「憲法に自衛隊を明記」自民党改憲案を支持する -西岡力-

 自民党は党大会を開いて、4項目の改憲案を決めた。自衛隊明記、緊急事態対応、参院選の合区解消、教育の充実だ。
私は一昨年の参議院選挙の結果、改憲を目指す政治勢力が衆参両院で三分の二を超えた時点から、憲法に自衛隊を明記する改憲を実現すべきと提言してきた。今回、自民党改憲案にそれが入ったことをうれしく思っている。

 国会発議、国民投票と超えなければならない山はまだ、残ってるが、ぜひこの改憲を実現させたい。そのために努力する所存だ。ここでは、産経新聞に一昨年8月と昨年6月に寄稿した憲法に自衛隊を明記すべきだという趣旨の拙稿を再録し、皆様方の理解の助けとしたい。

【正論】戦後71年に思う 自衛隊を憲法に明記する発議を

産経新聞 2016.08.16

東京基督教大学教授・西岡力

 参議院選挙の結果、改憲勢力が衆参両院で3分の2を超えた。いよいよ国会で憲法改正発議に向けた議論が本格化する。選挙戦の最中、共産党の政策責任者が防衛予算を「人殺し予算」と断言し、物議を醸した。この発言は共産党の本音を表したもので、地方議会などでも同じことを主張してきた。それに対して多くの国民は自衛隊に対して失礼だと大いに怒った。

戦後日本の平和と安全を守っているのは自衛隊と日米安保条約による抑止力だと、大多数の国民は考えている。しかし、憲法9条の改正には反対がいまだに多い。


≪国連憲章に通底する平和主義≫

 産経新聞などが参議院選挙後に実施した世論調査では、憲法改正に「賛成」は42・3%、「反対」は41・7%だったが、「反対」と答えた人に「9条を残す条件での憲法改正」について聞くと、ほぼ3分の2の64・5%が「賛成」と答え、「反対」はわずか24・5%にとどまっていた。
しかし、ここで9条を変えない改憲に賛成と言っている国民に、「自衛隊の存在を憲法に明記すること」の賛否を問うたら、どのような結果になるだろうか。憲法の平和主義と自衛隊の存在は矛盾せず共存している。憲法に自衛隊の存在を規定する条文がないということを知らない国民もいるのではないか。ぜひ、自衛隊を憲法に明記すべきかどうか、という設問調査を実施してほしい。

 私がこう書くのは、憲法9条の平和主義規定は、実は日本国憲法だけの特徴ではなく、国連憲章や世界の多くの国の憲法と共通するという事実があまりにも知られていないからだ。9条は1項で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定している。これが憲法の平和主義だ。
この規定は、1928年の不戦条約第1条の「締約国は、国際紛争解決のため戦争に訴えることを非とし、且(か)つその相互関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の人民の名において厳粛に宣言する」を源流とし、国連憲章2条3項の「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」と通底する。


≪軍との並存が世界の常識≫

 比較憲法学の権威である西修氏によると世界の189の憲法典のうち159(84%)に9条1項のような平和主義規定がおかれているという。たとえばイタリア憲法第11条には「イタリアは、他国民の自由に対する攻撃の手段としての、および国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し」とあり、フィリピン憲法第2条は「(2)フィリピンは国家政策の手段としての戦争を放棄(renounce)し」と規定している。

 しかし、世界の憲法は同時に自衛のための軍の存在を明記している。前掲イタリア憲法は第52条で「(1)祖国の防衛は、市民の神聖な義務である(2)兵役は、法の定める制限および限度内において、義務的である(3)軍隊の編成は、共和国の民主的精神に従う」と定めている。フィリピン憲法第2条も「(3)フィリピンの軍隊は人民と国の防御者である。その目標は国家の主権と国家の領域の統合にある」と軍の存在を明記し、ドイツ基本法や韓国憲法では侵略戦争禁止規定と軍の保持規定が並存している。

 つまり、日本国憲法9条1項の平和主義と軍の保持は矛盾しないどころか、その並存が世界の常識なのだ。ところが、ほぼ唯一、日本だけが9条2項で「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という戦力不保持規定を持ち、自衛のための最小限の実力組織である自衛隊について、憲法に明文規定を持たない特殊な国となっている。


≪隊員の任務に名誉の付与を≫

 日本人の大多数は自衛隊を認めているのだから、世界の常識である9条1項の平和主義は変えず、2項を変更して自衛隊の存在を明記するか、3項に「前項の規定にかかわらず自衛のために自衛隊を持つ」などと書き加えることは、おおかたの国民の常識に沿うものといえるのではないか。

 自衛隊員は現在、南スーダンや尖閣諸島付近などで命がけで任務を遂行している。隊員は「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います」という宣誓をしている。彼らに報いる道は名誉を付与することだ。

 最初の憲法改正発議において、自衛隊を憲法に明記することを避けながら、今後も命をかけて国のために働けと命令するのであれば、政治家はあまりに自衛隊員に失礼である。隊員に名誉を与えるため、自衛隊の存在を憲法に明記するための闘いから逃げてはならないと強く思っている。(にしおか つとむ)

