*編集者より
今回投稿されたものは、キリシタン時代の人身売買についての残された記録です。
投稿者は、現代にもつながる微妙な問題なので、お読みいただいたお一人お一人がそれぞれに考えていただきたいと願い、あえて、資料のみを投稿されておられます。
そのことを理解してお読みいただき、各自が考えていただきたいと思います。
『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ucon:第33回
━ 久保田 Ucon 典彦 ━
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
人身売買・奴隷・拉致
戦国時代の 闇の部分
人身売買 ・ 奴隷 ・ 拉致
[ 九州での 人身売買 ]
薩摩軍が通過した後には、何一つ満足なものは残っておらず、少しでも逆らう者は 殺害された。
また それに劣らず嘆かわしく、いな、むしろ 最大に嘆かわしく思われたことは、薩摩勢が 実に おびただしい数の人質、とりわけ 女性 ・ 少年 ・ 少女たちを拉致するのが 目撃されたことである。これらの人質に対して、彼らは 異常なばかりの 残虐行為を あえてした。
彼ら、被害者のうちには、大勢の キリシタンも混じっていた。
( フロイス 「 日本史 」 )
薩摩の兵が 豊後で捕らえた人々の一部は、肥後へ売られていった。
ところが、その年の 肥後の住民は 飢饉に苦しめられ、生活すらままならなかった。従って、豊後の人々を買って 養うことは、もちろん不可能であった。
それゆえ、買った 豊後の人々を、羊や牛のごとく、高来 ( たかき ) に運んで売った。このように、三会 ( みえ ) ・ 島原では、四十人位がまとめて 売られることもあった。
豊後の 女 ・ 子どもは、二束三文で売られ、しかも その数は 実に多かった。 ( 「 日本史 」 )
路次すがら、傷を負った人に会った。そのほか、濫妨人 ( らんぼうにん ) などが、女 ・ 子どもを 数十人 引き連れ 帰って来るので、道も混雑していた。
( 島津氏の家臣の 「 上井覚兼日記 」 )
豊後の百姓や そのほか 上下の身分に限らず、男女 ・ 子どもが 近年 売買されて 肥後にいるという。
申し付けて、早く 豊後に連れ戻すこと。とりわけ、去年から買い取られた人は、買い損であることを 申し伝えなさい。
拒否することは、問題であることを 申し触れること。
( 豊臣秀吉による、人身売買の無効を宣言する朱印状 )
[ 小田原での 人身売買 ]
国々の地下人 ( じげにん ) ・ 百姓などは、小田原 町中の外で、ことごとく 還住させることを申し付ける。
そのような中で、人身売買を行う者があるという。言語道断で、許しがたいことである。
人を売る者も 買う者も、ともに 罪科は軽いものではない。人を買った者は、早々に 彼らを もといた場所に返すこと。
以後、人の売買は、堅く禁止するので、下々まで 厳重に 申し付けること。
( 秀吉の、上杉景勝に宛てた朱印状 )
人の売買については、一切 禁止する。天正十六年 ( 1588年 ) 以降、人が売買された件は 無効とする。
今後、人を売る者は もちろんのこと、買う者についても罪とするので、噂を聞きつけて 報告した者には、褒美を遣わす。
( 秀吉の 発給文書 )
[ 南蛮貿易と 人身売買 ]
秀吉 ポルトガル人が 多数の日本人を買い、その国 ( ポルトガル ) に連れて行くのは、何故であるか。
コエリョ ポルトガル人が 日本人を買うのは、日本人が売るからであって、パードレ ( 司祭 )たちは これを大いに悲しみ、防止するために 出来るだけ尽力したが、力が及ばなかった。
各地の領主 その他の異教徒が これを売るので、殿下 ( 秀吉 ) が望まれるならば、領主に、日本人を売ることをやめるように命じ、これに背く者を 重刑に処すならば、容易に停止することが出来るであろう。
( 「 イエズス会日本年報 」 )
私 ( 秀吉 ) は、日本へ貿易のためにやってくるポルトガル人らが、日本人を多数 購入し、奴隷として、それぞれの本国に連行すると聞いた。私にとっては、実に 忍びがたいことである。
そのようなことなので、パードレは、これまで インドや その他の国々へ売られた すべての日本人を、日本に連れ戻すようにせよ。
もし、遠い国々で、距離的に不可能な場合は、少なくとも、現在 ポルトガル人の購入した日本人奴隷を放免せよ。私は、ポルトガル人が購入に要した費用を すべて 負担する。
( 「 日本史 」 )
朕 ( ポルトガル国王 ) は、本勅令により、本勅令交付以後、いずれの地位にある日本人といえども、それを マカオに居住せしめたり、連行されることなく、 また、ほかの いずれの国民であっても、拘束 ・ 不拘束にかかわらず、奴隷として連れて来ることを 禁止する。
( ポルトガル国王の 勅令 )
[ 文禄・慶長の役と 拉致 ]
慶長二年 ( 1597年 ) 十一月十九日のこと。
日本よりも よろずの商人 ( あきびと ) も来たりしなかに、人商いせる者来たり。奥陣より後に付き歩き、男女 ・ 老若 買い取りて、縄にて首をくくり集め、先へ追い立て、歩み候わねば 後より杖にて追っ立て、打ち走らかすの あり様は、さながら 阿坊羅刹 ( あぼうらせつ ) の罪人を責めけるも、かくやと思いはべる。
身の業 ( わざ ) は すける心によりぬれと、よろず 商う人の集まり、 「 かくせい ( 女性 ) 」 や 「 てるま ( 召使い ) ・ たるみ ( 男性 ) 」 の 若童 ( にゃくわん ) ども、くくり集めて 引き立て渡せる。
かくの如くに 買い集め、たとえば、猿をくくりて歩くごとくに、牛馬をひかせ 荷物持たせなどして、責むる躰 ( てい ) は、見る目 いたわしくて ありつる事なり。
( 「 朝鮮日々記 ( ひなみき ) 」 )
【 参考図書 】
「 人身売買・奴隷・拉致の日本史 」 ( 渡邊大門 著、柏書房 )
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久保田 Ucon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
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「髙山右近研究」をライフワークにしています。
髙山右近やキリシタン達を通して、いっしょに考えていければと思います。