「え、私でいいの?」クリスマスの喜びをあなたにも -田口 望-

田口望
田口望

 

 

 

 

田口 望
我孫子バプテスト教会 牧師
SALTY 論説委員

はじめに

SALTYのクリスマスメッセージを担当させていただけることになり、身に余る光栄で「え、私でいいの?」とは思いながらも、イエス様の福音を語ることに召命を受けたものとして、クリスマスメッセージを取り次ぎたいと思います。

この時期に、教会ではクリスマスにちなんだメッセージがなされ、また一部の教会、ミッション系の幼稚園、保育園では「聖誕劇(イエス・キリストの誕生物語の劇)」が催されることでしょう。そして、キリスト誕生の物語は「えっ、私でいいの?」の連続なのです。

羊飼いの「え、私でいいの?」

クリスチャンでも、そうでない方も誰しもがご存じだと思いますが、キリストは馬小屋でおとめマリアからお生まれになったとされています。そして赤ちゃんのイエス様の一番最初に礼拝する栄誉に与ったのは誰だったでしょうか?

そう、羊飼いです。天使からキリスト誕生の知らせを受け、最初にあかちゃんのイエス様を拝謁することが許されたとき、おそらく、羊飼いの心によぎった思いとは、「えっ、私でいいの?」だったはずなのです。

羊飼いはイエス様のたとえ話の中で何度か登場するので、クリスチャンの中には良いイメージを持たれている方もいるでしょうが、当時は決して身分の高い仕事とはされず、疎まれていたであろう仕事なのです。

牧場にいったことのある人ならわかると思いますが、動物を扱う仕事である以上、どうしても獣の匂いがしみついてしまいます。また、当時の宗教的な規則で「安息日を覚えて礼拝しなさい」というものがありましたが、酪農・畜産業に従事される方ならわかりますが、家畜の世話するのに休日はありません。また、そのために十分な教育を受けることもできず大多数が文盲でした。したがって、羊は当時のユダヤ教にとっていけにえのために欠かすことができない動物であったにもかかわらず、新約聖書の時代、その羊を飼う羊飼いたちは、蔑まれていたのです。

であるにもかかわらず、キリスト誕生の知らせを最初の受けたのは、当時の王様でもなく、貴族でもなく、また宗教家でもなく、むしろそれらの人から蔑まれていたであろう羊飼いだったのです。彼らは思ったはずです。「えっ、私でいいの?」と

東方の博士たちの「えっ、私でいいの?」

聖誕劇で羊飼いの次にキリストを拝謁することになったのは東方の三博士です。現代の聖書では「占星術の学者」と訳されていますがギリシャ語原文でマギ、マゴスと書かれています。(※英語のマジシャンの語源ともなった語)そうです、羊飼いは聖書の神様を信じるユダヤ教徒、キリスト教徒なのかもしれませんが、東方の三博士にいたっては完全に異教徒、怪しい呪術師、魔術師だったのです。

そんな、かれらでも必死に救い主、キリストを探し求めて遠い東方の異国の地(おそらくペルシャ)からやってきて救い主にであうのです。そして、ユダヤの都、エルサレムでヘロデ大王やユダヤ教の学者、宗教家に救い主誕生の地がどこであるかを尋ね求めて彼らに先んじてベツレヘムでキリストに拝謁します。

ヘロデ大王に「先にいって見つかったら知らせてほしい。後から拝みにいくから」といわれたとき、東方の三博士たちはおもったことでしょう。「えっ、私でいいの?」と、ユダヤの王様や都のなみいるユダヤ教の学者を差し置いて、異教徒の魔術師である私たちが先にキリストを拝んでいいの?と

福音書記者マタイの「えっ、私でいいの?」

この記事を書いたマタイの福音書の記者、マタイはどうしてこんな記事を書いたのでしょう。実はマタイ自身、「えっ、私でいいの?」という経験をしてイエス様の弟子、クリスチャンになったのです。彼はクリスチャンになる前は取税人でした。取税人とはローマ帝国の権力をかさに、同胞であるユダヤ人から重税を搾り取り、その一部で私腹を肥やすという仕事で、同胞から最も嫌われ、宗教家からも悪徳の典型例として、軽蔑されていました。そんな、取税人マタイがイエス様に「私の弟子に(クリスチャン)にならないか?」と直接誘われて弟子になるのです。

下にあるのは、中世のカラヴァジョという人が書いた「聖マタイの召命」という絵画です。

まさに、マタイが自分を指差し「えっ、私でいいの?」といってドギマギしている姿が描かれています。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ作「聖マタイの召命」
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ作「聖マタイの召命」

あなたにも経験してほしい「えっ、私でいいの?」

そう、聖書記者のなかで唯一の異邦人であるルカがしるした羊飼いがキリストに出会うクリスマス物語も、同胞から嫌われていた取税人マタイが記した異教の魔術師がキリストに出会うクリスマス物語も、「自分はキリスト教とは関係ない」「たとえ神という存在がいたとしても自分は神のお気に入りではない」そんな風に自分自身ですら自分にあきらめてしまっているアウトサイダーに対して、「あなたこそ神様に愛されている」「あなたこそキリストに出会うべきだ」と招かれて「えっ、私でいいの?」を体験する物語、それがクリスマスの物語なのです。

日本人の99%が非キリスト教徒であることは周知の事実ですが、もし、クリスマス礼拝が

「キリスト教徒によるキリスト教徒のためだけのもの」

と、クリスチャンでない日本人に思われているのであればそれは誤解です。そのような間違ったイメージを持たせ、教会を敷居の高いものにさせてしまっているのであれば牧師である私をはじめ、むしろクリスチャンの方にこそ反省すべき点があるのかもしれません。

99%がクリスチャンではなく、99%が私とは関係ないと思っているのであればクリスマスのメッセージはむしろ、その99%の方が、99%の日本人が、「えっ、私でいいの?」を経験するために書かれた物語、「クリスマスの物語はまさに21世紀の日本人のために書かれた物語なのだ」とマタイさんならいうでしょう。

先行きの見えない我が国日本ですが、こんな時こそ、クリスチャンもクリスチャンでない方もお近くの教会のクリスマス礼拝に参加してみてください。

 

我孫子バプテスト教会牧師

田口 望