西岡 力
「救う会」:北朝鮮に拉致された日本人を救出する全国協議会 会長
国基研企画委員兼研究員・麗澤大学客員教授
日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY- 主筆
植村捏造記事裁判、週刊金曜日への反論
元朝日新聞記者の植村隆氏が私を相手に訴えた慰安婦捏造記事訴訟は、地裁に続き高裁でも、判決が植村記事を捏造だと認定して私の完全勝訴でした。
ところが、植村隆氏が社長をしている週刊金曜日などは、私が裁判の本人尋問で、自分の本や発言内容について捏造を認めたと主張しています。それに対して、私は裁判の中では具体的な反論をしましたが、対外的には「捏造」という語を私に使うことが言論の自由の範囲であれば、私が植村氏の書名記事について同じ「捏造」という語を使うことも言論の自由の範囲になるはずだ、とだけ言ってきました。時間の無駄だと思ったからです。
しかし、キリスト教界のリーダーが検証抜きでその記事を広めていることを知り、考えを変えました。ここで簡潔に週刊金曜日などの批判に答えます。
ウィキペディアの西岡力の項目には平成30年9月5日東京地裁で行われた本人尋問でのやりとりについて、次のような記述があります。なお、この記述は週刊金曜日2018年9月14日号と朝日新聞2018年9月5日記事を注に挙げています。
〈西岡は、証拠として提出された自身の論文の中でハンギョレ新聞の記事を引用した際、金学順について「私は40円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」と同紙記事にない表現を付け加えたことについて「間違いです。後で気づいて訂正した」などと誤りがあったことを認めた[16][14]。さらに、「(金が)身売りされ慰安婦になったと訴状に書いた」のは事実かを問われたのに対し、記憶違いだったと答弁、週刊文春記事の間違いを認めた[14]。〉
ここで書かれているように論点は ①ハンギョレ新聞の引用と、②訴状の記述の二つです。
まず ①ハンギョレ新聞の引用、について答えます。
私に対する反対尋問において、植村氏の代理人弁護士(以下植村側とする)は、拙著『よく分かる慰安婦問題』の記述について、ハンギョレ新聞の引用が誤っていることをあげつらい、拙著を厳しく批判しました。植村側は、この問題について事前に裁判所に提出された書面では触れていなかったのです。
確かに、私は単行本『よく分かる慰安婦問題』第1刷(2007年6月28日発行)の42頁で、「私は四〇円で売られて、キーセンの修業を何人かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」という新聞記事にはない部分をカッコに入れて書いて、ハンギョレ新聞の引用を誤りました。同書第2刷(2012年9月28日発行)42頁及び文庫版『増補新版 よく分かる慰安婦問題』第1刷(2012年12月14日発行)45頁においてもこれを継続しました。
しかし、私はその後、この誤りに気づき、2014年9月5日発行の同書第2刷ではその部分を引用から削除して、誤りを訂正しました。2014年9月10日発行の同書第3刷も当然、訂正後の正しい記述を維持した。現在、書店で市販されているのは訂正後の第2刷か第3刷です。
私が反対尋問で、記憶にしたがって「何か新しい版を出すときに、だから気づいて訂正した記憶があります」と証言した通りです。ちなみに尋問される側の私は一切の資料を手元に持つことが許されない一方、尋問する側は拙著を含む多くの資料を手元に持って質問をしました。
植村側が裁判所に証拠として提出したのは文庫版第3版の表紙、奥付、38〜49頁のコピーだったのです。つまり、植村側が提出した証拠には引用の誤りは存在しないのです。だから、植村側はハンギョレ新聞引用の誤りが最新の第3刷ではすでに訂正されていることを2015年1月9日の提訴当時から認識していたことになります。
しかし、植村側は反対尋問で私に対して、単行本の第1刷、第2刷、文庫版の第1刷までしか質問していません。証拠として提出した文庫版3刷の記述に関して質問を避けたのです。意図的としか言い様がないです。
植村側は引用の誤りがすでに訂正されていることを知っていながら、突然、古い版の誤りを持ち出して、私の動揺を誘ったのでしょう。しかし、私は記憶にしたがって新しい版で訂正したときちんと回答できたました。そして本人尋問のすぐ後に以上のような趣旨を書面で裁判所に提出しました。引用問題は、地裁と高裁のどちらの判決でも取り上げられなかったのです。
ただし、週刊金曜日や朝日新聞の記者をはじめとする傍聴人らは、植村側が論難した引用の誤りを私がすでに自発的に訂正していて、尋問の当日はもちろん、植村氏が裁判を提起した2015年1月9日の時点でも誤りは解消されていたことを、正しく認識できなかったおそれがあります。それが週刊金曜日と朝日新聞の記事の背景です。
植村側は、傍聴人への印象付けには成功しました。その結果、私の社会的評価をおとしめるには一定の効果があったでしょう。私は実名で他者を批判する文章を多数書いてきました。相手から反論されることはもちろん覚悟しています。批判には裁判でなく、再反論で答えます。それが言論の自由です。
2つ目の、②訴状について 答えます。
これは単純です。週刊誌の取材に対して大雑把な言い方で口頭で答えた内容が記事になっただけです。ウソを言ったのではないです。
週刊文春での私の談話は次の通りです。
〈「名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。捏造記事と言っても過言ではありません」〉。
一方訴状は次のように記載されています。
〈家が貧乏なため、金学順も普通学校を辞め、子守や手伝いなどをしていた。金泰元という人の養女となり、一四歳からキーセン学校に三年間通ったが、一九三九年、一七歳(数え)の春、「そこに行けば金儲けができる」と説得され、金学順の同僚で一歳年上の女性(エミ子といった)と共に養父に連れられて中国に渡った〉
私は週刊文春の取材受けたとき、当然のことですが、金学順氏が韓国の新聞や日本人ジャーナリストのインタビューで、母親にキーセンの検番に身売りされ、検番の主人によって日本軍の慰安所に連れて行かれた事実を知っていました。また、当時の朝鮮で貧困家庭の娘が養女となってキーセン学校に通ったということの意味は、親に身売りされたということだと、朝鮮問題専門家として理解していました。そのことを前提に週刊誌記者に話をしました。
週刊誌記者が短い記事の中の数行の談話として、はっしょって私の話をまとめたのです。学術論文ではない一般人にわかりやすく事の本質を伝える週刊誌談話としては間違いだとは言えないと私は考えています。
意図的にウソをついたという捏造には絶対に当てはまらないです。