日本民族「性悪説」の檻から出よ −西岡 力−

写真:日本国憲法(国立公文書館デジタルアーカイブ)

 

 

西岡力

日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY-  主筆

歴史認識問題研究会会長・モラロジー研究所教授・麗澤大学客員教授

日本民族「性悪説」の檻から出よ 

 わが国が主権を回復して70年になる。ところがロシアの侵略戦争を前にしても憲法を改正して国軍を持つという主権国家なら当然なすべきことを未(いま)だにできないでいる。その根本的理由は日本民族「性悪説」の檻(おり)に閉じ込められ、精神における主権回復ができていないことだと、私は考えている。

憲法にも歪んだ歴史観

 そのことは、憲法前文の「日本国民は、…政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意(する)」という一節に象徴される。ここに書かれている「政府の行為」とは何を意味するのか。13歳の少女を拉致した北朝鮮のような無法行為を指すのか。そうではない。現行憲法は占領軍が英文で原案を作った。だから、英文のその部分を見ると正確な意味がわかる。
「政府」にあたる英語「government」は単数形だ。つまり「政府の行為」とはわが国政府の行為を指している。わが国政府はほっておくとすぐ悪いことをするが、わが国以外は「平和を愛し」「公正と信義」を備えているとする日本民族「性悪説」が憲法前文に明記されているのだ。
 憲法9条にも同じ「性悪説」が貫かれている。9条1項の国際紛争解決の手段としての戦争放棄は、国連憲章2条4項などにある国際法の規範をそのまま書いたもので日本国憲法の特徴ではない。フィリピン憲法にもイタリア憲法にも戦争放棄規定が存在する。
 一方、「陸海空軍その他の戦力」の不保持を明記している2項は日本国憲法だけの特殊な規定だ。その裏には、日本民族は生まれつき暴虐で正義観念を持たないので戦力を持たせると再び世界征服を夢想して大量虐殺をしでかしかねない、という偏見がある。このような憲法を持つことは恥だが、その偏見を正当化するのが慰安婦「強制連行説」などの捏造(ねつぞう)された歴史認識だ。
昭和天皇はこの日本民族「性悪説」をめぐって命懸けの戦いをなさっていた。

昭和天皇の命懸けの戦い

 昭和18年12月カイロ宣言は「日本国の侵略を制止し且之を罰する」ことを対日戦争の目的とし、ポツダム宣言では「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである」と、日本が世界征服に乗り出していたと書いた。
 それに対して昭和天皇は終戦の詔勅で、大東亜戦争は「他国の主権を排し領土を侵すが如きは、もとより朕(ちん)が志にあらず」と明確に主張していた。その上で、国際法違反の原爆投下を「敵は新たに残虐なる爆弾を使用して無辜(むこ)を殺傷し惨害の及ぶ所真に測るべからざるに至る」と非難し、このままでは「我が民族の滅亡を招来するのみならず、ひいて人類の文明をも破却すべし」と述べた。
米軍の核攻撃こそが非文明であり、それにより文明国である日本が滅びたならば、人類の文明そのものが滅びると宣言されたのだ。
 約80年たってロシアは、ウクライナへの侵略戦争で無辜の民を虐殺し核攻撃をすると脅している。ロシアこそが非文明だと叫ぶ資格をわが国は持っている。
私が読むたびに強い感動を覚えるのが昭和21年1月に出された「新日本建設に関する詔書」だ。この時期、連合国では昭和天皇を戦犯として処刑せよという意見が公然と出ていた。「朕となんじら国民との間の紐帯(ちゅうたい)は、…日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、ひいて世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず」
 日本が世界征服を行おうとしていたという連合国の決めつけを「架空なる観念」だと堂々と反論されたのだ。日本民族「性悪説」に命懸けで戦って下さった昭和天皇のお姿に心が揺さぶられる。

精神における主権回復を

 東京裁判の判決は「1928年から1945年に於ける侵略戦争に対する共通の計画謀議」があったとして、いわゆるA級戦犯を平和に対する罪で「有罪」としたが起訴状にあった「日本、イタリア、ドイツの3国による世界支配の共同謀議」は証拠不十分のため訴因から除外した。連合国もさすがにわが国が「世界支配」を狙っていたとは言えなかったのだ。
 連合国とわが国との先の大戦の戦争目的をめぐる歴史認識の対立は、冷戦の激化により大きく様相を変えた。米国はわが国を自由陣営の一員として確保することを最優先として対日講和条約交渉を進めた。サンフランシスコ講和条約と日米安保条約で、米国はわが国を主権を持つ対等な同盟国として認めた。講和条約のどこにも「世界征服」「侵略」などという歪(ゆが)んだ歴史認識は含まれていない。
 だが、サンフランシスコ講和条約締結から70年たつのに、私たちはまだ精神における主権回復ができていない。いまこそ日本民族「性悪説」の檻から出て、自衛のための国軍を持つべき時だ。その第一歩が自衛隊の憲法明記の実現だ。
(にしおか つとむ)
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・5月11日 産経新聞「正論」に掲載