写真:小麦の収穫(撮影:5月_Piyo ePub Communications)
バイブル・ソムリエ:亀井俊博
「西宮北口聖書集会」牧師
「芦屋福音教会」名誉牧師
「隣(国)人を愛しなさい」
2022・5・20
韓半島の二大基本原理
5月10日、韓国の尹錫悦新大統領就任式が挙行され、日本から林外務大臣が祝賀に訪れました。その前の4月24日には新大統領特使が日本を訪れ、関係修復の新大統領親書を岸田首相に手渡しました。5年の任期を全うした革新系文在寅大統領と日本の、長かったギクシャクした関係がやっと終わり、本来の友好関係が回復されることを願う私にとっては、まさに雪解けの春の音信です。
「事大主義」
私の理解では、韓半島理解の基本原理は二つです。一つ目は「事大主義」で、その時代の近隣の強(大)国を察知してそれに事(従)う。近隣の強大国家が侵略を狙う半島国家が生き延びる民族の知恵です。4千年に及ぶと言う宗主国中国との朝見冊封関係に、そして屈辱の1910年日韓併合以来35年に及ぶ日本統治の受難。第二次大戦後は「朝鮮人民民主主義共和国」(北朝鮮)はロシア・中国に、南「大韓民国」(韓国)は米国さらに日本を警戒しながらも友好関係を結んで、1950年から3年間民族骨肉相食む「朝鮮戦争」、1953年以来38度線を境に休戦後、それぞれの友好国に依存しながら戦後復興に励み、特に南韓国は漢江の奇跡と呼ばれる経済発展を遂げ、今やGDP世界10位の経済力、アジア屈指の大国になった。「事大主義」の効能です。
「主体思想」
しかしこの5年間、韓国では文在寅革新政権が、「積弊清算」をポリシーに掲げ、米・日との癒着からくる戦後の積弊を糾弾、米韓、日韓関係は最低状態に冷え切った。そして革新政権は、北朝鮮に統一のサインを積極的に送った。親米・親日から親中・媚北、反米・嫌日関係へのシフトでした。その意味が、韓半島の第二の基本原理です。つまり北の「主体思想」です。“民族独立自主自尊主義”です。
南の保守政権が「事大主義」に傾きやすいのに対して、北は「主体思想」で対立、本来友好国の、中国・ロシアにも遠慮なく、さらには国際的に孤立し制裁を受けても、核開発・ミサイル開発の先軍思想・軍事優先で国民を飢えさせても、民族独自路線を貫き通しています。南の革新政権は民族独立自主自尊の北の誇り高い生き方に共鳴したようです。そして一方的に北にラブコールを送った、結局北の独自路線は、それさえ袖にするほど強固の様です。結局統一すると、北に三代続いた金正恩王朝の崩壊につながると判断したからでしょう。
同じ「主体思想」でも南北では理解が違ったのです。で今回の大統領選挙では、国民の過半数がこの違いは容易には乗り越えがたいと判断、バランス感覚を回復して、親米・親日の保守路線にからくも回帰したと思います。
隣人を良く知る
知人の中には、たとえ韓国と友好関係が回復して、国家間で様々な約束をしても政権が替わると、約束を反故にしてしまうのではお付き合いできない、と言う。それは分かるが、しかし上記韓半島の歴史と原理を知らないからだと私は思う。近隣国家は引っ越しが出来ないのだから、お互いに歴史を良く理解しないと友好なお付き合いはできない。以下私の韓半島の歴史理解です。
「革命思想」
先に記した様に、韓半島は数千年にも渡る、圧倒的な中華文明から影響を受け、漢字も、儒教、仏教、道教も、政治芸術文化あらゆる面で影響下にあった。それが対馬海峡を渡って古代日本列島に流入し、さらには多くの渡来人が韓半島から移住し、今日の日本文化の基層を形成した恩恵は、価値判断は別にした歴史的事実です。
さて、その中国の政治思想の一つが「易姓革命」思想(孟子、BC3世紀)です。中国の至高者的存在「天」の意志を受けて政(まつりごと、政治・祭祀)を地上に行うのが「天子」(最高権力者)であり、天意に沿う限り「天子」の王朝は安泰です。しかしひとたび天意に背くと「天命が革まり」、別の「天子」に政(まつりごと)を託す。これを「革命」と言う、歴代王朝交代の正当化思想です。そして次の王朝は前王朝を全否定した歴史を国書に記して留める。「随書」「漢書」等の王朝の歴史書である。
我が国最初の正史「日本書紀」(720)は文明国中国にならった「国書」の走りです。ですから中国に日本史の様な(古代・中世・近世)と言う通史は存在しない、各王朝が「革命」により交替・循環する歴史があるのみです。現共産党政権もまさに「共産党王朝」あるいは「習近平王朝」であり、民意を失えば「革命」が起こり、別の「王朝」に取って代わるのです。これが「中国共産党王朝」の最も危惧する処、中国のアキレス腱です。
