沖縄にある「声に出せない」という苦しみ −後藤献児朗−

 

 

 

 

日本キリスト者オピニオンサイト-SALTY-代表
有限会社サーブ介護センター 代表取締役

「沖縄にある本当の苦しみ」

従業員の結婚式と私たちの結婚記念を祝うことと、兼ねてより「社会問題を語るキリスト者のひろば」というSNSグループの中で話題になっておりました、沖縄に住む方々の「本音」を知ること、つまり「平和運動を行っている方々」にではなく、沖縄県内で静かに暮らす「一般の方々」から、「生の声」を聴くことも旅行の目的でもありました。


「語り部たち」の声

 沖縄に到着したその日、沖縄の歴史を確認するべく「ひめゆりの塔(会館)」へ向かいました。戦時中、多くの女学生たちが、負傷兵たちの看護のために戦地赴に使わされ、そこで若い命が悲惨な死を遂げた歴史を振り返りながら、戦争の愚かさを改めて感じました。目の前で悲惨な死に方をして行った仲間たちのことを、次の世代に伝えるため、ひめゆり会館で講話として語り継いで来られて方々が一人減り、二人減りといよいよ語り継いで行くことに限界が訪れ、やむを得ず「ひめゆり会館」での講話が終了していたことはとても残念でしたが、掲示されていた資料からだけでも、当時の沖縄における戦いが、いかに一般人を巻き込んだ非人道的な戦いであったかを十分に知ることはできた。

 とても不思議だったのは、モニターに映し出された「語り部たち」の語る言葉の中には、日本兵や仲間の惨い死に方は語られていても、アメリカ軍やアメリカに対する憎しみの言葉がなく、「戦争そのもの」に対する怒りと、自身の無力さと人間の愚かさが語られていることでした。

 複雑な気持ちで開館を後にし、次へ向かう途中にあった土産屋に寄った。
そこで働く40歳前後の女性に何気なく「翁長知事がスローガンに掲げている「オール沖縄」について質問をしてみました。女性曰く「確かに、多くの沖縄県民は、“できれこれ以上沖縄に基地はできて欲しくない” と思っていますが、賛成と反対が大きく分かれてますからとても複雑ですね」との言葉がありました。時間もなくゆっくり話を聞くことはできませんでしたが、とても複雑な思いを抱えていることだけははっきり伝わってきました。


リアルな「生の声」

 2日目、那覇市内をタクシーで移動中、運転手の方にも「オール沖縄」について聞いてみました。運転手の方曰く、「翁長さん、もうダメでしょう。支持していた企業や支持者が離れてしまい、各地域での選挙でも保守派が勝利する事態が起こって “オール沖縄” が揺らいできましたね。その上体も壊しちゃいましたから、今年の秋の選挙は、出られないでしょ?県民も、地域によって基地の撤廃や辺野古への移設について随分温度差はありますよ。辺野古だって経済活性化のために、移設に賛成している人もいますし、普天間だってなくなったら困る人だっているし、ただそこに商業施設なんかができれば普天間の経済も発展するだろうから、それを期待する人も多いよ。経済の発展は、沖縄の北と南大きくかけ離れてるからね。北の人にとっては南の地域がうらやましいと思ってる人もいるから、辺野古への基地移設を喜んでる人も当然いると思うよ。」

 そして、同じく那覇市内の有名焼き肉店で働く50代の男性と、比較的ゆっくり話すことができた。話し始めは若干警戒しながら注意深く私の言葉に耳を傾けている様子でした。世間話から始まり、徐々に打ち解け合うにつれ、話は普天間基地に関する核心部分に。
「基地周辺はうるさいよ。物凄くうるさい。基地ってのは“無いに越したことない”。でもね?!沖縄の経済はアメリカ軍あってのものだから、複雑なのよ。本当はアメリカ軍にいて欲しいと思ってる人もいる。でも、そんなこと反対派の人が聞いたら “何を言われるか、何されるかわからない”から言えないのさ。沖縄の人たちの中には、“基地はない方がいい”と思ってるのと同時に “でも・・・” って考えてる人も少なくないと思う。」
私が保守的な考え方を持っているとわかると、さらに堰を切ったように思いが出始める。
「アメリカ軍には確かに横着で事件を起こす者もいるけど、そんな者ばかりじゃないのよ。ホントいい人たちたくさんいる。最近では中国人観光客が押し寄せてくるようになって、沖縄はいつか中国に飲み込まれてしまうんじゃないか、って不安になる時がある。中国かアメリカか?って聞かれれば、そりゃアメリカでしょ?。だからお店にアメリカ人が来ると妙にホッとする。本土にはどのように伝わってるかわからないけど、沖縄タイムズも琉球新報も偏ってると思うよ。」

リアルな「生の声」でした。


「声にできない声」

 沖縄は、唯一他国と陸地で戦った場所です。目の前で悲惨な光景を目の当たりにし、アメリカ軍に対して「憎しみ」を抱いている人たちばかりかと思いきや、沖縄の方々の人柄なのだろうか、琉球王国時代から続く、中国や日本本土と友好的なかかわり方に徹してきた地域性なのか、酷いことをしたアメリカ人を憎み続けるのではなく、共存共栄の道を選び苦しみや悲しみを押し殺して、今ではアメリカ軍を受け入れ生活していることに驚きます。何よりも「周辺諸国の脅威」を沖縄の方々が肌で感じていることは、ダイレクトに伝わってきました。
本来であれば酷いことをした相手を憎んでいても不思議ではないのに、彼らと共存している沖縄の方々の寛容さに敬服します。その反面、本土からやってくる第三者が、「アメリカをもっと憎むべき」「沖縄を捨て石にした日本を憎むべき」と言わんばかりに、アメリカ軍との共存共生に全力を挙げて取り組んでいる沖縄の方々の努力を、踏みにじるかのように活動する人々に対して、沖縄の方々は「冷めた目」で見ていることも否定できないのではないでしょうか?

 「基地はないに越したことはない」という言葉だけを抜き出して、その後に続く「でも」から先を全く取り上げようとしないメディアやマスコミ、そして活動家たち。活動家に話を聞いても帰ってくる言葉は同じです。

 「本音を言えば何を言われ、何をされるかわからない」と怯える沖縄の人々。
「声にできない声」を一体だれが声にするのだろうか? 沖縄の表向きの声は「基地はいらない」です。
それだけを抜き出して「沖縄の本音」として理解してよいのだろうか?

 今回の旅行で出会ったのは、「普段は政治のことは語らない方々」です。
私たちが耳を傾けなければならないのは、「活動家たちの声」にかき消され、その陰でひっそり身を隠している方々の「声にできない声」なのではないでしょうか?