※写真は、大分・遊歩公園の「聖フランシスコ・ザビエル像」
『キリシタン史からのメッセージ』
高槻・Ukon:第21回
久保田 Ucon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
ザビエルがとった宣教の方法
● フランシスコ・ザビエルは、日本に来る前、インドのゴアやペスカリア(漁夫)海岸で、宣教の働きをしました。
地図に、ペスカリアという地名の場所はありません。
ペスカリア海岸というのは、通称で、
インド半島の最南端・コモリン岬の両岸辺りに、真珠を採る漁師たちが住んでいた一帯のことを、そのように呼んでいたようです。
20ほどの村があって、2万人ほどの漁師たちが住んでいました。
彼らは、パラバ人と言われる人たちで、言葉はタミール語を話します。ザビエルが、まったく知らない言葉です。
信仰的には、18年前と5年前に、集団で洗礼を受けていましたが、それっきりでしたから、ほとんど何も知らないという状態でした。
● 言葉も通じないし・話せない状態で、一体、ザビエルは、どのようにして宣教の働きをしていったのでしょうか?
[ ザビエルがとった宣教の方法] ですが、
病人の世話等をすると共に、
難題のタミール語に挑戦します。
① 神学生の助けを借りて、信仰の根本的な個所を、タミール語に翻訳します。
使徒信条・十戒・祈り・キリストの教えなどの言葉です。
② それを、タミール語の文字で、しゅろの薄い葉っぱに書いてもらいます。
③ それを、ローマ字で書き、読めるようにします。
④ それを、暗記します。
※ 日本語の場合だったら、
日本語に翻訳して・日本の文字で書いて・それをローマ字書きにして読めるようにして・それを暗記する
━━ ということになりそうです。
● これだけの準備をすると、小さな鐘を鳴らしながら、通りや浜辺に出て行って、人集めをします。
① 「使徒信条」の最初の個条
“ 我は、天地の創り主(つくりぬし)、全能の父なる神を信ず”
その説明をして、その後、その個条を大声で唱えさせます。
② 次に移る前に、ザビエルが真剣に祈ります。
その祈りの言葉は、みんなには理解出来ませんが、ザビエルの熱心さが、聞いている人々の心に伝わっていきます。
③ そして、次の教えの個条に移っていきます。
“ 我は、そのひとり子、我らの主イエス・キリストを信ず”
━━ これを、① ② と同じようにして、徹底的に教え込んでいきました。
このようにして、「使徒信条」を全部について、教え込んでいったわけです。
「キリスト信者であるということは、使徒信条を、厳然としていささかの疑いもなく確信していることだ、と説明して聞かせました。
こういう調子で、私は、使徒信条を、他の祈りよりもはるかにひんぱんに、彼らに言って聞かせました。
誰でも、この使徒信条を信じておりさえすれば、
“私はキリスト信者です” と言うことが出来るからです。」
(ザビエルの手紙)
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※写真は、大分・遊歩公園の「聖フランシスコ・ザビエル像」
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[ 参考図書]
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久保田 Ucon 典彦
阿武山福音自由教会 教会員
「髙山右近研究室・久保田」主宰
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「髙山右近研究」をライフワークにしています。
髙山右近やキリシタン達を通して、いっしょに考えていければと思います。