」との神の御(み)教えを心に、真実で建徳的な意見交換をしていきたいものです。
そして、日本人キリスト者として、また、このような趣旨に共感を覚えられる皆様と共に、来るべき「神の国」を待ち望みながら、お互いに「平和(シャローム)に生きる者」としていただけるなら、幸いだと思わされます。
2016年1月27日 井草晋一
(facebook メッセージ・一分間テレホンメッセージ)
『平和をつくる者は幸いです』<7>
「平和」、すなわちヘブル語のシャローム、ギリシャに訳されたエイレーネーは、戦争や争いのない状態だけを示す言葉ではありません。「物質的・肉体的な事柄」を表し、「関係」や「道徳的な意味」を表し、「幸福の状態」、「正しい関係」、「善の状態」を表す範囲の広い言葉です。
罪と悪と反逆によって断絶していた神との関係、破壊されていた人間相互の関係は、キリストの十字架の贖いによって、正しく清い愛に満ちた本来あるべき姿に回復されました。
今、主イエスを信じ、平和の君に倣って、健全で、一緒で、健やかな世界をつくろうではありませんか。
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。」
(マタイの福音書5章9節)