日本民族性悪説と戦うことが日本宣教の鍵 −西岡力−

写真:新日本建設に関する詔書(「人間宣言」)
国立公文書館

 

 

西岡力

日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY-  主筆
麗澤大学客員教授)

日本民族性悪説と戦うことが日本宣教の鍵

―日本人キリスト者は日本民族を徹底的に愛すべきー

(2023年 4月10日 第1回「SALTY神戸宣教会議」主講演)

●戦後76年のうち46年めぐみさんらを助けられない

戦後、すなわちわが国が大東亜戦争に負けてから今年で78年になる。また、7年間の米軍の占領が終わり、わが国が主権を回復してから今年で71年だ。そして、横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されたのが昭和52年、いまだに北朝鮮に抑留され続け抑留は今年で46年になる。戦後32年目、主権回復年25年目に13歳の少女がわが国領土から外国の工作員によって暴力的に拉致され、46年間も助けることが出来ていない。

めぐみさん拉致からなんと46年たってもわが国は主権と人権を回復出来ないままだ。戦後78年、主権回復から71年のうち、6割を超える46年は主権と人権をテロ国家北朝鮮に奪われたままの異常状態がつづいていることになる。これが戦後日本の惨めな一面だ。

めぐみさん拉致から20年後の平成9年、拉致家族が立ち上がって家族会ができ、私を含む国民有志が家族会を支援する救う会を結成して、これまで26年間、拉致被害者を救出するための国民運動を展開してきた。しかし、21年前の平成14年に北朝鮮の独裁者に拉致したことを認めさせ5人の被害者を取り戻すことは出来たが、めぐみさんを含む多数の被害者はいまだにかの地にとらわれたままだ。

この間、親の世代の家族会メンバーが次々亡くなっていった。そして、命懸けで救出運動の先頭に立った有本恵子さんのお母さんの嘉代子さんと横田めぐみさんのお父さんの滋さんが3年前に、2年前には田口八重子さんのお兄さんの飯塚繁雄さんが亡くなった。その上、政治家として誰よりも真剣に被害者救出に取り組んだ安倍晋三さんがテロにあって殉職した。悔しくてならない。

●日本民族性悪説の檻としての憲法前文

なぜ、拉致が起きたのか。そしてなぜ、46年もたっているのに救えないのか。根本的理由はわが国が戦後レジームからの脱却できていないことだと私は考えている。戦後レジームとは何か。一言で言うと、多くの国民がいまだに日本民族性悪説の檻に入っていて、そこから抜け出そうという努力をしていないことだ。

そのことは、憲法前文の次の一節によく表れている。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

傍線の部分を抜き出そう。「日本国民は、…政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意(する)」。ここに書かれている「政府の行為」とは何を意味するのか。13歳の少女を拉致する北朝鮮のような無法国家の政府の行為を指すのか。実はそうではないのだ。現行憲法は占領軍が英文で原案を作った。だから、英文のその部分を見ると正確な意味がわかる。

We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the National Diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution.

傍線部分はこうなる。

「We, the Japanese people…resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government」

注目してほしいのは「政府」にあたる英語「government」が単数形だということだ。ここでいう「政府」はわが国政府のことを指しているのだ。

つまり、自国政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きないようにすると記されているのだ。自国政府はほっておくとすぐ悪いことをする。しかし、わが国以外の国の政府は「平和を愛する」良い政府だという日本民族性悪説がここに存在するのだ。

憲法前文は次の段落で次のように記している。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

この、自国の軍隊ではなくて「平和を愛する諸国民の公正と信義」に依拠して自国の安全を守るという宣言は、前文の日本民族性悪説と裏表の関係になっている。諸国民は公正と信義を持つが、日本民族にはそれが欠けていると、自らの憲法に書いているのだ。

●憲法9条2項にも貫かれている日本民族性悪説

憲法9条にも同じ日本民族性悪説が貫かれている。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

前段の9条1項は、国際紛争を解決する手段としての戦争放棄という現在の国際法の規定をそのまま書いたもので日本国憲法の特徴ではない。フィリピン憲法にもイタリア憲法にも戦争放棄規定が存在する。

一方、「陸海空軍その他の戦力」の不保持を明記している2項は日本だけの特殊な規定だ。この規定があるため政府はこれまでずっと「自衛隊は戦力ではなく自衛のための必要最低限の実力組織だ」という、ある意味詭弁とも言うべき憲法解釈を取ってきた。

