誰につくのか!? − 久保田Ucon 典彦 −

※写真 後方の山に、髙山ダリオ飛騨守が城主だった沢城がありました
(奈良県宇陀市榛原区沢)

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第23回 
久保田典彦兄

 

 

 

 

久保田 Ucon 典彦

阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

 

誰につくのか!?

● 混迷の戦国の世にあって、誰につくのか!?

━━ということは、一家・一族の存続・繁栄にかかわる一大事ですので、誰もが、最大の関心を払い、情勢を見極め、行動しておりました。

その結果の選択として、

北摂の山里・高山の一地頭にすぎなかった髙山飛騨守友照は、松永久秀の家臣となり、つづいて、和田惟政の家臣となって、そのもとで重用され、活躍していったのでした。

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苦悩する髙山右近 − 久保田Ucon 典彦 −

※写真は、「荒木村重を説得する右近」柳柊二・画

『キリシタン史からのメッセージ』
 高槻・Ucon:第22回 

 

 

久保田 Ucon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰

 

苦悩する髙山右近

● 1578年、荒木村重の、織田信長に対する謀叛。
 荒木村重は、織田信長によって、“ 摂津国主”として任ぜられており、高槻城主・髙山右近は、その配下に置かれていました。
織田信長 ━ 荒木村重 ━ 髙山右近
その荒木村重が、主君である信長に反逆したわけですから、右近は、有岡城に出かけて行って、軍評の席で、“自らの良心に従って” 荒木村重に意見を述べます。
「恐れながら申し上げます。
池田勝正様の一家臣であられた殿を、摂津の国主に任命なさったのは信長公。いわば信長公は、殿の恩人と申せましょう。
その恩人に対して弓を引くことは、不正であり、忘恩と心得ます。」