『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ukon:第6回
久保田Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
みんなで建てた “ 都の教会 ”
● “ 多くの人たちの、多くの人たちによる、多くの人たちのための ”
━━ ということで、思い浮かんでくるのは、1576年に献堂された、
都の教会 「被昇天の 聖母教会」の建設です。
一般には、「都の南蛮堂・南蛮寺」と呼ばれていました。
久保田Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
● “ 多くの人たちの、多くの人たちによる、多くの人たちのための ”
━━ ということで、思い浮かんでくるのは、1576年に献堂された、
都の教会 「被昇天の 聖母教会」の建設です。
一般には、「都の南蛮堂・南蛮寺」と呼ばれていました。
久保田Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
為政者たちによるキリシタン迫害・弾圧は、どうしても避けることが出来ないことだったのでしょうか?
唯一神と偶像神の必然的対立
天地創造神と被造物神の必然的対立
一神教と多神教の必然的対立
絶対神と三教一致神の必然的対立
豊臣秀吉や徳川家康・江戸幕府による、キリスト教に対する苛酷な迫害、弾圧!
支配者・為政者側も、キリスト教側も、もう少し何とか、なかよく協調してやっていく道はなかったのでしょうか?