写真:大阪高等裁判所(Wikipedia)
2025年3月25日 「同性婚を認めないのは憲法違反である」
という判決を出した。
LGBTQ問題はクリスチャンを分裂させる「踏み絵」か?
アリマタヤのヨセフ
アメリカ長老教会(PCUSA)は3月12日、性的指向や性自認に基づく差別を禁じる教会憲法の修正案が正式に承認されたと発表しました。以下が、このことを報じる記事です。(*2025年3月21日付 Christian Today より)
アメリカ合衆国長老教会(PCUSA)は12日、性的指向や性自認に基づく差別を禁じる教会憲法の修正案が正式に承認されたと発表した。承認された第24-A号修正案は、PCUSAの憲法第2部「教会規定」(英語)の「多様性の中の一致」の項目にある差別禁止をうたう文章の中に、性自認と性的指向を含める内容。同項目には、「神は、人種、民族、年齢、性別、障がい、地理的条件、神学的信念にかかわらず、洗礼によって人々を結び付ける」と書かれており、この中に「性自認」と「性的指向」が新たに加えられることになる。
同修正案は昨年開催された第226回総会で既に可決されていたが、正式に承認されるにはPCUSAの166中会の過半数である84中会以上から賛成を得る必要があった。長老派のLGBT擁護団体である「長老派カベナント・ネットワーク」(CNP)の集計によると、20日までに94中会が同修正案に賛成し9中会が反対している。PCUSAの発表によると、過半数の中会が賛成したことで、同修正案は7月4日に発効する。
一方、教職者の選考時に、LGBTの教会参加を認めるPCUSAの方針に対する見解を問う質問をするよう義務付ける第24-C号修正案は、20日時点で64中会が賛成、36中会が反対となっており、まだ過半数に達していない。昨年の総会でも、第24-A号修正案は賛成389、反対24で可決されたのに対し、第24-C号修正案は賛成297票、反対130票と、より多くの反対票が投じられ、議論を呼んだ。
米国には長老派の教団は複数あり、その中でも最大規模のPCUSAは、自由神学的なリベラルな姿勢で知られる。2011年にはLGBTの教職者を、15年には結婚の定義を「一人の男性と一人の女性」から「二人、伝統的には一人の男性と一人の女性」に変更することを、それぞれ今回と同様に教会憲法を修正することで認めている。
“Major Denomination Kicks Out Any Remaining Pastors Who Believe the Bible – PCUSA”という動画で、マイケル・グラント氏が以下のように語っています。
米国のメインストリーム教会の主要教派である「アメリカ長老派教会」(PCUSA)に関する興味深い二つの記事をクリスチャン・ポストで見ました。その一つは、この教派は過去15年間に100万人の信徒を失ったということでした。100万人の信徒を失ったことを認めるのは教派にとっては重大なことですが、この事の理由は次の記事に関係するようです。
その記事というのは、PCUSAはこのたび性的指向や性自認に基づく差別を禁じる教会憲法の修正案を承認した、というものです。彼らは、そのように表現はしていますが、実際にやっていることはマタイ福音書19章に示された結婚に関する聖書的見解を持っている牧師や聖職者をすべて追い出すということなのです。男と女、これが聖書の結婚観です。一人の男性と一人の女性が一緒になり、一生続くのです。
あなたがこの長老派教会の信徒であり、また牧師だとしましょう。あなたがこの聖書の結婚観を持っていたら、あなたは今すぐにこの教派から追い出されます。なぜならあなたはポリアモリー(*複数の人と恋愛関係を持つことができる、またはそのような関係を築くことを肯定的に捉えるライフスタイルや哲学のこと。一夫一妻制とは異なり恋愛や感情的な絆を深める関係において複数の人々と同時に関わることが許容されているという考え方)を認めていないからです。
これはPCUSAのかなり大胆な動きで、イエスの教えに明らかに反しています。これが、この教派が100万人の会員を失った原因だと思います。今から15年前の2011年に彼らはLGBTQであることを公表している牧師を任命することを決定したのです。それ以来、(彼らはその関係を認めようとしないかもしれませんが)100万人の会員を失ったのです。
昨年7月の総会前に100人以上の聖職者が、聖職者候補者に性的指向と性自任に関する見解を尋ねることを義務づけることに反対する公開書簡に署名しました。それは「この義務要求は良心の自由という改革派の核となる教義と大きく相反する叙任質問を導入する」ように見えるという理由からでした。
このたびの修正案は、多くの忠実で献身的な治会長老、宣教長老、執事を即座に失格にし、排除するでしょう。この書簡には「忠実なキリスト教徒が異なる見解を持っている問題に交渉の余地のない厳格な基準を課す危険性がある」と書かれてあります。つまり、これらの人々は、牧師であり、この教派の人々であり、彼らの進む方向について教派と戦うことさえ考えていません。彼らはただ「私の良心を尊重してもらえませんか、私はこの教派の執事です」と言っているだけです。「私は長老牧師で、あなたの意見には賛成しませんが、あなたと戦うことさえ考えていません。私たちの教会はあなたの教派の一部であり、私たちは伝統的な結婚を信じているのです。私たちがこの教派にいることを許可してもらえますか」というものです。
