宗教アレルギーこそが危険カルトの呼び水となる ~ 明石清正 ~

 

明石清正
SALTY論説委員
カルバリーチャペル・ロゴス東京 牧師
ロゴス・ミニストリー 代表

 現在(2022年7月11日)、安倍元首相の暗殺犯が、宗教団体(統一協会のこと)に対する恨みで、それとのつながりが安倍氏がこの宗教団体に近いということで、彼を狙ったと供述しているという報道が起こっています。とても気になっていることがあります。下の記事に、その懸念が明確に書かれていたので、ご紹介します。

誰がどんな理由で「安倍氏と宗教の関係がテロの原因」と言っているのか

政治と宗教の癒着を、現状以上に大きく見せるネット情報

 私は非常に少ない経験ではあるものの、政治家の方々、しかも、後に副大臣やその他の役職を務めた自民党の方々にもお会いしたことがあります。そして数多くの経営者の方々にもお会いしてきました。

 良い意味で驚きでした。それは、一般にキリスト教に対して抱いているアレルギーがない、ということです。人は宗教を持っているもの、というぐらいまでの心の余裕がおありで、キリスト教の牧師が、違和感なく関われる雰囲気があります。当該の政治家の方々も、普通に接してくださいました。しかも、ご質問が適切なのです、いわゆる偏見や無知というものが、かなり少ない内容です。

 それは逆に言うと、政治と宗教、また経済が密接につながっているように見える、ということです。けれども、宗教が政治の世界を支配しているというところまでの力は、実際はありません。そこまで言ってしまえば、陰謀論の領域になると思います。

「日本会議」陰謀論

 例えば、日本会議ですが、日本会議が自民党を支配しているかのような話が、事実であるかのように少し前は語られました。キリスト教のジャーナリストも、それがあたかも事実であるかのように語っているのを見ます。「内部にまで入って、取材をしていない」というのが、正直な感想です。

 簡単に考えれば、自民党は、創価学会による政党、公明党と連立与党になっています。創価学会と日本会議の宗教諸団体は、水と油の関係です。もし日本会議が自民党を支配しているのであれば、自民党は公明党と関係を断っているはずです。

安倍晋三氏は、統一協会には冷たかった

 自民党は反共によって、共産主義に勝利するということで統一協会の「勝共連合」によって深い結びつきがありました。けれども、それはある事件により、断たれることとなります。

安倍さんは統一協会と関係ない。 −中川晴久−

 そして冒頭の記事に書かれていることも、実体に近いと推測します。

統一教会の創始者は東西冷戦下でそれなりの役割を果たし、それと岸信介や安倍晋太郎が親しかったとしても当時は当然のことだったし、ニクソン大統領やゴルバチョフ大統領にも招かれ国連総会でまで演説していたくらいだ。安倍晋三氏が多くの宗教団体の一つとしてその関連事業に関連を持っていたとしても特別の関係とはいえないし、世界の多くの政治家が普通に関与している。

祖父、父と三代続きの深い絆とかいう人もいるが、一般論として安倍晋三氏は父親から引き継いださまざまな関係にそれほど執着していたわけでない。むしろ冷たいと言われることも多かったのを私も知っている。

宗教政治経済体は、後に起こる。しかし今ではない

 宗教と政治経済の結びつきは、確かにあります。そして聖書信仰者として、終わりの時代に、宗教が政治経済を支配している姿が、王たちと淫乱している大淫婦として、聖書にある預言に出てきますから、信じています。けれども、現状がそうなっているわけではないのです。いつ何時、そうなるかもしれないという警戒や注視は必要ですが、宗教の力を過大評価して、宗教アレルギーを増幅させ、煽っているマスコミや一部論者に問題を抱きます。

宗教アレルギーによって、カルト宗教にかえって呑めり込む

 なぜなら、かつてそれが起こったからです。オウム真理教による地下鉄サリン事件です。それがどのような教義で起こったのかが、一般の人々に冷静に、分析して紹介されることなく、「ただ宗教は危ない」という印象だけを残したからです。これは、今回、海外では既に統一協会だと報道されていたのに、肝心の日本が「ある宗教団体」としか報道されないでいたことにも、よく表れており、タブー視しているのです。このタブー視は、「人は宗教なしには生きていられない」という、ある意味当たり前のことを封印し、宗教に対する偏見や差別を助長していることに他ならないのです。

 私が信仰をもって間もない時の事をご紹介すれば、分かり易いと思います。学友に、自分がクリスチャンになったことを告げました。すると、彼は、ああ可哀そうな人、変な世界に行ってしまった、という表情で私に接しました。(それでも、私を無視せず、付き合ってくれたから良かったのです。)ところが、その次の話題は彼自身が何かに関わっているものでした。よく聞いてみると、自己啓発のセミナーだったのです。そして、私は教会で一度も献金を強要されたことなどないですが、彼は学生の身でお金が少ないはずなのに、どんどんお金を吸い上げられていました。

 日本にいる人々は、「無宗教」ということで宗教に対してかなりの無関心であるのにもかかわらず、宗教カルトについては、他国よりもはるかに騙されているというのが実情なのです。韓国では、「異端やカルトは、韓国で生まれ、日本で育てられ、繁栄する。」とまで言われています。統一協会がまさにそれです。韓国ではインチキであることはいち早く知られていて、むしろ成功したビジネスを展開させている存在とまで見られています。お金を吸い取られて、家庭が崩壊するまで被害を受けるのは、日本においてなのです。日本がお金の製造器になっているのです。

 むしろ、韓国や中国の人々のほうが、怪しいカルトの指導者を見て、その怪しさをかぎつけ、むやみに追従しない免疫が備わっています。日本は、宗教に触れていないので、免疫がなく、過大に恐れているくせに、そういった危ないものを見分けられず、呑み込まれる人々が実に多いのです。

宗教は、そもそも心の内面のもの、政治経済とは切り離して考えて

 そもそも宗教、というか、自分はキリスト者なので、キリストへの信仰のことしか話せませんが、心の内面を規定するものです。けれども、日本の方々は、「キリスト教は戦争をする」とか、欧米の、しかもかなり昔のキリスト教の歴史を持ちだして語ります。キリスト者本人たちは、正直、「はあ~」となっちゃいます。他の日本の方々と同じように、そういった戦争とは無縁の、戦後日本で育ち、平和な雰囲気の中で生きて来て、それで、人生の悩みがあって、信じたのですから。

 そうした意味では、誰でも神、あるいはそう呼ばなくとも、神に近い存在を求めているのではないでしょうか?目に見えるものだけを信じると言っている人も、窮地に陥ったら、「困った時の神頼み」ではないけれども、神を求めないでしょうか?それこそ、今回、安倍元首相が心肺停止になったという言葉を聞いて、「祈る」ということばを、人々が、どれだけ使われたでしょうか?

 これは、自分たち人間にはどうしようもない、限界があることを告白している言葉にすぎません。無宗教だと言っても、実際は宗教的であることを告白しているのです。それは、すでに信仰の萌芽であり、生きているという事に対する問いをしているのです。それを祈りによって、また聖書によって答えを待っているのが、キリスト者なのです。政治経済のレンズではなく、ご自身の深い部分、自分自身の存在、そういったところに対する問いかけに答えるのが宗教だと考えていただくとうれしいです。