・写真:横田拓也さん提供(2020年6月8日 葬儀)
西岡力
日本キリスト者オピニオンサイト -SALTY- 主筆
救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)会長
モラロジー研究所教授・麗澤大学客員教授
キリスト者の社会的責任とは?
〜横田滋さんの決断と召天に寄せて〜
横田滋さんの召天により、北朝鮮による拉致問題に対する関心がまた、高まり出している。その中で、安倍政権が結果を出していないことを激しく批判する一部の政治家やマスコミに対して、横田めぐみさんの弟の哲也さんが、安倍政権はよくやっている、拉致を否定していた勢力が、その結果、被害者救出が遅れているのに、今になって安倍政権批判をするのは卑怯だという趣旨の発言をされた。
(6月9日:横田滋さん死去で家族が記者会見)
その会見の席にいた私は全く同感だった。
そして、2002年に北朝鮮が拉致を公式に認めるまで、大多数のキリスト教関係者が冷たい態度をとっていたことを想起して、様々なことを考えた。
キリスト者の社会的責任とは、一部の政治勢力に同調して政権批判をすることなのか。自分の頭でしっかり現実を認識して、サタンの手先とも言える北朝鮮個人独裁政権、中国共産党政権による重大な人権侵害、そこには信教の自由侵犯も含まれている、に声を上げることこそ、日本のキリスト者に今求められている社会的責任ではないかと強く思っている。
安倍政権をいま批判する勢力が過去に横田めぐみさんたち救出運動をいかに妨害してきたのかを、産経新聞に寄稿した。ぜひこれを読み、キリスト者の社会的責任について深く考えるきっかけにしてほしい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
横田滋さんの決断と召天に寄せて
ソルティー主筆・モラロジー研究所教授・麗澤大学客員教授・西岡力
産経新聞正論欄 2020.6.9
横田滋さんが召天された。初めてお目にかかったのは平成9(1997)年2月だ。23年以上ともに戦ってきたから、戦場で私のすぐ横で敵に向かっていた戦友が敵の弾丸にあたって倒れた、という感覚だ。同じ感覚を今年2月、有本恵子さんのお母さまの嘉代子さんが召天されたときにも感じた。
安倍晋三首相も同じ感覚を持っていた。首相も「ともに戦ってきた」という表現を滋さんと嘉代子さんへのコメントで使った。
≪拉致問題でともに戦い≫
結果が出ていないから、さまざまな批評、批判が安倍首相や私たちの運動にも向けられてきた。ただ、ともに戦ってきたのではない傍観者や、ひどいときには妨害者だった方たちからの批判には同意できない部分が多い。なぜめぐみさんたちを取り戻すことができないのか。一番大きな原因は、戦いの始まりがあまりにも遅かったからだ。今分かっている最初の北朝鮮による日本人拉致は昭和38年の寺越事件だが、拉致は50年代に集中して起きた。政府認定拉致17人のうち13人は52年9月から53年8月までの1年間に起きている。
産経新聞がアベック3組の失踪を拉致として報じたのが55年だ。しかし、政府、与野党、マスコミもまともに取り扱わず10年たち、62年に大韓機爆破事件が起きて治安当局が腹を決めて国会で「北朝鮮による拉致の疑い濃厚」という歴史的答弁をしたのが63年だ。
そのときも主要マスコミは1行も報じなかった(産経はベタ記事)。2年後の平成2年に自民・社会両党の実力者金丸信氏、田辺誠氏が訪朝したが金日成主席との会談で拉致を取り上げなかった。平成3年~4年にかけ8回持たれた日朝国交正常化交渉でも外務省は拉致を主要議題にしなかった。事態を見かね私は月刊誌に日本人が拉致されているという論文を寄稿したが反応は全くない中、治安関係者を含む専門家から身の危険はないかという質問を受けた。
≪大きなタブーがあった≫
それを打ち破ったのは平成9年の横田滋さんの勇気ある決断だった。当時、北朝鮮政権が拉致は捏造(ねつぞう)だと主張しているので、実名を出すと被害者に危害が加えられるかもしれない、という見方が主流だった。それでも滋さんは、一定のリスクはあるが政府を動かすために世論に訴えるしかない、という重い決断を下した。決断を受け家族会ができ、私を含む有志が救う会を作り戦いを始めた。安倍首相を含む何人かの政治家が私たちのすぐ横でともに戦いを始めた。
拉致発生から平成9年まで20年間はタブーに押され拉致は闇の中に隠されていた。明るみに引き出したのが滋さんの決断だった。それでも政府は最優先課題にしなかった。担当大臣を置き、直属の対策本部があるという現在の体制は小泉訪朝後にもできず、第1次安倍政権になってできた。つまり政府がこの戦いに本格的に加わるのは平成18年(2006年)だ。30年間、理不尽に連れ去られ不当に抑留され続けている自国民を助けるという課題に国として真剣に向き合わなかったつけを背負い私たちは今、戦い続けている。このつけこそが被害者を取り戻せない最大の原因だ。
最初の戦いは世論に拉致が事実だと訴えることだった。そのため、横田さんご夫妻は身を粉にして全国を駆け回った。滋さんの実直な人柄と早紀江さんの魂を揺さぶるスピーチがタブーを打ち破っていった。平成14年、小泉訪朝時に、北朝鮮の独裁者金正日総書記が拉致を認めて謝罪までした。ここで私たちは一度勝利した。
しかし北朝鮮は新たにめぐみさんたち8人は死亡、曽我ミヨシさんたち日本政府認定の拉致被害者4人は拉致していない、それ以外に多数いると推定される未認定被害者についても存在しないと新たな嘘をついた。この嘘を打ち破り、全被害者の即時一括帰国を実現するための戦いが続いている。
≪めぐみさんたち全員取り戻す≫
北朝鮮を動かすには強い圧力、すなわち被害者を返さないと耐えがたい不利益があるが、返せば圧力は緩み利益を得られるという枠組みを作ることが必要だった。滋さんを先頭に国会前で経済制裁を求める座り込みをし、米国や欧州、韓国や東南アジアなどをめぐって国際連携作りを行ってきた。
今努力が実り北朝鮮の貿易による外貨収入の9割を奪う史上最強の国連制裁がかかり、拉致を含む北朝鮮の人権侵害はヒトラーのドイツ並みの人道に対する罪だと明記された国連人権調査報告が出た。トランプ米大統領が首脳会談で金正恩委員長に繰り返し拉致被害者返還を迫るまでに至った。
先圧力、後交渉の戦略の下、安倍首相が金委員長と会談する環境は整いつつある。ここまでくるためにもつらく激しい戦いがあり、滋さんはいつもその戦場にいた。
最後の2年間は病院でめぐみさんに会うまで生き抜くという苦しい戦いに臨まれた。神様が、よく戦った、もうよいから私のところで休めと滋さんを天に引き上げた。必ず、めぐみさんたち全員を取り戻します。天国で後に続く私たちの戦いを見ていてください。
(にしおか つとむ)
ーーーーーーーーーーーーー
産経新聞正論欄 2020.6.9
https://special.sankei.com/f/seiron/article/20200609/0001.html