と言う事で、韓半島も中国の政のありかたの影響を受けた「革命思想」の政治だと言う事です。韓国は5年に一度の大統領選挙ですが、その度毎に、前政権は全否定され、前大統領が裁判に掛けられ、投獄、自殺にまで追いやられる。天意の信頼を失ったからです。民主主義の韓国では、民の声は天の声、“VOX POPULI ,VOX DEO”なのですから。大統領選挙は5年に一度の「革命」だと理解すべきです。
当然国内政治がガラリと変わるのは勿論、保革が入れ替われば「歴史観」まで変わるのです。対外的にも前の政権が約束した事は反故になる。保守政権が続けばそうでもないが、保守から革新へ、あるいはその逆も、国際的約束はシャッフルされる事がある。こう理解した方が良い。ですから国際的約束は同一陣営の政権時代限りと割り切って、友好関係を構築するのが良い。善悪の問題ではなく、文化の問題ですから。国際政治のグローバル・スタンダードに反すると息巻いても、時代は変わって国際政治のゲーム・チェンジヤーの中国の登場によって、国際関係の欧米基準によって形成されたグローバル・スタンダードも見直されているのですから。
わが保守本流の岸田政権も7月の参議院選挙後は選挙無しの黄金の3年の期間があり、韓国保守の尹錫悦政権も5年間あり、是非近隣友好関係を築いて日韓黄金時代を形成して、激変する世界情勢に協力対応して欲しいと願うものです。そもそも岸田首相は東南アジア、欧米を歴訪しながら、隣国の新大統領就任式に欠席するとは、どう言う事か!日韓の新しい関係構築の絶好の機会を逃してはならない。以上は韓国の同じキリスト教徒同士の長い友情関係を保ってきた私の切なる願いです。
日韓の懸け橋、詩人茨木のり子の再評価
その韓国で最近日本の女性詩人、茨木のり子(1926~2006)が再評価されているとの事です。彼女は自立の詩人と呼ばれ、家族の連帯が強かった韓国社会が、IMF危機介入以来の新自由主義経済で激烈な個人間競争による個人主義化が急激に進み、ネット中傷や自殺者の急増の弊害もあり、ここに来て改めて個人の「自立」の意味が問われる様になったからでしょうか。彼女は高齢になって韓国語を学び、韓国で詩集を出し、韓国の文学者と交流をしていました。日韓のこころの深い理解者であったのです。
「倚(よ)りかからず」
“もはや/できあいの思想には倚りかかりたくない もはや/できあいの宗教には倚りかかりたくない もはや/できあいの学問には倚りかかりたくない もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくはない ながく生きて/心底学んだのはそれぐらい じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある/倚りかかるとすれば それは/椅子の背もたれだけ”
は余りにも有名ですね。私も主著「まれびとイエスの神、講話」で取り上げています。ここではもう一つの有名な詩を取り上げます。
「自分の感受性くらい」
“ ぱさぱさに乾いてゆく心を/ひとのせいにはするな/みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを/友人のせいにはするな/しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを/近親のせいにはするな/なにもかも下手だったのはわたくし 初心消えかかるのを/暮らしのせいにはするな/そもそもがひよわな志しにすぎなかった 駄目なことの一切を/時代のせいにはするな/わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい/自分で守れ ばかものよ”
ともすれば他者に依存し、甘え、かなわなければすねる、悪態をつくネット中傷をして留飲を下げる甘えた現代人の品位の低下を厳しく問う「自立」の姿勢に襟を正されます。
日韓社会の共通課題、自立成立の秘訣
茨木のり子の詩を受けて、私はさらに問いたいのです。自分の感受性くらい自分で守れ、自分の干からびたこころに水やりを怠るな、と言う自立した人間の矜持を保つ秘訣はどこにあるのか?と言う事です。
私は半世紀以上、毎日聖書を読み、デボーションと言う黙想の時を持ち、日曜日毎に教会に通つて、自分の心に水やりを絶やさないようにしていますが、この詩を読んでつくづくよかったなあと実感します。私の様な干からびたこころの人間は、この水やり無くして傘寿の齢を迎える事は出来なかったと深く思うからです。
日韓共に自立・自助・自己責任が問われる厳しい時代に生きています。激変する社会に適応するのも大変です。自分の事で精一杯、そんなギスギスしたこころに潤いの、隣人を、隣国を理解し、愛する余裕と潤いが与えられる様、自分のこころに水やりの必要があるのではないでしょうか。
「自分を愛する様に、あなたの隣り人を愛せよ」ルカ10:27