※ 写真:「祈る髙山右近」 (水戸成幸・画)
『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ucon:第25回
━ 久保田 Ucon 典彦 ━
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
「祈りの人」髙山右近
● 髙山右近も お父さんの飛騨守も、 「 祈りの人 」 でしたよ!
高槻城内にあった教会、今の 野見神社の所にあった教会では、毎朝、早天のミサ ・ 早天祈り会が持たれていました。
毎朝、キリシタン達が集まってきて、祈りをささげていたわけですが、教会に 一番にやって来たのは、誰だったと思いますか?
高槻城主である髙山右近か、お父さんの 飛騨守か、この二人の内の どちらかだったのです。
こうした、毎日毎日、毎朝毎朝の 熱心で ・ 忠実な 祈りが、神さまとの関係を 真実なものとしていきました。
大きな祝福をいただく理由となっていきました。
毎年毎年、たくさんの人達が 救われていきました。
今年は 3千人、次の年は 4千人 ・・・・・ という風に、毎日毎日 救われていきました。
家族単位で 救われていきましたよ!
髙山右近さんの力でしょうか? そうでは ありません。
救いは すべて、聖霊なる神さまの お仕事です。
聖霊なる神が 働かれたのです。
● 聖霊なる神による リバイバルのわざが、440年前の、高槻では なされていったのです。
そして、その結果が、天正9年 ( 1581年 )、「 本能寺の変 」 が起こる前の年には、領民2万5千人の内の 1万8千人、72%、10人の内 7人以上が キリシタンだった!
━━ という、祝された姿を、右近さん達は 経験されているのです。
私たちは 誰も、私も含めて、 「 聖霊による リバイバル 」 の みわざを経験していません。
「 使徒の働き 」 「 使徒行伝 」 に記されているような、聖霊による 力強い みわざを 経験してはいません。
あの記述は、初代教会の頃にあった 特別な出来事であって、ペテロが説教したからといって、3千人が 信仰をもって 洗礼を受けていった
━━ などというのは、特別中の 特別なことであって、現代の 私たちには、起こりえないこと ・ 体験出来ないことと 思い込んでしまっています。
しかし、430年前の ここ、高槻では、初代教会の頃 そのままの信仰や 救いが、行われていっていたのです。
髙山右近達は、「 聖霊なる神による リバイバルの みわざ ・ 救いの みわざ 」 の体験者だったのです。
● そして、その原動力となったのは、「 祈り 」 です。
「 祈りを通しての 神さまとの正しい関係 」 です。
「 祈り 」 は、願い事を言う時 ではありません。
主なる神さまを 礼拝する時です。
「 祈り 」 は、神さまの前に ぬかづく時です。
主なる神さまを、心を尽くし ・ 思いを尽くし ・ 力を尽くして、愛する時です。
主なる神さまは、私たちが 礼拝することを 一番に願っておられます。
「 祈り 」 は、「 礼拝 」 する私たちの 一番 象徴的な行為です。
賛美も、献げ物も 大切ですが、「 祈り 」 が一番、「 礼拝 」 に ふさわしく、「 礼拝 」 の姿をあらわしています。
● ですから、教会は、 「 祈りの家 」 と 呼ばれなくてはならない。
━━ と、イエス ・ キリストも おっしゃっていますよネ!
“ 〇〇教会は、祈りの教会だ。”
“ 〇〇教会の人たちは、よく祈る。何かにつけて 祈っている。
” 〇〇教会は、祈りの群れだ。”
“ 〇〇教会の一人一人は、祈りの人だ。”
━━ と、自分たちで言うというより、周りの人達が そのように言うような教会であり、私たち一人一人でありたいと思いますが、いかがでしょうか?
「 今日は、“ ○〇〇会 ” だから 教会に行く。」
「 今日は、日曜日だから 教会に行く。」
ということも、大切なことですが、
髙山右近さん達は、そうではありませんでしたよ。
「 祈るために 教会に行く。
毎朝、祈るために 教会に行く。
祈りの家である 教会で、主なる神 ・ デウスの前に ぬかづいて祈る。
神を神として、畏れの心をもって、見上げ ・ 礼拝をして、一日をスタートしていく。
主なる神 ・ デウスも、そのような 彼らを祝福し、恵み、彼らを用いて、神さまの みわざを進めていかれました。
━━ ということだと思います。
※ 添付の絵は、「祈る髙山右近」 (水戸成幸・画)
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久保田 Ucon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
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「髙山右近研究」をライフワークにしています。
髙山右近やキリシタン達を通して、いっしょに考えていければと思います。