この2項の裏には日本民族だけには戦力を持たせてはならないとする、日本民族性悪説が存在する。日本民族は生まれつき暴虐で正義観念を持たないので戦力を持たせると再び世界征服を夢想して大量虐殺をしでかしかねない、という荒唐無稽な誹謗中傷だ。

これを正当化するのが歪んだ歴史認識だ。南京大虐殺や慰安婦強制連行など、いまも国際社会で広く信じられている虚偽がこの偏見を後押ししている。

悔しいことに、このような偏見をいまだに多くの日本人が信じ、それを世界に広げている。日本軍は植民地として支配していた朝鮮から20万人の若き女性を強制連行して性奴隷にしたという虚構を世界に広げたのは、日本人活動家と日本の大手マスコミだった。そして、日本のキリスト教界の大多数もその偏見を信じ、その普及に尽力している。

300万人以上を餓死させ、アウシュビッツよりも非道な政治犯収容所を現在も運用し、多くの外国人を拉致し、国家テロを頻発している北朝鮮のような国でも国軍をもつことは、自衛のためであれば国際法違反ではない。

●北朝鮮核ミサイルの射程に入った日本

北朝鮮が毎週のようにミサイル発射をつづけ、すでにわが国を射程に入れた核ミサイルを保持している。我が国政府はすでに北朝鮮の核ミサイルが我が国を射程に入れていると明言している。

北朝鮮は体制を維持するため、大量破壊兵器や弾道ミサイル等の増強に集中的に取り組んでおり、技術的には我が国を射程に収める弾道ミサイルに核兵器を搭載し、我が国を攻撃する能力を既に保有しているものとみられる。

国家防衛戦略(令和4年12月16日閣議決定)

わが国は彼らの核攻撃をいつ受けるか分からない危険な状況なのだ。それなのに、国際法上、何の問題も無い国軍保持をいまだに決断できないでいる。

●日本民族性悪説と命懸けで戦った昭和天皇、新日本建設詔勅

実は昭和天皇はこの日本民族性悪説をめぐって命がけの戦いをなさっていた。

  大東亜戦争でわが国が戦った相手の連合国は昭和18年12月カイロ宣言で、対日戦争の目的を日本国の侵略阻止とそれに対する懲罰だと、次のように規定していた。

三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ

また、昭和20年7月にわが国に降伏を迫ったボツダム宣言では、わが国が世界征服に乗り出していたと、次のように規定していた。

日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。

それに対して昭和天皇は昭和20年8月の終戦の詔勅とGHQの占領下の昭和21年1月の新日本建設詔勅で、大東亜戦争は他国の領土を侵すことを目的にしていないと明確に主張していた。時間的順序が逆になるが、先に新日本建設詔勅を確認する。

私が読むたびに強い感動を覚えるのが昭和21年1月に出された「新日本建設に関する詔書」だ。この時期、連合国の中では昭和天皇を戦犯として処刑せよという意見が公然と出ていた。当然、陛下もそのことをご存じだっただろう。

GHQは昭和20年12月に神道指令を出し、国家と神道の分離を命じた。そして、その趣旨を広めるために天皇陛下に「天皇は神格化された存在ではない」と宣言することを求めた。陛下はもとより自身が神格化された存在だと思われていないのでそれに同意されたが、五箇条のご誓文を書き加えることを要求し、GHQの同意を得た。

五箇条の御誓文とは明治天皇が皇祖皇宗に近代文明を受け入れることを誓ったものだ。それを強調することによって、我が国は天皇を中心とする国体を維持しつつもすでに近代文明国になったと強調したのだ。その上で、次のように連合国の侵略史観を堂々と否定された。

 

然れども、朕は爾等(なんじら)国民と共に在り。

常に利害を同じうし休戚(きゅうせき)を分かたんと欲す。

朕と爾等(なんじら)国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説とによりて生ぜるものに非ず。

天皇を以て現御神(あきつみかみ)とし、且つ日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延(ひい)て世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。

「日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延(ひい)て世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念」と言い切って、連合国の決めつけを「架空なる観念」つまり事実ではないと堂々と反論されたのだ。日本民族性悪説に命がけで戦って下さった昭和天皇のお姿に心が揺さぶられる。

●「終戦の詔勅」、キリスト教国の原爆ジェノサイドを文明の破却と断言

 

