苦難に対する三つの型 –久保田 Ukon 典彦–

『キリシタン史からのメッセージ』

高槻・Ukon:第13回

 

 

 

 

久保田 Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

苦難に対する三つの型

● 豊臣秀吉、続く 徳川家康や 秀忠、江戸幕府による 過酷なキリスト教禁教 ・ 迫害 ・ 弾圧が続いていき、バテレン ( 宣教師 ) や キリシタン達は、大変な経験をされていったわけですが ・・・・・・・

 戦国の この時期の弾圧が、歴史的に 他に例のないほどの 特別なものだったのか ━━ というと、それは そうではないようです。

 “ 創造主である神と 愛 ” を説く キリスト教は、いずれの時代 ・ 国や地域においても、支配者 ・ 権力者にとっては、自らの存立 ・ 安泰を おびやかすことになる、危険きわまりないものだったのです。

 主イエス ・ キリスト 自身が、そうでした。
政治 ・ 宗教の 権力層 ・ 支配層から 苦難を受け、生命を奪われていったのです。

信仰深く 生きようとする者は、キリストが そうであったように、みな迫害を経験するのです。 ( テモテ第二 3:12 )

ただしいことをしていて、迫害される者は 幸いです。
天の御国 ( 天国 ・ パライゾ ) は、その人たちのものだ、と 約束されています。 ( マタイの福音書 5:10 )

● 使徒パウロも、多くの苦難を 体験しました。
( コリント第二 11:23~28 )
他の聖徒たちも、 むちで打たれ ・ 鎖につながれ ・ 牢に入れられ ・ 石で打たれ ・ のこぎりで引かれ ・ 剣で切り殺され ・・・・・・・
この世は、彼らに ふさわしい所では ありませんでした。

彼らは、地上では 旅人であり ・ 寄留者であることを思い、天の故郷 ( 天国 ・ パライゾ ) を めざして 歩んでいたのです。
天の御国 ( みくに ) でいただく 「 義の栄冠 」 を めあてに 歩んでいたのです。

● “ キリストに倣いて ” 歩み、“ キリストの苦難 ” を経験していく時、どのように 対応していったのか ━━ 3 つの型があるようです。

① [ ステパノ 型 ]   殉教 ━ 天国へ
聖徒たち ・ キリシタン達 の多くが、迫害する者のために 祈り ・ ゆるしながら、殉教していきました。
二十六聖人 ・ 188福者 ・ 元和の 大殉教者 ・ 髙山右近
・ペトロ岐部 ━ “ 岐部ペトロは 転び申さず候。吊るし殺され候。” ( 井上筑後守政重 )

② [ ペテロ型 ]   否定 ━ 悔い改め ━ 再献身
キリストを、呪いをかけてまで 三度も否定した ペテロでしたが、激しく泣いて 悔い改め、それまで以上の思いで 献身していきました。
当座の苦しみは 逃れられても、後の苦しみが待っています。
同宿 ・ 寿庵 というキリシタンは、拷問にかけられて 背教していきますが、40年後、晩年になって、「 宗門に立ち上がり ( 立ち戻り ) 相果て候て、本望に達し申すべき由にて、立ち上がり候。」 ━━ との手紙を記し、牢死していきました。

③ [ ユダ型 ]   否定 ━ 反省はしても、神に悔い改めることはしない。
フェレイラ ( 沢野忠庵 )、キアラ ( 岡本三右衛門 ) といった 元 神父たち。
背教後は、宗旨替えをし ・ 女房を下され ・ 禄が与えられ、キリシタン達を 転ばせるために、積極的に協力していくことになるのでした。

 

━━ それぞれの型の キリシタン達の、今 現在の、
天国 ( パライゾ ) ・ よみ ( ハデス ) での姿を 思わされます。

 

*写真:「祈る髙山右近」(水戸成幸・画、「髙山右近研究室・久保田」蔵)

 

久保田 Ukon 典彦

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
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「髙山右近研究」をライフワークにしています。
髙山右近やキリシタン達を通して、いっしょに考えていければと思います。