イエズス会と茶道 −久保田典彦−

写真:「 茶室で祈る髙山右近 」 ( 柳柊二・画 )

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第27回 

 

 

 

━ 久保田 Ucon 典彦 ━

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

イエズス会と茶道

● 日本に初めて 正式にキリスト教を伝えた 宣教師フランシスコ ・ ザビエルを始め、巡察師ヴァリニャーノや オルガンチーノ神父など、イエズス会の宣教師たちは、

日本人に キリスト教を伝えていくためには、

日本 ・ 日本人を よく理解し、それらに適応していきながら、願いである “ 救いの福音 ” を伝えていくことが 大切なことであると考えていました。 ( 全員が 一致していたわけではありませんが )

“ 日本人とお茶 ” の関係 ・ 日本文化としての “ 茶の湯 ” ( わび茶 ) が、日本では 大切に考えられていることを 認識していきました。

そのために、宣教師たちの住院には、来客の接待のために、茶の湯のための部屋が設けられ、茶の湯について 何がしかの心得のある同宿が、茶を碾 ( ひ ) くこと ・ 半東 ( はんとう ・ 主人の手助けをする者 ) としての働きなどを していきました。

宣教師たち自身が、茶の湯の作法などを追求していったというわけではありませんし、

教会の宣教方針として、意図的に、茶道を利用していったわけではありませんが、

日本人を理解し、接していくためには、大切なこととして考えていました。

茶の湯 ( わび茶 ) の精神が、 “ 調和と 一致 ” であり、

このことは、キリスト教の精神と よく一致していましたので、

互いに、影響を与え合う、よき関係にあったと言えると思います。

● お茶 ・ 茶の湯を通して、いろんなネットワークが 出来ておりました。

特に、特権階級である 領主や 貴人たちとも、茶の湯を介して、交流がなされていきました。

髙山右近 ━ 蒲生氏郷 ━ 牧村兵部

髙山右近 ━ 細川忠興 ━ 古田織部

髙山右近 ━ 千利休 ━ 豊臣秀吉

こうした 親密な関係は、宣教のためには よい結果に導かれていきましたし、茶の湯が宣教を助けてくれた ━ とも 言えそうです。

● 更に、茶の湯は、汲めども尽きない ・ 深い探究の道でもありますので、キリシタン自身が 信仰者として、自分をみがき続ける 生涯の道ともなりました。

“ 千利休 極上一の弟子 ” であった 髙山右近にとっても、

「 数奇 ( すき ・ 茶の湯 ) が、修徳と 潜心のために、大きな助けと なるとわかった、と よく言っていた。」  ( ロドリゲス 「 日本教会史 」 )

右近は、しばしば、静まる時を持つために、茶室に閉じこもりましたが、 “ デウスに すがるために、落ち着いて潜心することが出来た ” のでした。

 

 

【 参考図書 】 「 キリシタンと茶道 」 ( 西村貞・著 )

 

 

 

 

 

(添付画) 「 茶室で祈る髙山右近 」 ( 柳柊二・画 )
[ 髙山右近研究室・久保田 蔵 ]

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久保田 Ucon 典彦

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

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「髙山右近研究」をライフワークにしています。
髙山右近やキリシタン達を通して、いっしょに考えていければと思います。