亀井俊博（バイブル・ソムリエ）
「聖書を読む集い」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師
“ごっこの世界を超えて”
（２０２５年８月２０日 執筆）
ごっこの世界
保守の論客のひとり、佐伯啓思京大名誉教授の論説“戦後８０年「ごっこの世界」”（朝日2025・６・２７，オピニオン＆フォーラム欄）を読んでの感想を記します。日本は今年２０２５年８月１５日で戦後８０年を迎えた。いつまで戦後〇〇年と問い続けるのか、それはあの大戦の意味づけが確定していないからだと佐伯は言う。その理由は歴史観の不在によるとも言う。戦後の自民党政権続投によりめざす“平和と繁栄”はほぼ成し遂げた。その日が１９７０年の「第一回大阪万博」であり、戦後復興の完成の時、沖縄復帰の時代、左翼運動の全盛期にして左翼学生運動の終焉でもあった。この年、評論家江藤淳が“「ごっこ」の世界が終わったとき”（諸君！１月号）を公表した。
江藤は言う、今の日本社会は真の経験をしていない。すべて“ごっこの世界”である。左翼学生は“革命ごっこ”を、「平和」を主張する左派、「繁栄」を主張する右派の両政党は“対立ごっこ”を、自主防衛を主張する自民党も“自主防衛ごっこ”を、三島由紀夫の“楯の会”も“軍隊ごっこ”をしているだけだ。日本は真の自分を生きていない。なぜかそれは一言で言える。米国の庇護の元に戦後を生きてきたからだ。１９５２年の連合軍占領からの独立、「サンフランシスコ講和条約」は「日米安保条約」とワンセットであった。以後米国の経済力・軍事力の庇護の下、経済発展を謳歌したに過ぎない。日本は米国の「保護領（プロテクトレール）」に成り下がってしまった。以後日本人は真の自己を生きていない、“ごっこの世界”の空虚さに生きているだけだ。しかし、やがて真の自己を取り戻す時が来るだろう、それは冷戦が終わり、日本を必要としなくなった米国が、安保を破棄し、全ての米軍基地から軍を引き上げる時だろうと、江藤は予言したと、佐伯は理解する。
まさに、トランプ米大統領が現れ、米軍引き上げも辞さないアメリカ・ファースト政策に、日本人は青天の霹靂の衝撃を受けている現状は、まさに江藤予言の実現の世界ではないか。ではその時日本人は何を以て真の日本人の存在証明（アイデンテテイ）とするか、と佐伯教授は迫る。その核心は三島由紀夫の割腹事件にあると言う。三島は戦後の「天皇の人間宣言」にこそ、戦後日本の虚妄性の始まりだとする。戦前国民が命を懸けた現人神天皇が実は私は人間でしたと宣言。これでは天皇の「御楯」となって死んだ多くの英霊はどうなる。天皇は裏切った。しかし「君、君足らずとも、臣、臣たれ」である、天皇に代わって責任を取って三島は割腹して英霊に報い、且天皇の誤断に抗議したのだ。欧米文明の核には宗教があって、成り立っている。日本は核の宗教を喪失した。「聖なるもの」を回復する事こそ「ごっこの世界」から脱却して、真の日本人を生きる道だと佐伯は説く。誠に南原繁の「国家と宗教」の核心を生かす論陣である
感想
（１）かのように
しかし、ここから筆者の疑問が始まる。国家の核心に宗教があるとして、果たしてそれが真の神と言えるものか？保守の説く「天皇は神聖にして侵すべからず」（大日本帝国憲法第３条）とは何か？それは１８７１年、明治維新後の近代国家形成のモデルを求めて派遣された岩倉使節団がプロイセンで出会った「文化プロテスタント」による国家形成、キリスト教ルター派国教会の精神を核とする国家。それを日本化し「天皇」を神として国家形成すると言うものであった。
しかし徳川時代の天皇の位置をよく知る明治の知識人は、その虚構性、虚妄性をよく知っていた。だから森鴎外のエッセイ “かのように” にある様に、明治期の知識人はよく自己の欺瞞的生き方を自覚していた。つまり、天皇は神ではないが、さも神であるかのように振舞って、明治の帝国主義国家形成の精神的支柱とした。
