※写真 後方の山に、髙山ダリオ飛騨守が城主だった沢城がありました
(奈良県宇陀市榛原区沢)
高槻・Ucon:第23回
久保田 Ucon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
誰につくのか!?
● 混迷の戦国の世にあって、誰につくのか!?
━━ということは、一家・一族の存続・繁栄にかかわる一大事ですので、誰もが、最大の関心を払い、情勢を見極め、行動しておりました。
その結果の選択として、
北摂の山里・高山の一地頭にすぎなかった髙山飛騨守友照は、松永久秀の家臣となり、つづいて、和田惟政の家臣となって、そのもとで重用され、活躍していったのでした。
● 沢城を訪れたアルメイダ修道士によりますと、
髙山飛騨守は、
「本人としては、身体の大きい人で、体格において、他の人に優っています。非常に好感の持てる人であり、快活です。
それに、はなはだ勇敢で、並々ならぬ強者(つわもの)と見なされており、武器の扱いに非常に巧みで、戦術にもはなはだ長(た)け、優秀な騎手でもあり、鷹狩りや弦楽にも長じています。さらに、日本の各宗派のことに精通しています。」
髙山飛騨守は、
このように、すぐれた資質を備えていた有能な武将であったわけで、
誰につくのか!?
一家・一族のために、
主君を選ぶ判断は、正しかったわけですが・・・・・・・
個人的には、どうだったのでしょうか?
彼は、日本の各宗派のことに精通していました。
最初に仕えた松永久秀は、強固な法華宗の信徒でしたし、家臣である飛騨守自身も、そうでした。
法華宗は、京の都で、比叡山・曹洞宗と張り合うほどの勢いを持ち、影響を与えていました。
髙山飛騨守も、毎日、「南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経」と唱え、“ これしかない!” と、強く思っていたはずです。
しかし、法華宗の僧や信徒たちが、都の教会に出かけて行き、宗論をしかけますが、ことごとく負けてしまい、ついには、外部から、非難・悪口、暴力にまで訴えて、教会を攻撃していきます。
一途な性格の飛騨守は、
外来の「キリスト教」のことを、亡国の邪教として、速やかに排除すべきだと、思っていたことでしょう。
● 絶好の機会がやってきました!
松永久秀が、家臣で、著名な学者であり、大いなる学識を持っていた結城山城守忠正に、“ 宗論をして、その結果、伴天連を殺すなり・追放するなり、汝がよいと思うように取り計らえ” と、命令したのです。
結城山城守は、
親友であった和漢の諸学に秀でていた著名な清原枝賢(しげかた)と共に、ロレンソ修道士と数日間の宗論を交えますが、何と、2人とも、ロレンソ修道士が語る、天地万物の創造主について聴聞したことを完全に理解して、キリシタンになる決心をし、後日、ヴィレラ神父から、洗礼を受けたのでした。
この出来事を聞いた髙山飛騨守は、ビックリ仰天したことでしょう!
あのような、尊敬する学者のお二人が、キリシタンに!
誰につくのか!?
これまでは、法華宗の教えが絶対と思って、一途にやってきたが・・・・・
教えと僧や自分自身の行ないとの間に、納得できない多くのこともある・・・・・
何が、結城山城守殿や清原枝賢殿の確信を変えてしまったのだろうか???
髙山飛騨守は、すぐに行動を開始します。
主君・松永久秀から使命を帯びて、ある地方へ急ぎ派遣されていたのですが、出発したように見せかけて、奈良の町の一軒の家に二日二晩隠れ留まって、先の二人に洗礼を授けるために奈良に来ていたヴィレラ神父の宿に出かけ、共に集っていた人たちと一緒に、日夜絶えず、デウスのことを聴聞しました。
そして、異常なばかりに感銘を受け、ただちにそこで、ヴィレラ神父から洗礼を授けていただき、「ダリオ」の教名をいただいたのでした。
髙山飛騨守は、
天地万物の創造主・デウスにつくことを、選択したのでした。
誰につくのか!?
それは、一家・一族にとっても、個人にとっても、
どう生きていくのか!
どう栄えある歩みをしていくのか!
重大な選択になります。
[ 参考図書] 「完訳フロイス日本史1」(川崎桃太、松田毅一・訳、中公文庫)
※ 写真 —– 後方の山に、髙山ダリオ飛騨守が城主だった沢城がありました
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久保田 Ucon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
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「髙山右近研究」をライフワークにしています。
髙山右近やキリシタン達を通して、いっしょに考えていければと思います。