終戦の詔勅(玉音放送)」を見よう。そこでも大東亜戦争は帝国の自存と東亜の安定が目的であって、他国の主権を排し領土を侵すことは目的ではなかったと明確に記している。

抑々(そもそも)帝国臣民の康寧(こうねい)を図り万邦共栄ノ楽(たのしみ)を偕(とも)にするは

皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々措(けんけんお)かざる所

曩(さき)に米英二国に宣戦せる所以(ゆえん)も亦

実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しよき)するに出(い)で

他国の主権を排し領土を侵すが如きは固(もと)より朕が志にあらず

然(しか)るに交戰已(すで)に四歳(しさい)を閲(け)みし

朕が陸海将兵の勇戦

朕が百僚有司(ひゃくりょうゆうし)の励精(れいせい)

朕が一億衆庶の奉公

各々最善を尽せるに拘(かかわ)らず

戦局必ずしも好転せず

世界ノ大勢亦我に利あらず

その上で、国際法違反の原爆投下を無辜の民の殺傷だと非難し、このままではわが民族が滅亡し人類文明も破却するとされた。

加之(しかのみならず)敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ 頻(しきり)に無辜(むこ)を殺傷し惨害(さんがい)の及ぶ所

真に測るべからざるに至る

而(しか)も尚(なお)交戦を継続せむか

終(つい)に我が民族の滅亡を招来するのみならず

延(ひい)て人類の文明をも破却(はきやく)すべし

斯(か)くの如(ごと)くんば朕何を似てか億兆の赤子を保(ほ)し皇祖皇宗の神霊に謝せむや

是れ朕が帝国政府をして共同宣言に応ぜしむるに至れる所以(ゆえん)なり

ここで陛下が、わが民族が国際法違反の原爆などで滅ぼされれば、それは人類文明の破却につながると、わが国が人類文明の一翼を占めていることを堂々と主張されていることに強く心を打たれる。

そもそも、西欧キリスト教国で始まった近代文明が人類普遍の価値をもつためには、非排他性が求められる。他の文化圏に属する民族もそれを学習すれば文明国になれるという前提が必要だった。しかし、西欧キリスト教国は文明を受け入れていない民族に対しては近代文明が約束する主権、人権、私有財産権、信教の自由などをすべて認めず、有色人種を人間として扱わない侵略的、差別的ふるまいをした。

幕末の日本人はそれを見て、和魂洋才をかかげて、日本民族のあり方を変えないまま文明を受け入れて富国強兵に励んだ。独立を維持するにはその道しかないと喝破したのだ。

西欧キリスト教国の振る舞いはキリストの教えに反しているが、キリスト教国があえてその振る舞いを行っていた。そして、富国強兵をとげた我が国は文明国=帝国主義国同志の戦争に敗れた。ところが、戦勝国、特にその中でもキリスト教国である米国が我が国を世界征服を図った侵略国だと断定して、我が国の民族性が悪であるという観念を植え付けた。それが現憲法の思想だ。

大都市への無差別空襲や原爆使用で、国際法違反の大量虐殺(ジェノサイド)を犯した米国に対して、昭和天皇は日本民族が滅びることは「人類文明の破却」につながると警告を発した。あなたたちキリスト教国の文明は排他的なのか。白人のキリスト教信者だけにしか開かれていないのかという訴えに、私には聞こえる。

●戦後のキリスト教界の過ち

戦後のキリスト教界は以上見てきたような、日本民族を蔑視、差別する誹謗中傷である戦後体制の中につかりきっている。ある者はそれを擁護する政治活動をし、ある者は講壇から戦後体制を美化し日本民族をおとしめるメッセージを語ってきた。神学大学では、戦後体制を美化する言説が多数語られ、それに反する主張する教員は排除される。また、政治にかかわらない大多数も、自民族がおとしめられ続けている体制に慣れきってそれに怒ることがない。この惨めな状態は、日本基督教団など自由主義派だけでなく、日本同盟基督教団、日本長老教会など福音主義派でもかわりがない。

我が国、わが民族にキリストの愛を伝えるためには、まず、徹底的に我が国、わが民族を愛さなければならない。私たち日本のキリスト者は、命懸けで我が国を愛して、白人キリスト教文明の欠陥を告発した昭和天皇に比べて、どれほど我が国、わが民族を愛してきたか。むしろ、我が国、わが民族を憎み、おとしめてきたのではないか。そこへの徹底的な悔い改めなしに日本宣教はない。

 

⚫︎「玉音放送 原盤」音声:YouTube (1945年8月15日正午)

 

⚫︎ 新日本建設に関する詔書(「人間宣言」) 昭和21年1月1日
https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/s20/contents/7_03.html

 

(2023年 4月10日 第1回「SALTY神戸宣教会議」主講演)