変わりゆく世界の教会と変わらない日本の教会(2)− 大橋秀夫 −

・写真:秋の花_エルサレムアーティチョーク

● 3回の連載:<第2回>

 

 

大橋秀夫
「日本教会成長研究所」
(現、JCGIネットワーク)
コメンテイーター、理事、全国講師
日本福音自由教会
クライスト・コミュニティ教会 顧問牧師

 

変わりゆく世界の教会と変わらない日本の教会(2)

—–> <前回、1. 聖書の読み方が変わった  より続く>

2. 教会の構造が変わった

 宗教改革が打ち立てた大きな三つの原則は「聖書のみ・恵みと信仰のみ・信者のみ」で、これには変りはありません。しかし、いわゆる「信者のみ」に基づく万人祭司に基づく教会の構造的な変化が世界中で起こりつつあるのです。

 宗教改革者 マルティン・ルターがこだわったのは、恵みと信仰による救いでした。反対に彼がほとんど関心を示さなかったのは、当時のカトリック教会の礼拝儀式です。彼は「礼拝の儀式などは、福音に反しない限りどちらでもよいこと」(アディアフォラ)として儀式の多くを残してしまったのです。

 この影響は、その後のプロテスタント教会の中に宗教改革の残滓として残ってしまいます。例えば、講壇の説教は牧師でなければだめ、祝祷、聖餐式の司式、洗礼を授けるのは按手礼を受けた牧師に限るなど、ある特定の資格を持った人でなければならないなど「万人祭司」を標榜する教会においてもしかりなのです。

 またその資格を得るために献身する人は「召し」と言います。英語ではCallです。宗教改革者たちは、すべての信徒がそれぞれの職業に召されている(Calling) と理解していました。現在では特別な職業=牧師や伝道者となる人だけを意味するようになってしまっている。これは宗教改革から後退している例です。

 こうした背景を知るもう一つのことを取り上げましょう。英語の教職者や牧師を意味する言葉は Clergy です。この言葉の語源は、ラテン語のクレロスからきています。ラテン語が使われていたローマ時代の社会は、二つからなる社会構造で出来ていました。一つは支配階級の人々です。クレロスと言う言葉は、この支配階級の人を指す言葉として使われていたものです。そしてキリスト教会でレイマンと呼ぶと、それは一般信徒のことですが、ラテン語ではラオスです。そしてこのラオスは、クロレスに対する一般市民を呼ぶ言葉だったのです。

 これらがカトリック教会の階級制、聖と俗(聖職者レベルと信徒レベル)と言う二重構造を表す言葉となりました。驚くべきことに、いつの間にか私たちでさえ無意識のうちに教会の中に同じ性質の二重構造を持ち込んでしまっているのです。

 フラー神学校の宣教学部のフレッド・ホランド博士は、「神学教育の背景と変遷」と題した論文の中で、次のように指摘しています。

 「宗教改革者たちは、彼らの万人祭司の教義にもかかわらず、普通のクリスチャンの働きについては、一部分しか気づいていなかった。私たちの公の教義がたとえ何であれ、教会と言う働きは、按手礼を受けた教職者のみの責任であるいう考えが、教会の中で大半を占めている。普通のクリスチャンは、牧会の働きに召されていないと考えるのである。しかし、クリスチャン共同体における働きは、根本的には牧会の働きであり、それは兄弟姉妹たちへの奉仕であって、それはすべてイエス・キリストのような全人格的犠牲においてなされる。」

 そこで私は、過去50年以上にわたって世界中で起こっている大きな変化について紹介しようと思います。

・世界中で起こっている大きな変化

 事の起こりは、1956年デトロイト市プレポストと言う町のとある家の居間に集まった8人の信徒たちだけによる分かち合いグループからでした。それはまさに使徒の働き2章に書かれているような交わりでした。その後この集まりは多くの教会で支持され、神学者たちもその聖書的根拠と裏づけを立ち上げました。瞬く間にこの集まりは世界中に拡大して行き、<セル・グループ>と呼ばれるようになったのです。今では世界中でセル・グループのない教会はないと言えるほどです。

 日本に最初に紹介されたのは、1968年ですから比較的早かったと言えます。キリスト者学生会(KGK)は、「活動するグループ」と言う新書版の本を出版した。信徒による伝道と相互牧会を中心にした教会の新しい構造を構築するのでしたが、日本の教会の牧師たちからは注目されませんでした。売れ残った本が倉庫に積み上げられているのを覚えています。

 注目され始めたのは、1994年、日本教会成長研修所(現、JCGIネットワーク)が開いた研修会に、当時シンガポールで宣教師として働いていたラルフ・ネイバー博士を招いたときからです。その研修会で私どものセル・グループ活動をケーススタデイとして報告させていただきました。信徒による相互牧会が浸透すると教会の構造は大きく変化しました。信徒たちの教会に対する意識=オーナーシップが高まり、教会は共同体として機能し始めたのです。

・セル・グループは、本質的に〝教会” である小グループ

 しかし、今でも日本の教会の指導者たちは、その本質的な部分を十分に理解しているとは思えません。従来の家庭聖書研究会や家庭集会とほとんど同じに考えています。セル・グループは、「より大きなからだである教会の中に存在する小さいけれど本質的に〝教会” である小グループ」であるとジョージ・パターソン博士は定義づけます。

 「小グループで教会は変わる」の著者ジェフ・アーノルドは「何世紀にもわたって教会は制度化されてきたが、今教会は人々の家庭の中に、生活の中に戻りつつある。」と言います。そして先に挙げたラルフ・ネイバー博士は、現実の教会と聖書的教会とを比較して、現実の教会は聖職者主義であり、伝統主義、神学校による権威主義であると指摘します。

 実際日本の教会は、一つの会堂と一人の牧師と言う構造が定着してしまっており、牧師の高齢化と減少によってその構造に破綻の危機が迫ってきているわけです。会堂中心の信仰生活が、次世代への信仰継承も困難にしています。信徒が消えて会堂が残ると言う現象は地方の教会の姿です。

・リーダーシップの変化

 この変化の裏にあるもう一つの要因は、リーダーシップの変化です。ハーバード大学の教授であるバーバラ・ケラーマン博士は、「21世紀には、かつての英雄願望による一人の優秀で有能なリーダーはもう必要なくなる」と断言しています。これはリーダーシップを否定しているのではありません。リーダーシップに対する既成の考え方が変わって来ていると言うのです。それは立場上のリーダーがリーダーではないと言うことを指しています。

 事実、世界でそのことが起こりつつあり、その潮流は当然教会の中にも入り込んでいます。そのことに気づかなければ、Clergyたちは、裸の王様でしかないと言えるでしょう。

 

<続く>

—–> 3. 世界の潮流が変わった

 

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*・写真:秋の花 — エルサレムアーティチョーク(菊芋の花)
・撮影場所:「能勢川バイブルキャンプ」の前の猪名川の支流、一庫大路次川(旧名:能勢川)の河川敷にて撮影。
・撮影: Shinichi Igusa      ・2012-0820