変わりゆく世界の教会と変わらない日本の教会(1) − 大橋秀夫 −

・写真:秋の花_エルサレムアーティチョーク

この度、SALTYからの執筆依頼に快く応じてくださった、大橋秀夫牧師から寄稿文が届きました。
長らく伝道・牧会に携わり、また、「日本教会成長研究所」の講師として、様々な教団教派の牧師の継続教育や育成に尽力されてこられた、大橋牧師の論説は、世界の教会の動向に対して、日本の教会の課題を明らかにしつつ、危機感を持って問いかけておられる内容です。

3回の連載として掲載いたします。

● 3回の連載:<第1回>

 

 

大橋秀夫
「日本教会成長研究所」
(現、JCGIネットワーク)
コメンテイーター、理事、全国講師
日本福音自由教会
クライスト・コミュニティ教会 顧問牧師

 

変わりゆく世界の教会と変わらない日本の教会(1)

はじめに

 過去2000年にわたって教会は変化し続けて来ました。ここで言う変化とは<刷新>と言う方が適当かと思います。そこには二つの刷新、すなわち霊的刷新と構造的刷新がみられます。

 そもそも教会が誕生したペンテコステの出来事を通して、そこに誕生した群れを最初の教会と呼ぶならば(*注1)、誕生した教会はそれまでのユダヤ人社会の中に存在していた形態、コミュニティーの伝統と形を全く変えてしまうほどの教会でした。

「信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。そして、毎日心を一つにして、宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」(使徒の働き2章44~47節)

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(*注 1)
「教会」と訳されている言葉は、旧約聖書では「全会衆」であり、やがてそれはギリシャ語で「共同体」と訳されます。したがって、教会は旧約聖書の時代から存在していた と主張する人たちもいます。
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 こうした当時のユダヤ人社会ではありえない出来事、革新的な掟破りの行為が教会の誕生でした。以来教会は、2000年の間に様々な変化を経験して今日に至ってきました。私たちのプロテスタント教会もその変化=刷新の結果誕生したと言えます。(無論、「私たちの教会の精神は、初代教会から連綿と引き継がれてきた」と主張する人々がいないとは申しませんが、所詮それは、被宣教国である日本でいくら主張したところで意味を持たないことです。)

 そこで私は近年起こっている教会の変化について考えてみようと思います。

1. 聖書の読み方が変わった

 カナダのバンクーバーにあるリージェントカレッジを訪ねた時のことです。この神学校はアカデミックな学校として知られていますが、同時にユニークな建学の理念を持っていることでも知られています。創立者のマーシャル・シュミットが掲げた理念は、<聖書の真理を未信者の世界(世俗社会と呼ぶ人もいる)の中で、彼らとともに神学しながらインパクトを与える>と言うのです。また彼は<信徒たちも霊的生活と神学的探究を必要としている>と言う理念を持っていました。そして1970年にブリティッシュ・コロンビア大学(公立)のキャンパス内に校舎を得たのです。カナダにありながらアメリカと世界の多くの神学校に常にユニークで、戦略的情報を発信し続けています。
そこで新約学の教授リック・ワッツ博士が言ったことを覚えています。「1950年頃からの社会的変化(モダニズムからポスト・モダンへ)によって、聖書の読み方が変わった。」と言われたのです。

 私がこの講義を受けてから少し後になって、日本の神学者である上沼昌雄先生が、ご自身のブログで同じことを書いておられました。次のようです。

「聖書の読み方が変わった」

 それは理性で築き上げらえて来た2000年の西洋の神学の枠を取り外して、神学の根源である聖書の世界で読み直して行くことになります。旧約聖書から始まる聖書の世界を読み直して行く作業です。ギリシャ哲学の世界から聖書を見ていたことから、旧約聖書から全体をとらえなおして行くことです。聖書の歴史の流れに沿って読み直すことです。結構難しい作業です。2000年の西洋の神学の流れを身に着けてしまっている二元論のようなギリシャ的な考えが、聖書理解に深く染みついているからです。「反哲学」と言えるならば、「反神学」を意識して聖書に直面しなければならないのです。

 少し難解かもしれませんが、要はこうでしょう。理性で築きあげられて来た2000年の西洋神学(これを形而上学としての神学と言ってよいでしょう)、そうしたまず初めに神学ありきの枠を取り外して、神学の根源である聖書を聖書の世界で読み直して行く、すなわち聖書をストーリーとして読むことになります。例えば、それはイエス・キリストの顔を西洋の白人として描いていたのを、語弊があるのを覚悟して言えば、鼻の曲がったユダヤ人として描くことにするようなものです。

 こうした変化は突然にやって来たのではありません。かつて聖書の学びは演繹的な手法で教師から一方的に教えられていたわけですが、やがて帰納法的な学習方法に変化しはじめたことで、全員が教師であり生徒であると言う関係の中で学ぶことが普通になります。同時にキリスト教文化とは無縁な国の文化の中で聖書を読むということが起こって来たわけです。

 しかし神学校で西洋的な形而上学を学んできた牧師たちには、この読み方が困難です。したがってこうした牧師によって語られる説教もまた、別世界のものとなってしまうわけです。長く教会生活に親しんだ信徒たちが、一般社会の中で適用できないようになってしまうのもそのためかと思うのです。

<続く>

—> 2. 教会の構造が変わっ

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*・写真:秋の花 — エルサレムアーティチョーク(菊芋の花)
・撮影場所:能勢川バイブルキャンプの西側「ゴルフ橋」にて
・撮影: Shinichi Igusa      ・2019-0924