軍に仕え、信仰を最優先に(4)−スティーブ・タウン−

2020年9月12日のコルネリオ会(防衛関係キリスト者の会)の例会(オンライン)で語られた、スティーブ・タウンさんのメッセージ(第4回)です。

 

 

 

米陸軍退役大佐
スティーブ・タウン

 

「軍に仕え、信仰を最優先に」(4)

-2020.9.12 コルネリオ会での証-

第4回>

<第3回より>  <—– クリック

4.東北大震災における神の恵み「米軍トモダチ作戦」

 「米軍トモダチ作戦」でも、私の最後の大きな任務がありました。

 それは、2011年3月 米軍横田基地連絡官事務所に勤務していた時、テレビNHKを見ていました。NHKの臨時ニュースで 「地震が来ます。注意しなさい。」というテロップが流れました。私がそれを見て他の人達に「みんな地震が来るそうです」と叫びましたが、みんなは状況がよくわかりませんでした。

 すぐに司令部の参謀長に電話して「これはひどいことになる。これから日米関係の大きな問題になり、大きな任務になるから、直ちに日米共同調整所、そして防衛のオペレーションセンターを立ち上げて、日米共同作戦の準備をしたほうがいい」と言いました。ほとんど最初は誰も何もやりたくなかったみたいでしたが、とりあえず情報収集をしていました。

 私は、横田基地ミサイル担当でしたので、作戦会議の最後に司令官が他に誰か言いたいことはないかと聞きましたので、95年の神戸の地震(阪神淡路大震災)について思い出し、私は手をあげて私が三つの大きな教訓を学んだことを在日米軍司令官に提言をしました。

 第一には、ここは日本であり、支援する内容は日本側が判断するので、我々米軍側から考えると遅く見えるが日本のために支援する。したがって、日本側からの要請によって、日本がやって欲しいものしかやらないほうが良い。それ以上前に出たら悪く、神戸でいろんなことをやったので、かえって良く思われない例がありました。よって、今夜、日本政府にお願いして日本の自衛隊市ヶ谷基地に私達が赴き、どういう事ができるのか調整することが1番です。

 第二は、神戸地震のとき、それぞれの軍種で陸軍と海軍と海兵隊で別々に支援活動をしてしまった。ここは横田基地の在日米軍司令部です。ここでは統合で一緒に支援活動計画を行ったほうが良いと思います。

 最後に私は、市ヶ谷に行って米軍連絡調整所を立ち上げるべきと提言しました。

 司令官から「タウン大佐は、4人を連れて今夜、市ヶ谷に行きなさい。」と命令を受け、その時から市ヶ谷で4か月半連続勤務しました。“神の恵み”が私に与えられました。

そのような非常に大切な所に行くことができ、日本のために尽力できたのは、本当に人生にとって大きな出来事であり、“神の恵み”でした。

 

 やはり神様が我々の命の中で動くのです。私たちはイエスを伝えていくべきです。イエスは毎日ドアを開いてくれて私達の前にまっすぐな道を見せてくれます。問題は、私達がある時、自分がやりたいことをやって、あっちこっち曲がってしまうことです。

 私が感じるのは、最近マスコミによって、すぐ私たちの目や私たちの考えを別の方向へ向かわせてしまうことです。そこでもう一度、イエスに戻さなければいけないと思っています。それは、み言葉(聖書)を思い出すことです。やはり私たちがどんなに努力しても、神様が支えてくださなければ、単なる自分の考え・努力だけに終わってしまうことになります。

 神様が私たちを使うのです。私たちは神様の手、神様の足のように、神様に用いていただくのです。

●「コルネリオ会」ニュースレター(No.156) 2021年 4月 掲載

 

<第5回>
5.神の恵み「ローズタウン ミニストリーセンターの開設」
  に続く

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<紹介>
スティーブ・A・タウン
アメリカ、モンタナ州出身。
宣教師だった父親の関係で小学生まで日本の神戸に暮らす。
アメリカに戻ったのち、アメリカ陸軍の奨学金を得て大学を卒業。
その後、アメリカ陸軍の日本語専門家として沖縄で勤務。
一旦アメリカに戻るが、日本のアメリカ大使館へ武官として赴任。
武官を2年務めた後、陸軍横田基地に戻る。
ちょうどその頃、東日本大震災に遭遇。防衛省のある市谷に日米連絡所を設置し、アメリカの「トモダチ作戦」をサポート。

その後、大佐で除隊。軍事会社に転身した。

著書:『日本人だけがなぜ 自衛隊の実力に気がつかないのか?』
  スティーブ・A・タウン 著
宝島社:2018年 7月3日  発行

  (著者プロフィール より)

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