産経新聞 2016.08.16

【正論】宿願の自衛隊9条明記を果たせ 実現できなければわが国の将来はない

 

 

 

麗澤大学客員教授 西岡力

 

安倍晋三首相(自民党総裁)が憲法9条に自衛隊を明記することを含む改憲発議を提案した。これを受けて、自民党では今年中に党としての発議案を決めるというが、さまざまな批判の声もある。

 私は安倍提案に接して、ついにここまで来たかと心が躍った。同時に、国軍保持という当たり前のゴールからすると提案は道半ばであり、これさえ実現できなければわが国の将来はないと感じた。多くの困難はあるだろうが、絶対に9条に自衛隊の存在を明記する改憲を実現させなければならない。


≪なぜ隊員の名誉を守らないのか≫

 私は昨年8月16日付の本欄で、次のように主張していた。

〈9条1項の平和主義は変えず、2項を変更して自衛隊の存在を明記するか、3項に「前項の規定にかかわらず自衛のために自衛隊を持つ」などと書き加えることは、おおかたの国民の常識に沿うものといえるのではないか。

自衛隊員は現在、南スーダンや尖閣諸島付近などで命がけで任務を遂行している。隊員は「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います」という宣誓をしている。彼らに報いる道は名誉を付与することだ。

最初の憲法改正発議において、自衛隊を憲法に明記することを避けながら、今後も命をかけて国のために働けと命令するのであれば、政治家はあまりに自衛隊員に失礼である〉

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 経緯を記すと、私のこの主張は元航空自衛官であった潮匡人氏に触発されたもので、安倍提案と直接のつながりはない。

 潮氏は、改憲発議ができる議席が実現したのに自衛隊を憲法に明記することから逃げるなら、現役自衛官の失望は想像を絶するほど大きいと指摘していた。そして、9条2項を改正して自衛のための戦力として国軍保持を明記すべきだが、すぐにできないのであれば「自衛のための必要最低限の実力であって戦力ではない」という解釈を維持したままでもよいから、自衛隊の存在を9条に書き加えるべきであると述べていた。

 それを聞いて私は元自衛官だけにそのような主張をさせてはならないと考え、昨年、本欄を書いたのだ。統合幕僚長が安倍提案について「一人の自衛官としてありがたい」と発言したのを聞き、私は自分の考えに間違いはなかったと自信を強めるとともに、一部野党議員らが発言を批判するのを見て、自衛官の名誉を守ろうという意識を持たないのかと、怒りを抑えることができなかった。


≪2項の裏に存在する差別主義≫

 9条1項は、国際紛争を解決する手段としての戦争放棄という、現在の国際法の規定をそのまま書いたもので日本国憲法の特徴ではない。フィリピン憲法にもイタリア憲法にも戦争放棄規定が存在する。ただし「陸海空軍その他の戦力」の不保持を明記している2項は日本だけの特殊な規定だ。
この規定があるために政府はこれまで「自衛隊は戦力ではなく自衛のための必要最低限の実力組織だ」という、ある意味で詭弁(きべん)とも言うべき憲法解釈をとってきた。

 占領下で作られた2項の裏には日本民族だけには戦力を持たせてはならないとする、「日本民族性悪説」というべき差別主義が存在する。日本民族は生まれつき暴虐で正義観念を持たないので、戦力を持たせると再び世界征服を夢想して大量虐殺をしでかしかねない、という偏見だ。これを正当化するのがゆがんだ歴史認識である。南京大虐殺や慰安婦強制連行など、いまも国際社会で広く信じられている虚偽がこの偏見を後押ししている。

 悔しいことに、このような偏見をいまだに多くの日本人が信じ、それを世界に広げている。日本軍は植民地として支配していた朝鮮から20万人の若き女性を強制連行して性奴隷にしたという虚構を世界に広げたのは、日本人活動家と日本の大手マスコミだった。


≪国軍保持に向けた最初の戦いだ≫

 住民300万人以上を餓死させ、アウシュビッツにも匹敵するような非道な政治犯収容所を現在も運用し、多くの外国人を拉致し、国家テロを頻発させている北朝鮮のような国でも、国軍を持つことは自衛のためであれば国際法違反ではない。
その北朝鮮がミサイル発射を続け、既に核爆弾を保持している。核爆弾の小型化に成功し、ミサイルに搭載できるようになれば(既に搭載できるという見方もある)わが国は核攻撃をいつ受けるか分からない危険な状況となる。それなのに、国際法上、何の問題もない国軍保持をいまだに決断できないでいる。

 まず、1項、2項を堅持しつつ自衛隊明記を実現させる。その過程で2項の裏にある日本差別を多くの国民に知らせるのだ。2項を改正して自衛のための戦力を持つことが、普通の自由民主主義国になる道だからだ。

 ゴールは国軍保持だが、そのためにも9条に自衛隊を明記するこの最初の戦いに負けるわけにはいかない。