明石清正
SALTY論説委員
カルバリーチャペル・ロゴス東京 牧師
ロゴス・ミニストリー 代表
私たちの教会では、新しく主イエス様を信じた方々に、14週に渡る学びを冊子を使って学んでいます。
そこに、聖霊について学びがあります。そこで出て来た質問の一つが、「聖霊が「この方」ということですが、英語ではHeですよね?神は性別を超えているはずですが、どうして「彼」と呼ばれるのですか?」ということです。
これは、非常に的確な質問ですが、答えられない質問だと思いました。ない頭を使って、ちょっと脱線して、次のように話しました。
「神が父と呼ばれているけれども、そして人としてのイエス様が男性器を持っていたけれども、神は霊なので、性別を超えた存在です。けれども確かに、神は男の秩序をもって現れておられます。
現実として、神を父と呼ぶことに困難を感じたり、気持ちの伴わない人たちがいます。父から虐待を受けたり、幼い時から父不在の人たちです。しかし神は、そうした、いわば「例外的な」人々に特に届いておられた。イエス様は、疎外されている人々に敢えて近づいておられた。神はすべての人を愛し、救うことを願われておられます。
父不在や父に葛藤を覚えた方々には、神は特別な、父としての愛を、御霊によって注ぐなどして、その不足を補ってくださるはずです。または、父不在で育ったキリスト者と合わせてくださり、互いに励まし合うこともできます。
神はそうした、例外的な方々に特に心を留めてくださるが、だからといって、秩序を変えることはなさりません。神が父ではなく、母として呼ばれることはありません。母性を示すような表現は出てきますが、あくまでも父です。そしてイエス様は独り子であり、息子です。
神の真実について、簡単に語れない現実があります。主は、必ずその不足を満たしてくださいます。特別に愛されています。けれども、そのことによって秩序は変えられません。」
言い方を変えれば、「例外があるから、秩序は秩序という」ともいえるでしょう。すべてを杓子定規に判断するのではなく、自分には理解、把握ができない主のお働き、その現実があるかも?という、余裕を念頭に入れて行かないといけないな、と思っています。