しかし今回の判決は、あなたは解雇され、追い出され、おそらく会衆が追い出されるというものです。教派が建物を所有している場合、あなたを文字通り追い出して、建物を売却するか、新しいものを持ってくることができます。つまり、彼らはこの教会のいくつかを完全に支配しているということです。このようなことから、この教会から去る人が大量に出てきたのです。神の基準、聖書の教えを放棄したら、教会には何も残らないからです。ここには「歴史的な信仰によって礼拝する以外の理由で集まる人々のグループ」がいます。人々は、そのことを知っているので、そこから去るのです。
同性愛者が牧師になることは、長い間キリスト教の多くの教派でタブー視されてきました。しかし20世紀後半から21世紀初頭にかけて、社会的な変化や神学的議論の進展により、同性愛者が牧師として受け入れられるようになった教会も増えて来ています。しかし同時に、そのことが教会に分裂も生じさせて来ています。
🔷エピスコパル教会は 2003年にジーン・ロビンソン氏を同性愛者である司教として任命。これに反対した保守派のグループは「北部アングリカン教会(ACNA)」を結成。
🔷エバンジェリカル・ルター教会では 2009年に同性愛者の牧師を正式に受け入れることを決定。反対する保守派は Lutheran Congregations in Mission for Christ を設立。
🔷ユナイテッド・メソジスト教会の 2019年の総会では同性愛者を牧師として任命することを支持する派と保守派間に対立が生じ、保守派は Global Methodist Church を設立。
アメリカ合衆国長老教会(PCUSA)は、非常に影響力があり広範な信者基盤を持つ主要な教会の1つであり、伝統的には保守的な教派としても知られていました。今回のこの修正案の決定が注目されるのは、このような大きな教派が憲法や教義にまでLGBTQ+の権利(性的指向や性自認)を正式に取り入れたためであり、このことは主流派の中でも特に大きな意義を持っています。このように影響力の強い教派が採用する変化は、他の教派や宗教団体にも影響を及ぼす可能性が高く、たとえば、エピスコパル教会やUCC(ユナイテッド・チャーチ・オブ・クライスト)などすでにLGBTQ+を支持する教派もありますが、PCUSAがこのような歩みを踏み出すことで他の保守的な教派がその動きに追随する可能性も考えられます。
さて日本では、3月25日に大阪高等裁判所が「同性婚を認めないのは憲法違反である」という判決を出しました。これで5つの高裁で同じ判決が出たことになります。憲法第二十四条第一項では「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立する」とあります。ですから、これまでの解釈では結婚は男性と女性の間で行われるものとされてきたのです。
しかし「同性婚を認めない現行法は平等権を侵害している可能性がある」というところが裁判の争点になっているのです。まだ最高裁判所の判決は出ていませんので最終決定ではありませんが、最高裁でも同様の判断がなされたら、「同性婚」つまり「男と男の結婚」「女と女の結婚」が堂々と法律として認められることになります。このことは、一見小さいことに見えて非常に大きな問題となるでしょう。つまり伝統的な結婚観や家族観が崩れていくことになり、そこに様々な混乱も生じていくでしょう。
LGBTQ問題は今キリスト教界でも大きな論争を呼んでいます。福音派の代表的神学者の藤本満氏は著書『LGBTQ 聖書はそう言っているのか?』の中で同性愛を否定している聖書の箇所を次々に挙げ、その否定の否定をしています。
一言でいうなら「人格的愛を伴わない性行為」は非難されているが聖書は同性間の性行為は否定していないという主張です。彼の思想の根底にあるのは、「社会的少数者の尊重と抑圧からの解放」です。一見、素晴らしい、人道的で文句のつけようのない思想です。これを否定するような人は「非人間的」といって非難されるでしょう。実際「社会的少数者の解放と尊重」は、ほとんど現代社会が無条件に信奉する「ドグマ」になっている感があります。
『舟の右側』というキリスト教誌が「LGBTQと聖書解釈」という特集を組みました。その中で水草修治氏という北海道聖書学院の教師が、藤本満氏の本に対して徹底批判を加えています。
水草氏は、藤本氏のいう「福音」とは要約すれば「社会的少数者の解放と尊重」であり、それは福音がもたらす結果の一つではあっても福音そのものではない。パウロのいう福音とはキリストが私たちのために死んでよみがえり神と私たちの間の和解をもたらしたことである、と正しく指摘しています。そしてまた、「性的少数者の解放と尊重を損なわないように」という前提を先にもって(予断で)聖書を「読み込む」のではなく、聖書に書かれていることをありのままに「読み取る」ことが大事であるという、聖書解釈の基本を語っています。
「少数派の解放と尊重」は聖書解釈上の最上位の原理ではなく、神の定めた「真理と公正」が最優先されるべきである。実際少数者が善で多数派が悪とは限らず、何よりも神が善とすることが善で悪とすることが悪であって、聖書は無条件に少数者や弱者の尊重を命じてはいないと、主張しています。
今後もこの論争は続くでしょうが、LGBTQ問題はクリスチャンたちを分裂に導く可能性があります。聖書に基づいて同性愛を否定するクリスチャンや教会は、同性婚が法律的にも認められた場合、その法律を盾に「差別主義者!」と厳しく非難されるようになることでしょう。
LGBTQ問題は、クリスチャンにとって現代の「踏み絵」になりそうです。世の中全体が「ソドムとゴモラ化」していくなか、そのことが教会内にも侵入して来ています。一見美しいヒューマニズムの展開に見せかけながらの「敵」のほんとうの目論見を、我々はしっかりと見抜き、いよいよ「悪の霊に対する戦い」(エペソ6:12)に本腰を入れていかなければならないでしょう。
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