バイブル・ソムリエ:亀井俊博
「芦屋福音教会」名誉牧師
「聖書を読む集い」牧師
“100年、80年、30年”
100年、80年、30年
今年は “昭和100年、戦後80年、阪神淡路大震災後30年” となります。2018年は明治150年の年と呼ばれ、明治新以来の日本近代化の歩みが回顧されました。こういう大きいスパンで歴史を眺めてみると、日々目前の出来事に一喜一憂するだけでなく、時代の大きな方向付けにどう先人たちが対処したかが分かり、参考になるものです。
昭和100年
まず昭和100年ですが、これは戦後80年と言う時代の区切り方と比較すると分かります。昭和100年は戦前の20年と言うか、敗戦までの20年の歴史を取り入れていると言う事です。結局昭和史の初め20年は軍部が覇権を握り国家を破滅に至らせた歴史でしょう。もちろん最近は世界的な右傾化の影響で、歴史修正主義が起こり、この様な負の歴史を自虐史観として退け、むしろ民族意識の発意高揚時代と評価しようとしています。しかし、国民の多くは「平和憲法」を基として今後の日本の歩むべき道の禁じ手として考えつつも、近隣の好戦的諸国家に取り囲まれ、あるいはトランプ大統領の自国は自ら守れ、アメリカの庇護にただ乗りするな、と二重の圧力にさて軍備増強をどうしたものかと思いあぐねているのではないでしょうか。いずれにしても昭和史20年は重いです。
戦後80年
それに対して、1945年に始まる戦後80年と言う見方は、スッパリと憂鬱な戦前を切り離し、敗戦の廃墟の下から、食うや食わずの日々から歯を食いしばって国家社会を復興再建し、その勢いが止まらず、いつの間にかジャパンNO1とまで言われるようになり、面はゆいが結構自尊心を回復した、ある意味明るい気分の時代回顧だと思います。1965年「経済白書」でもはや戦後ではない、を合言葉に所得倍増、高度経済成長、日本列島改造論と景気のいいキャッチフレーズに踊り、バブルに酔いしれたものです。しかし、そう甘い事はありません。
1989年アメリカのシンボルNYのロックフェラービルを日本企業が手に入れた辺りから、戦後日本を占領しながらも庇護してきたアメリカの顔色が変わりました。現在の日鉄のUSスチール買収への米国の激しい反発にデジャブを感じますね。
話を戻して戦前1940年「日独伊三国同盟」ファシズム専制国家の一員であった日本を、英米アングロサクソンを中心とした自由主義・共産主義連合軍は強大な経済力軍事力で、徹底的に破壊しました。 1945年、敗戦後の日本を米国は“勝者の寛容”で、寛大に処遇しましたが、日本が復興しさらに米国に挑戦するまでに成長したころから風向きが変わったのです。戦後は1991年、共産主義体制の挑戦を自由主義アングロサクソンは打ち負かし、子飼いの同じ自由主義陣営の日本の台頭に危機感をいだき、1989年日米経済協議が始まり、徹底的に日本経済を骨抜きにしたのです。経済最優先のコンピュータ付ブルドーザと言われた田中角栄首相失脚の陰謀はその象徴でしょう。鉄鋼、造船、電機・電子・・・軒並み日本産業の屋台骨を骨抜きにし、日本産業衰退がはじまり今日に至ります。
日本は2度アメリカとの戦いに負けたと言われます。一度は1945年第二次大戦の軍事的敗北、二度目は1990年以来の高度経済成長の崩壊と言う経済戦の敗北です。いわゆる失われた30年の続編が今も続いています。もちろん2013年以来のひと時アベノミクスに湧きましたが、しょせん株価上昇内閣で、バーチャル経済(仮想現実経済)の空元気であって、リアル経済(実体・実物経済)はGDPほぼ横ばいが続き成長は止まっています。アベノミクスのカンフル注射の効果が醒めてみれば天文学的国債発行額に目もくらむ状態です。しかも少子高齢化で特に高齢者の社会福祉の国家予算に占める割合は半分近くになり、長期財政再建策が急務です。
