明石清正
カルバリーチャペル・ロゴス東京 牧師
ロゴス・ミニストリー 代表
日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY- 論説委員
明石清正牧師による「社会問題」に関する時事評論です。
「ロゴス・ミニストリーのブログ」に掲載された小論ですが、「SALTY」に、一部変更後、転載いたします。
非常に興味深い英文記事を読みました。昭和天皇とマッカーサー元帥とのやり取りを伝道者、故ビリー・グラハム氏が、マッカーサー氏本人から聞いた話です。
ニューヨークタイムズの記事1964年4月7日
General Told of Barring Offer To Create a Christian Japan
~~~~〜
ビリー・グラハム師は、ここで昨日、ダグラス・マッカーサー元帥がかつて彼に語ったことに言及し、裕仁天皇が、日本をキリスト教国にするという申し出られたことを、断ったということだ。
なぜ申し出を断ったのか、「一国民にどんな宗教も強制してはならない」からだと、元帥がグラハム氏に言った。このバプテスト派の伝道者が思い出すに、日本が降伏後、天皇は私的にキリスト教を国家宗教にする用意があると言明しておられたと、マッカーサー元帥が言ったということだ。
元帥は、「考える時間を下さい」とお願いした後、その提案を考慮し、天皇にお応えした。「いいえ、そのようなことはあってはなりません。どの国も、どんな宗教に対しても遵奉させるようなことがあってはいけません。自主的に行なわなければならないものです。」
ウォルドルフ=アストリアにおける、市長朝食祈祷会にて、グラハム氏が説教し、元帥の死を哀悼を表した。彼は自分の説教の前置きとして、極東から帰国したばかりの時にあった会話を思い起こしていた。
~~~~〜
国に訴えるより、個人に寄り添う宣教を
今、キリスト教会界隈では、天皇の代替わりに反対し、あるキリスト教出版社は、今日、出社命令を出したようです。そしてその出版社の新聞で以前、「GHQは、天皇制を廃止して、キリスト教を日本に持ち込むべきであった。」というような内容の記事を読みました。
私の聖書信仰に基づく立場を明らかにします。「マッカーサー元帥の立場こそが、聖書的である」とみます。そして、天皇代替わりに反対する教会は、実は、従来の西洋の帝国主義的な「国家権力によって宗教を国民に強いる宣教」に迎合していると思います。
たとえ神道の儀式を保っている天皇家であっても、それでも主が国に立てておられるという立場は、逆に言えば、「人は国教によってではなく、キリスト者の個々人に対する寄り添いや働きかけによって、初めて回心する。」ということです。神道的儀式に国費を使用しているということは、反対意見を述べる自由を、日本は担保していますし、そういった主張・意見があって当然だと思います。しかし、これを「教会」として述べることは、従来の「国に癒着した教会」と同じ発想であり、これは、旧約でも新約でも、どこにも述べられていない行為です。
ダニエルは、異教のバビロンの国を変えようとしませんでした。彼はバビロンの王に寄り添い、忠実に仕えました。その異教を自分たちに強要してきた時のみ、しかも丁重に、慎み深く、「ただ主ご自身に仕えるのみ」という姿勢を表明しました。それと同時に、彼が仕えていく中で、王を立て、王を倒す、永遠の御国の王であるキリストが預言され、証しされました。
イエスご自身は、ローマ総督にも歯向かうことをされなかったし、ローマ皇帝についても、「カエサルのものはカエサルに」とすらっと言われて、聴衆を驚かせました。むしろ、そうやって拘っている宗教指導者に「神のものは、神に返しなさい」と言われて、どの方に自分が仕えているのか思い出しなさいと暗に言われて、反政府的姿勢に強い戒めを与えられたのです。その姿勢は使徒たちにも受け継がれ、実に迫害下においても、王を敬いなさいと言いました。初代教会の信徒たちに反ローマ的活動をしている人たちは見当たりません。
むしろ、キリスト教がローマに公認されたミラノ勅令以後、力に任せた宣教が始まりました。異端論争や教派対立が目立ち、時に流血の罪も犯しながら、今にまで至るのです。
私たちは、意見や主張が異なる人々に対しても、福音を伝える使命が与えられています。その時に、その意見や主張に同調しなくてよいのです。「意見や主張」ではなく、「人」そのものに寄り添う必要があります。
参考ブログ:「キリスト者は異教徒の神事に反対すべきか」「ダニエル書の世界観と神の民の倫理」
追加コメント:「国に対して権利を訴える教会」は聖書にないモデル
(天皇の代替わりには、政教分離の原則や信教の自由が侵されている、という教会の意見に対して、私がコメント欄に入れた意見)
私も、以前、そう考えていました。その考えががらっと変わったのは、信教の自由がかなり制限されている国に住んでからのことです。信教の自由が保障されていると言われる日本よりも、実はずっと信仰的に自由を感じていました。
前提が、「キリスト教会がその信仰に基づいて、国に対して何か言うことができる」という発想自体が、実は、ミラノ勅令によるキリスト教公認以後の世界であって、必ずしも聖書に啓示されている、神の民のありようではないように思えます。
決して、それが悪いことではないし、いや、すばらしい人間の所産であり、神の介在があったと思います。けれども、「キリスト教会が国に権利を訴える」というのは、キリスト者の行うべき主要な事ではないような気がします。「キリストの主権に服従して、自分たちではなく、キリストの支配が世に広がって行く」が、聖書的モデルではないかと思います。
世界の多くの国々の教会が、そうした選択さえ考えることもできない状況にあり、それでもその「曖昧さ」の中で、信仰をしっかりと保ち、教会が活きて、キリストの御国は、時に迫害の中でさえ拡大しています。
仰っている通り、信教の自由を普通、国が持っていること自体が不自然で、そこら辺はあいまいにされていくと思いますね。聖書に出て来る国々はそうでした、バビロンしかり、ペルシアしかり、ギリシアしかり、ローマも・・。ローマなんぞは、従来のギリシア神話に基づく数々の宮と、国家宗教である皇帝礼拝が濃厚な中で、キリスト者が生きていたので。
日本も、制度的には信教の自由はありますが、基本、そのあいまいさがしっかり残っている国だと思います。
単純に、「異教の世界に生かされている私たちは、キリストを主として生きていく」ということが、解答のように思えます。国が変わることをキリスト者が求めるのは、御心ではなく、キリストに私たちが従い、終わりの日に、国々もキリストに従うようになっていく、ということだと思います。
関連記事:「皇室とキリスト教」