その欺瞞性を突いたのが、キリスト者内村鑑三の教育勅語不敬事件であった。内村は第一高等学校教師として勅語への拝礼を迫られ、“勅語は拝礼の対象に非ず、実行すべき事なり”と正論を主張した。勅語を恭しく拝礼しながら、為政者たちは妾を囲い、権力を嵩に暴利をむさぼり、富を蓄える。これが勅語の実践か？と舌鋒鋭く迫った。結果、内村は「教育勅語不敬事件」として一高の教授職を追われた。心底では信じてもいない教育勅語をさも信じている“かのように”説いた、当時の政官財学の権力機構の虚妄性を突かれた国家の狼狽えを見る。
江藤の戦後“ごっこ世界”論は、“かのように”論として実は明治にもあったのだ。明治以後半世紀もすれば、仮面も肉付きの面となり、本気で天皇を神とする教育が徹底され、数百万の人間が天皇に命を捧げた。しかし、歴史の審判は下り、神ならぬ者は偶像として裁かれ、日本は敗戦を迎え、天皇は「人間宣言」を出さざるを得なくなったのは当然である。
「あなたはわたしのほか何ものをも神としてはならない。」モーセ十戒第一条は変わらぬ真理規範なのだ。
上述のこの手あかの付いた「神」を再び持ち出そうとする三島始め、保守の一角の主張は、歴史も真実の神も知らない妄言であり、国民を愚弄するものである。断じて、三島、江藤、佐伯の後に付いて行ってはならない。それはいつか来た滅亡の道でしかない。
（２）三島の詩と真実
そもそも、佐伯が重視する三島は文学は一流かもしれないが、その「詩と真実」はよくよく見極めないといけない。そもそも戦争が嫌いで徴兵検査忌避をした人間が、なぜ軍隊ごっこの「楯の会」を作り、学生たちを誤導したのか。また彼の文学の決算「豊饒の海」の結末、仏教的空の境地と、出版直後の自衛隊突入、割腹による天皇神聖回復の主張とはいかなる関連があるのか？筆者は理解に苦しむ、彼を殉教者の様に持ち上げる人間の気が知れない。
江藤にしても、夫人の死に耐えられず自死を選んだ、死者に鞭打つ非礼は避けるべきだが、思想家として破滅しているとしか思えない。保守の論客であった西部邁の自死後の、死ねば美化される日本の精神風土に基づく対応は知識人にも及んでおり、騙されてはならない。どこに生きる道を失いそうになった人間に、生きる道を指し示す師表に立つべき者の責任が果たされているのか！
我々は、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光を持つ。」（ヨハネ８：１２）と、２，０００年後の今も、人の人生に責任を持たれる、主イエスの命の道にこそ歩むべきではないでしょうか。
（３）カエサルと神
さらに南原の「国家と宗教」も誤解されてはならない。南原の宗教は、国家を神とするのでなく、国家を神聖化する偶像を裁く真の神、聖書の啓示する神である。現代米国のトランプ政権のキリスト教主張を評価する者もあるが、神学者森本あんりの説く様に、それは「国家神としてのキリスト教」である。自国の繁栄のみを叶える神である。しかし聖書の説く神は、国家をも裁く神である。モーセ十戒に適う国家は祝され、背く国家はたとえキリスト教を標榜しても、裁かれるのだ。
「政教分離」の近代憲法の原理は堅持されなければならない。国家が特定の神を国民に強制すべきではない。イエスは「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」（マルコ１２：１７）と宣言された。カエサル（国家）が特定の神を説いてはならない。それは自由な宗教布教活動に委ね、市民の自由選択に委ねるべきである。国家は個人の内心の自由に干渉してはならない、基本的人権の根本である。近代国家の基本原理であります。その様な自由を保障する、宗教をこそ国民は持つべきなのです。
（２０２５年８月２０日、ブログ、バイブル・ソムリエより）
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◎「カイザルと神」 ◎「 亀井俊博 著 江藤淳 著
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