失われた30年
ここで国家予算に占める歳出の割合と、国家のエリートである官僚の関係を眺めます。昭和20年までは軍事費が突出、軍事国家で軍部が威張っていました。文官たちは忍従せざるを得なかったのです。敗戦の廃墟と言うゼロあるいはマイナス・スタートの戦後80年史は、1945年敗戦で軍事官僚が退き、代わって国家再建に取り組んだ経済産業省を中心とする文官たちは、軍事でなく経済戦で失地回復をはかり、経済関係予算が突出し見事に経済復興に成功しました。
1945~‘50敗戦復興の公共事業費、’60~‘80年代高度成長期・バブル経済期、産業立国強化費です。しかし先に述べた様に、世界の覇権国家米国ににらまれ2度の敗戦を喫した。軍事戦と経済戦に敗れ失われた30年、1989~バブル崩壊、の現代はいまや永久敗北論の自信喪失感が官僚に漂っています。そして現在は主に高齢者への社会福祉費が予算の半分を占め、福祉国家となり厚生官僚の時代になっています。
また不思議な事に自然災害も昭和100年史には重なるのです。敗戦ま近い昭和19年には、戦時下で報道管制が敷かれましたが、甚大な東南海地震に見舞われていました。しかし奇跡的にも戦後復興期、高度成長期はほとんど巨大災害はなかったのです。しかし失われた30年は、まさに30年前の阪神淡路大震災いらい、東日本大震災・津波被害、熊本地震、能登半島地震とまさに日本列島は自然災害時代に突入、来るべき東南海大震災に身構えている時です。まさに社会も自然も踏んだり蹴ったりの状況のただなかにあると言わざるを得ません。
身の処し方
そう言う中、日本を取り巻く世界情勢は緊迫を増し、2022年ウクライナや2024年中東ガザでは理不尽な戦争が勃発。日本近隣の北朝鮮、中国、ロシアの軍事的脅威が増大し、同じ民主主義国の韓国は大統領弾劾の政情不安定、台湾は中国の脅威にさらされています。さらに今年は同盟国米国のトランプ新大統領は、何をしでかすか分からない予測不能性のある方です。
こういう状況に日本は身を処すべきでしょうか。
使徒パウロは「私は富におる道も、貧に処する道も心得ている」とおっしゃった。
この主体的自由・自在・柔軟性に学びたいものです。禅でも“随処に主となる”と言うそうです。硬直した見方は身の処し方を誤ります。自己のよりどころを見失わず、同時に状況の変化に柔軟に対応しつつ身を処していく。恩師、故藤林邦夫京都福音教会牧師はよく“水は方円の器に従う”と言われた。本質は変わらないが、状況に応じた在り方が自在にできる事でしょうね。
古い話になりますが、昨年の自民党総裁選にたくさんの立候補者がでて所信を述べたことがあります。その時感心したのが、官房長官の林芳正氏の所信でした。氏によると政治の目指すところは“ウエル・ビーイング”です。為政者の持つべき心は“仁”だと思います。政治姿勢は“楕円思考”で行きます、でした。さすが自民党保守本流,旧宏池会のクリスチャン宰相大平正芳氏の流れを汲む政治家ではある。ソムリエの思いとピッタリでした。惜しむらくは林芳正氏にはパッションが感じられない、冷静に過ぎる。現首相のクリスチャン政治家石破茂氏は、目を据えてねちねちと反論の余地がない迄まで論じ、熱量があるが林氏の様な政治の全体像が分からない。そこでいい線行きながらも欠けある、この二人が相互を補いつつ組んでこの難局を乗り越えてほしいものです。
「私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。
満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、
ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」 ピリピ4章12節
( 2025年1月16日 寄稿)
ーーーーー