高槻・Ukon:第12回
久保田 Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
信徒全員の活動
- キリシタン時代の、一般信徒の活動・働きの大切さを見ていきたいと思うのですが、
私が在籍しています阿武山福音自由教会は、ここ4年3か月の間、髙山右近の頃の高槻教会と同じように、無牧・常住の牧師はいませんでした。
リタイアされた牧師など、いろんな方々が協力してくださいましたが、基本的に信徒でやってきました。
召天告別式(お葬式)も2回ありました。
礼拝メッセージも、どなたもお越しいただけない時は、信徒が交代でやってきました。 “ 世話人” と呼んでいる教会役員が4人いて、私もその一人でした。
この9月から、女性牧師が赴任してくださいました。 感謝主!
司祭・牧師が、各教会にいてくださるのは理想ですが、司祭・牧師の不足は、人々がどんどん救われていくのだとしたら、当然のことであるとも言えます。
- 一般信徒の活動として、「ミゼリコルジヤの組」が大切な働きをしてきました。
他にも、「サカラメントの組」 「サン・ミゲルの組」 「ゼズスの聖名の組」 「サン・チャゴの組」 「サンタ・クルスの組」 「サンタ・マリアの組」など、活動の中身や地域が違いますが、信徒として大切な働きをしてきています。
ただ、いずれも、有志による集まり・活動で、キリシタン全員による信徒の活動ではありませんでした。
- 「使徒の働き」(使徒行伝)の頃・初代教会の頃の
「エケレジャ(教会)の組」は、信徒全体の組織であり・活動でした。家々に集まり、信徒リーダーを中心として、礼拝や教会活動がなされていきました。
わずかな数の使徒たちは、家々の教会を巡回しながら、信徒リーダー達を指導していったのでした。
- キリシタン時代の「エケレジャの組」は、
小・大・親(総)組の組織でした。
・ 小組 ━ 約50人の組衆。(家族も入れると、100人位になり
そうです。) 2人の組頭がいて、組をリードしました。
・ 大組 ━ 小組が集まって(10小組位)、5~600人の組衆。
・ 親組 ━ すべての組の集まり。
これらの組の指導者たちは、慈悲の行いの実践をすると共に、定期的集会・司祭不在の際の礼拝・病人や臨終の人の世話・子どもの洗礼や死者の埋葬の世話・宣教師との連絡をとること等を任務としていました。
- 髙山右近が高槻城主だった頃、1581年(天正9年)には、
2万5千人の領民の内、1万8千人がキリシタンでしたが、常任の司祭はおられませんでした。領内には20教会ありました。
1教会あたり900人ほどになりますから、「大組」にあたりそうです。
各地区に、10組ほどの「小組」があり、その10組ほどの小組が一つに集まって、20組の「大組」を作り、その20組の大組が全部集まって、総体としての「親組」を作りました。 その中心になった教会が、高槻城内にあった高槻教会であり、総組頭が髙山右近だったと言えそうです。1万8千人の高槻教会の信徒たちが、ミゼリコルジヤの所作・ご大切(愛)の実践を、日々続けていったのでした。
全員が信徒活動をしていくわけですから、これは、とてつもない力となって、神のわざが進められていったことでしょう!
※ [ 参考図書 ] 「 キリシタンの心 」 チースリク 著、聖母文庫
久保田 Ukon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
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ブログ: [ 髙山右近研究室のブログ ]
「髙山右近研究」をライフワークにしています。
髙山右近やキリシタン達を通して、いっしょに考えていければと思います。